第31話
結構遠いが次の宿場村が見えた。なぜか…この世界で初めて見る懐かしい風景が見えて急激にテンションが上がる。
「湯煙…湯煙ですか?あれは!」
「そうだよ。このサンジュ村には温泉がいくつもあるんだよ」
こっちにも温泉が、と言うか温泉という概念があったとは僥倖だ。興奮するぜ。
村の門に到着すると硫黄の匂いが漂い、あちこちから湯煙が立っているのが見える。
日本にいた頃は、心臓に負担が掛からないように、特に冬場は露天風呂は控えていたが元々温泉は大好きなのだ。温泉地特有の雰囲気にテンションが上がらない筈がない。
馬を休ませる為に1台だけ馬車を預けてから、兵士達と別れると、伯爵の馬車へと移動。
「ここは王都から一番近い温泉街なんだ。今はコレラが収まったばかりだから人は少ないが、本来なら宿の予約を取るのに数ヶ月掛かるぐらいの人気ぶりなんだよ。それに王族達の保養地であるから設備も他の宿場村より充実している。楽しむといいよ」
「それは凄いですね。それで宿は取れたのですか?」
「心配無用だよ。上級貴族専用の宿は予約など入れなくても、いつでも空いているからね」
「優遇されているんですね」
「そうだな。ヴェル君。君は上級貴族になれる素質がある。実力で上がってくるんだ」
「申し訳ありませんが、そこまでのお話は尚早かと」
「相変わらず他人の評価と自己評価に隔たりがあるようだね。まだ先は長い。これから自他の評価の差を埋めるような出来事もあるだろう。成長を期待しているよ」
『それがプレッシャーだとなぜ分からないんだ』と、心の中で軽く抗議をしつつ歩いて行くと、宿は立派なホテルだった。鄙びた印象の温泉地とは趣を異にするくらいの立派な建物だ。
温泉宿の玄関に馬車を止めると、宿の従業員が馬車を開けてくれて荷物を宿に運び入れてくれた。
ドアマンが玄関扉を開けると、従業員達が綺麗に立ち並び「ようこそいらっしゃいました」と、一斉に頭を下げた。
流石は貴族専用の宿だけはある。その一糸乱れぬ統制に驚愕をしながら受付カウンターに歩いて行く。
「伯爵閣下、ようこそおいでなさいました。部屋はいくつご用意されますか?」
「そうだな。私専用の部屋1つと、この子達二人の部屋をひとつ、あとは護衛の部屋を2つ借りるとしようか?」
「えっ、ちょっと待って下さい。僕とジュリエッタは別の部屋では無いのですか?」
するとジュリエッタが苦笑いをしながら手を強く握ってくる。
『余計な事を言いやがって』と言う雰囲気がありありだ。
「今更何を言うんだ?いつもジュリエッタと一緒に寝ているのは知っているよ。それに、まだ子供同士だから遠慮はいらん。儀式はまだだが、それさえ終われば婚約者と同義じゃないか」
伯爵の言葉にジュリエッタはにんまりしている。この子にしてこの親ありだな。日本の倫理観は通用しない。
「それじゃ、私達は軽く風呂に入ってから、そこにある食事処で一杯やっている。二人も温泉に入ったらごはんに来るといい」
「分かりました。もし僕達の方が早かったら、席を取っておきます」
「ああ。宜しく頼むよ」
部屋の鍵を貰い、従業員に先導されてジュリエッタと部屋へと向う。
「もぅ、ヴェルったら、何であそこで余計な事を言うわけ?」
従業員の見ている目の前で痴話喧嘩なんてありえないので笑ってごまかす。
階段を上がって、部屋に到着するとボーイさんが荷物を部屋に運び入れてくれた。部屋に入ると、バルコニーに個室の露天風呂があるのが見えた。流石は貴族専用だ。豪華この上ない。
「ジュリエッタ。先に温泉に入るといいよ」
ソファーに腰を下ろすと、ジュリエッタがいきなり俺の前に立つ。
「ねえ、一緒に露天風呂に入ろうよ」
「は?冗談だろ?」
「本気も本気。大本気よ!」
恥ずかしそうに顔を赤くして言い募る。風呂はひとりでのんびりする所だが、まあ良く考えたら俺もジュリエッタもまだまだ子供だ。
子供を育てた事がないのではっきりとは覚えていないが、確か11歳からは混浴アウトじゃなかったか?まっ、子供相手だ。深く考えなきゃいい。
そんな事を考えていたら「ほら、早くこれに着替えて。私は隣の部屋で着替えてから行くから先に入ってて」と湯衣を渡された。
余分な事を考えていた分だけ自分が恥ずかしくなる。そんなものがあるならもっと早く言って欲しい。
ガラス扉を開けて、掛け湯をしてから温泉に浸かる。
「うっほ~。気持ちいいぞ!これはヤバい。体の隅々まで癒される~」
全身の力が抜けるようで気持ちいい。湯の花と白く濁った湯、硫黄の匂いと檜独特のぬめり。全てが完璧だ。
木の桶に湯を張り、タオルを暖めて顔の上に乗せる。やばい。気持ちが良すぎてそのまま寝そうだ。
「お待たせ~」
その声に驚いて、タオルがズレ落ちた。髪を束ね、タオルを頭に巻いてジュリエッタが湯船に入る。
「それにしても、いい雰囲気ね~。心まで洗われる気分だわ」
「そうだね。温泉たまらん」
そう言いながら空を見上げると、満天の星と二つの月を見える。改めてここは異世界なんだなあと思う。
「私達もさ、あの二つの月のようにずっと寄り添って生きて行きたいね」
相変わらず11歳のセリフじゃないよな。それは置いといて言いたいことはわかる。
「そうだね。これからずっといつも一緒に居られるといいね」
そう答えるとジュリエッタは感極まったのか?涙を流す。相変わらず涙を流す理由は分からない…聞くだけ野暮なので聞かないが。
それから体を洗うのに湯船から出るが温泉の効能なのか、体がぽかぽかして暖かい。
「ヴェル。私が背中流してあげる」
「いや。自分で洗うよ」
「駄目よ。私が洗いたいの」
上半身の湯衣を脱いで仕方なく背中を向く。
それからジュリエッタは背中をゴシゴシと洗ってくれた。でもな、俺、本当は頭から洗いたい。
「よしっと、終ったわよ。次は私の番ね」
はは。そうなると思ったよ。
「さすがに背中はまずいってば…代わりに髪の毛を洗ってあげるね。あ、ちょっと待って」
そう言ってコラーゲンの入ったビンとレモンを絞った果汁の入ったビンを取りに行く。バスタオルで体をサッと拭いて部屋に戻ってから再び露天風呂に戻った。
「何を取ってきたの?」
「ヒミツだよ」
それから石鹸を泡立てると、コラーゲンとレモン果汁を数滴馴染ませた。
「痒いところ無いかな?」
「無いわよ。それにしても随分と髪の毛を洗うのが上手ね。気持ちよすぎて驚いたわ」
「お気に召して良かったよ」かつての美容師様様だ。
自分も髪の毛を洗う。当然クエン酸とコラーゲン配合だ。
それから湯船にもう一度浸かって露天風呂から出た。ハンディ扇風機のような、風だけのドライヤーもどきで髪の毛を乾かすが、火照った体には、それがまたここちよい。
髪の毛を乾かし終えると、髪の毛は艶々サラサラでだ。コラーゲンがばっちり効いている。
「信じられない。髪の毛がこんなに綺麗になるなんて。温泉の効果かな~」
「そうかもね」
「嘘でしょ。顔に嘘と書いてあるわ。さっき部屋に何か取りに帰ったでしょ。あれの効果なんでしょ」
「バレた?コラーゲンって言って保湿効果のある素材を配合させて洗ったんだ。レモン果汁はベタ付き防止なんだ。いい感じだろ?」
「ええ。凄い効果だわ。これ、広まったら大金持ちになれるわね」
そんなつもりは無かったが、化粧品に配合すればビジネスチャンスになるな。まだ子供だし、また後で考えればいいか。
「お腹が空いたから、ごはんを食べにいきましょうか?」
「そうだね。温泉に入ったら、お腹が空いたな」
ホテル内は館内着で過ごすのだがこれが正に浴衣だ。この世界に俺の他にも日本人の異世界転生者がいたのかと思うほどで、本当に日本の温泉地に来たようだ。
俺たちは浴衣に着替えて、ツヤツヤの髪で食事処へと向った。
で、食事処に行くと個室に案内された。と言うか全室個室だそうだ。なんでも貴族同士が鉢合わせしないよう配慮されているとのことだが、それならいっそ一流旅館並に食事を部屋出しにすればいいのに。まあそれを贅沢だと思うかどうかはわからないけど。
と言うわけで部屋に入ると、伯爵が既に護衛達とエールで酒盛りをしていた。
『うお。くっそ飲みて~!風呂上りにはギンギンに冷えたビールだろ!』
風呂上がりに浴衣で一杯。これもここでこそ初めてだがよーく馴染んだ光景だ。これで俺だけ飲めないなんて何の拷問よ。
「おぅ、二人とも良く来たな。好きなものを注文するといい。今回の野盗の討伐の報奨金がたんまりあるからな」
『じゃ、酒をくれ』
毎回毎度そう言いたい。今日は言ってもいいかな。だって温泉よ?しかも心臓のことなんて気にしなくていいんだぜ?そもそもこっちで酒飲めない年齢って設定したっけ?でも10歳からは流石にまずいよな。
それからジュリエッタと席に座り、3種の肉ステーキセットを頼んだ。
鉄板の上に乗った牛、豚、鳥のステーキが来ると、にんにくと肉好きの自分にはたまんない匂いがする。口にすると貴族専用の宿に相応しい上品な味わいでとても美味しい。
「おいしいわね。でもヴェルこれ全部一人で食べれるの?」
「大丈夫だと思う。お腹が空いてるからね。少し食べてみる?」
「ええ。それじゃ私のも少しあげるね」
ジュリエッタはビーフシチューを頼んだようだ。取り分ける小皿を貰いお互いに分け合う。前世では嫌がる人もいたがまったく俺は気にしない派だ。ジュリエッタもっそうらしくてよかった。
お腹が空いているのでどの料理も最高に美味い。伯爵から髪の毛の艶についてやはり追求された。そりゃ気になるだろうな。
「これは、コラーゲンという素材とレモンの果汁を石鹸に混ぜて洗っただけです」
「して、そのコラーゲンとはどうやって手に入れるのだ?」
「なかなか言いにくいのですが大丈夫ですか?」
「ああ。問題無い」
それならばと清流スライムの体液だと話すと、普通に納得された。
「言われてみれば、スライムの体はほぼ水分だし、死骸を触った事はあるが粘りがあったな」
「それでヴェル殿はスライムの事を聞いてきたり、欲しがったりしたのですね。納得ですよ」
「隠すつもりは無かったんです。あの時はまだ、実験をする段階だったので、成功する確信は無かったですし」
「それで、清流スライムしか駄目なのか?」
鑑定結果では清流スライムがベストではあったが、他のスライムでも問題は無いんじゃないかな。それに鑑定スキルの事がバレるのはマズい。
「他のスライムは知りませんが、スライムはほぼ水分で出来ています。水分が失われないようにこのコラーゲンで体を維持しているのでしょう。なので、そこに目を付けて石鹸に配合してみたら、上手くいった。それだけです」
「それだけですでは済まないよ。これを製品化したら結構なハレーションが起きるだろう。見た目で直ぐに分かるだろうから、黙っておくのも無理がある。明日王都に行ったら、早速商業ギルドに登録するとしよう。ヴェル君は王族への手土産として、何か製品を作ってくれないか?」
「分かりました。何か作ってみます。ところでこの近くに石鹸の工場はありますか?」
「あるが、それがどうかしたのか?」
「石鹸を作る過程で、グリセリンという副産物が出ると思うのですが、そちらが欲しいのです」
「分かった。エルド。悪いが買って来てくれないか?グリセリンは薬品扱いだが、一般でも買えるからな」
グリセリンで通じるとはね。コラーゲンもそうだが。何故かは知らないけど呼び名が同じようだ。と言うか、エルドさん…食事中なのに買いに行かされるのか。悪いことしたな。
まあ、グリセリンが手に入るなら化粧水を作って献上しよう。硫黄も手に入るとの事だったので、ついでにお願いした。硫酸など作れば役に立つからだ。
ややあって、エルドさんが戻って来た。
「お食事中に買って来てくれて、ありがとうございます」
「いや、こんな事ならいつでもどうぞ。旦那様、野盗のアジトの件なんですが、人質も野盗の仲間も居なかったと連絡がありました。金品が大量にあったそうですが、その対応はどうされますか?」
「ヴェル君、金品は君の物だがどうしたい?」
野盗から取り返した金品は取り返した者が自由にしていいと言う事だが、正直10歳児の自分には持て余してしまう。
「持ち主が分かる物に関しては返してあげて下さい。行き場の無いお金は孤児院に寄付して下さい」
「ヴェル君らしい答えだね。まだ正式には決まっていないから話しをしていなかったけど、このコラーゲンの件を置いといたとしても、経口保水液、消毒液、マスク、生理的食塩水と、これだけでも君は一生遊んで暮らせるお金を手に入れることができるだろう」
そう言われてもピンとこない。大金持ちになるのはいいけど、子供の俺にどうしろと言うのか?
「一生遊んで暮らせる大金を手に入れるのは嬉しいのですが、使い道がいまいちわかりません。どうしたらいいのですか?伯爵閣下と家族に半分づつあげるとか、孤児院に全額寄付とかって無理ですよね?」
「無理に決まってるだろう。家族のことはともかくとして、私はお金には困っていない。それに、孤児院に多額の寄付なんかしてみろ、教会が着服する可能性だってある。身に余る大きな金や地位は人を惑わす。決めかねているのなら陛下に相談するがいいさ」
「そうですね。そうします」
「それにしてもヴェルらしいわね。全額寄付だなんて」
「だってさ、使い道が思いつかないんだもん。溜めておく死に金より、経済を回したり、人の役に立つお金の方がいいと思うんだよね」
「死に金か」
「ええ。溜め込んでも使い途に困ります」
「まったく子供らしからぬ、いい言葉を使うもんだな。それでは、君達二人はもう部屋に行きなさい。王族に献上する品も作らなければなるまい」
「はい。それでは先に休ませていただきます。ごちそうさまでした。おやすみなさい」
部屋に戻ると早速化粧品の調合に入る。温泉効果も期待してそのお湯に溶かしてシェイクした化粧水を顔に塗ってみる。
「これは照かり過ぎかな。少しコラーゲンとクエン酸の量を調節してみるか」
ぶつぶつと独り言を言いながら何度か試行錯誤すると満足するものが出来上がった。
「この化粧水って言ったっけ?どんな効果なの?」
「保湿成分だから、僕達みたいな子供には効果が薄いかも知れないね」
「そっか。それじゃ私はこの髪の毛専用の石鹸水だけでいいわね」
「うん。それで充分だよ」
そんな話をしながらついでにリンス・イン・シャンプーの開発もした。それをジュリエッタに渡すと大喜びだ。
「これ、お父様に渡してくるね。どうせなら全員髪の毛、艶々で王都に行きましょうよ」
「ジュリエッタがそうしたいのなら構わないよ」
それから、配合のレシピと効能を紙に書き留めておく。商業ギルドの登録に必要らしい。
ジュリエッタが伯爵に、リンス・イン・シャンプーを渡して戻って来ると、伯爵達も試してみたかったと笑っていたようだ。みんなにも気に入って貰えて良かった。
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