第20話


ジュリエッタの母と一緒に通路に出ると、ジュリエッタの母は行く方向に手をやってから歩き始めた。


「それにしてもヴェル君、君は何者?旦那と娘だけでなくて、冷静な判断をしようと警戒してた私までコロッといっちゃったけど」


『中身はそれなりに人生経験のあるおっさん転生者で、ここでは周りがみーんな若造とひよっこだからな。そりゃ余裕も出るわ。騙そうとかそう言った悪意が無いから遠慮してないだけだよ』


「気の利いたことを言えず申し訳ないのですが、何者かと聞かれれば一代男爵家の子息の10歳児としか申し上げれないのですが」


「ふふっ。じゃあ子供なんだからもっと子供らしく話をしなさいな。それに、私達は既に家族なんですから、私の事をエリザベートと呼んでくれて構わないわよ」


ジュリエッタの母は笑顔でそう言うが、もう家族扱いとは、いささか気が早いんじゃないか?屋敷の従者達にすら周知もまだじゃないか。


「他の者に聞かれたら、それこそ示しがつかないと思うのですが。不敬罪で罰せられる案件ですよ」


「あら、それにしてはジュリエッタを呼び捨てにするのはいいのね?」


そう言われると非常に困る。


「それは本人が望んだ事ですし、伯爵閣下にも了解を得ています」


「私も望んでいるし、それじゃ旦那の許可があればいいのね?」


「専属騎士の件もそうですが、外堀から埋めるのはやめてくださませんかね」


「言いえて妙って言ったところかしらね。揄えるのが本当に上手ね。まっ、言質は取ったから旦那が許可したらエリザベートと呼んでもらうからね」


「わかりましたが、伯爵閣下のお許しが出てからですよ」


「分かってるわよ。それにしても話しているとあなたが子供なんてまだ信じられないわね」


「見た目のまま子供ですから、勘弁してください」


『そろそろこの話題は終わりにしたい。ボロを出すつもりはないけど、うっかり調子に乗ったらヤバいからな~』


その後、執務室に通されるのだが、机の上に鬼のように積みあがげれた書類が目に入る。千枚はあるか?山だよ山。


「えっ、これ全部ですか?」


「ええ。分かる書類と分からない書類は分けておいてね。種類別に分けてくれると嬉しいかな?」


執務室の周りを見てみると、壁には領土だけが書かれた地図と書棚、机が4つ、各机にはインク、万年筆、文鎮、滑り止めに使うゴムの板が置かれていた。


「ここにある筆記用具は好きなように使ってもいいですか?」


「もちろんよ。紙も机の引き出しにあるから、好きなように使ってちょうだい」


「ありがとうございます。では、サインをこの紙に書いて下さいませんか?」


「いいけど何をするつもりなの?」


「それは上手くいってからのお楽しみです。それでは早速始めますね」


「あまり無理をしないでね。倒れたりしたらジュリエッタに怒られるから」


知恵熱的なものなら分かるが、頭を使って倒れる事なんてあるのかな?


「できる範囲でやりますが、まだ子供なんですから過剰な期待を持つのは止めて下さいね」


「ヴェル君のように優秀な10歳児がまだこの世にいるのなら見てみたいわね。それじゃ宜しくね」


伯爵夫人はそう言うと、軽く手を振りながら執務室から出て行った。丸投げかな。丸投げですよね。一人になり山と積み上げられた書類を見てため息をつく。


『いいとこ見せようとして頑張り過ぎたかな。自重するべきだったかもしれないけど、目の前で暗算しちゃったからな、今更出来ない振りというのもなあ~』


とりあえず机の中に仕舞ってある椅子を出してみたけど自分の身長に合ってない。当たり前か。子供用に作られているわけ無いんだからな。


椅子に高さ調整が無いかと見てみるが、そんな便利な機能は無かった。仕方無く応接用のソファーに書類を運んで、ソファーに腰掛けると作業に取り掛かった。


ソファーに腰掛けると何から手を付けたらいいのか迷う。書類を机から少量運んでから書類に目を通すと、決済書が多くサインをする箇所が多い。


無論、印鑑なんて無いので、全ての署名を手書きでサインしなきゃいけない。無ければ作ってもいいだろうと、先ほどサインをして貰ったところにゴムの板を乗せて、転写をしてからナイフで彫り始める。


インクがまだ乾いていないのでふたつほど型を取った。


転生前の小学生の頃に、消しゴムでスタンプを昔に作った経験を活かす。


彫刻刀があればいいのだがそんなものはない。ゴムは滑り止めに置いてあったマットから切り出して、ペーパーナイフは机の引き出しにあったのでそれで代用する。


文字は細かかったのだが、常日頃の鍛錬で筋力を上げたおかげで、豆腐のようにサクサク作業は進んで10分程でスタンプが出来上がったところで丁度ジュリエッタがやって来たので、さっと、バレないように机の引き出しにスタンプを隠した。どうせ説明するなら伯爵夫人と一緒の方が効率的だからだ。


「手伝いに来たわよ。私にできる事があったら何でも言ってね」


「ジュリッタ、この書類の山の中から計算が必要な書類を抜粋してくれないか?出来たらでいいんだけど、書類に目を通してサインをするのもは別に並べてくれると助かる」


「うん。分かった。やってみるね」


「頼むよ。これが終って給金が貰えたらさ、どこかに美味しい物を食べに行かない?」


「んっ?デートのお誘いかな?」


あまりにもジュリエッタが嬉しそうな顔をしているので、物で釣っているようで良心が痛む。何事もモチベーションが大事だから許して欲しい。


「ま、そんなところかな。手伝って貰うんだ。一緒に楽しまないと不公平じゃない?」


「うふふ、やったね。それじゃがんばるよ」


ジュリエッタの仕分した数列の計算から取り掛かる。さすがは伯爵家だけあって各領地ごとの税金の計算が多い。3月、4月は時期的に見ても決算月なのだろう。


ジュリエッタに仕分作業を手伝って貰ったが、思っていたよりも枚数が多くて大変だったので話し合った結果、文官を呼んで手伝って貰う事になった。


その間にスタンプ台を作る。ゴムの板に布を巻いただけであるが、なかなかいい感じに仕上がった。


それから一人で仕分をしながら暫く経つと、ジュリエッタはフォーマルスーツに黒ぶち眼鏡を掛けた女性を連れて戻って来た。


「初めまして。私はこの屋敷で文官長を任されています、レイニー・ラングレンと申します以後お見知り置きを」


「僕は、伯爵夫人から仕事を任された、ヴェルグラッド・フォレスタと申します。ヴェルと呼んで下さい」


「こんな子供に執務を任せるとは驚きを隠せません。失礼ですが坊ちゃんは、おいくつですか?」


レイニーさんは大きな溜息を吐くと、怪訝的な顔をしてオレじっと見る。


「レイニー、いくら何でもヴェルに失礼よ」


「失礼を致しました。お気を悪くなされませぬよう」


『まあね、10歳児に領地経営の税務処理を任せるなんて正気の沙汰じゃないよ。レイニーさん、あなたの意見は100%正しい』


「ジュリエッタ、当然の反応だと思うよ。まずやってみてからでいいんじゃないかな。とりあえずレイニーさん、計算をしなくちゃならない書類を僕にもらえますか?答えを言いますから書類に書き込んでください」


「畏まりました。でも申し訳ないんですが直接書き込む前に、安心材料が欲しいので一枚だけでも計算をしていただけませんか?」


「ですよね。それで信用が得られるのなら。それじゃ一枚書類を下さい」


疑わしげな表情で書類を渡されたので、そのまま秒速で計算した。


「答えは、571,917です。合っているか答え合わせして下さい」


「ヴェル、あなた凄すぎるわ。あなたの脳みそがどうなっているのか見てみたいわよ」


「さらっと怖い事を言うね」


レイニーさんは、計算を始め2分以上掛かって答えがようやく出ると、答えが合っている事に「あっ合ってる」と目を白黒させて驚愕をしていた。


「ねっ。ヴェルは凄いでしょ。お母様のお墨付きなんだから」


『さっきも思ったけどなぜジュリエッタがドヤ顔なんだよ。婚約者扱いになったからなのか?解せぬ』


前世の倫理観から見れば異常だが、何となくだがもう慣れて来た。


レイニーさんは不安がなくなったのか?それから三人で書類の仕分を終えると怒涛の計算ラッシュが始まる。次々答えを読み上げる俺に対して、数字を書く二人は追いつくのがやっとだ。


それから約1時間が過ぎると、机にあった書類は1/3程度になっていた。のべ半世紀も前の話だが珠算教室に行ってて良かったと思った瞬間だった。


「それにしても凄すぎます。普通人を集めて1週間は覚悟しなければならない仕事量をたったの1時間でここまでやるなんて…ひょとして計算スキルをお持ちでは?」


「そんなスキルがあるわけないじゃないの。あったら宰相にだってなれるわよ。それに15歳までスキルが使えないのは知っているでしょ?」


もうその理論は論破したけど、普通の人は知らないからね。


「だからこそ信じられないのですよ。お嬢様の言う様に頭の構造がどうなっているか知りたいですわね」


「レイニーさんまで揶揄うのは止めて下さいって。コツと鍛錬を積めば誰だって出来ますから」


「出来たら誰も苦労しないよ。お母様がヴェルを側に置きたい気持ちが分かったわ」


「それにしても頭が疲れた~。甘い物が食べたい~」


「ちょっと待って、用意をして貰うわ」


そう言うと、ジュリエッタとレイニーさんは執務室から出て行った。


「それにしても、これで2/3が終ったぞ。書類の山が計算ばかりで助かったよ」


数字が書かれた決算書の合計を見てみると、その領地で得られた収入が分かって面白い。


執務室に貼られた領地の地図を見て、それを紙に写して簡単な、棒グラフ、円グラフ、折れ線グラフをを作ってみる。


各領地の税収に当て嵌めてやると、一般財源の税収は3公7民と言う事が分かり主食である小麦、酒に使われる大麦の収穫が多い事が分かる。船便があり漁獲高が多い、じいさんの領地はその中でもトップだった。


それから各種野菜、果物、肉、冒険者ギルドが支払う税金なども書かれていてこれがなかなか面白い。


魔石の買取額や、それを道具屋に売った金額、魔物の毛皮や牙など詳細に書かれていて興味が沸く。


「しかし、こうして見ると、冒険者ギルドが支払う税金が多すぎるな。暴動がよく起こらないな」


ジュリエッタ達が紅茶とクッキーを持って戻って来たので、その事について聞いて見ると、迷宮がある領地では、ずば抜けて収税が多いそうなので、迷宮で得た税金は全て国に治められる税だそうだ。迷宮の有無で領地の税収が変わると公平ではない。


つまり迷宮で得た税金は日本でいうと国税で、全てではないだろうが、その他で得た収益は地方税という認識でいいだろう。


ギルドから得られた税収はインフラや冒険者の保険のような物に使われるそうだが、そのやり方は正しいと思う。


レイニーさんが、各種のグラフに目を落とすと、説明を求められたので簡単に説明をした。


「税収の統計をこんな形で手法など聞いた事も見た事も無いです。これを応用すれば、数年ごとにやってくる飢饉や災害の対策も練りやすくなりますね。計算についてもそうですけど、ヴェル殿は本当に人の子ですか?」


「間違えなく人の子ですよ。真っ赤な血が流れていますから。僕の親が聞いたら泣きますよ」


「確かに。失言でした」


レイニーさんは頭を下げるが信じられないと言う顔をしたまま溜息を吐く。早くこの話題から離れたい。


「それにしても迷宮か。早く行ってみたいな~」


「そのうち学園で嫌ってぐらい行く事になるから、それまではお楽しみを取っておくべきよ」


「ヴェル殿は学校に行くのでしょうか?ここまで教養があれば行く必要が無いと思いますが?」


「子供の夢を壊さないで下さい。友達作りも立派な教育の一環なんですから」


「そうですか。私が教師なら絶対に拒否します。自分より有能な教え子なんてぞっとしますよ。それに会話が噛み合わないと思います」


そうは言っても俺が書いた小説では王都の学園に入ることになっている。夢でもちらっとだけど見た事があるから間違いないだろう…自信が無くなるよ。


それからクッキーと紅茶を頂いて休憩後、残りの書類の計算を約1時間で終らせた。時間が掛かったのは、二人の腕が疲れてペースが落ちたからだった。


俺も腕が痛いので、ジュリエッタの治癒スキルで何とでもなるが、今は言えないのであとでこっそり癒してもらおうかな。


「あ~終った。2時間で終われて良かったよね」


「計算するよりも、数字を書く方が時間が掛かるなんて思いもしませんでしたよ。間違えて書いたらそれこそ無駄になりますから…それでは私は奥様を呼んで参りますね」


レイニーさんは呆れ口調でそう言うと部屋から出て行った。


「私は飲み物を用意してくるわね」


二人とも部屋から出て行ったので、先ほど隠しておいたスタンプを出すと、念のために確かめ暗算でダブルチェック。サラリーマン根性はなかなか抜けそうもない。


やや時間が経つと、ティーポットを持ってジュリエッタと一緒に伯爵夫人とレイニーさんが一緒に部屋へやって来た。


「間違えが無いか確かめめましたがバッチリでしたよ」


「そこまで…終ったって聞いてたけど、これ全部が本当に終って確かめたの?私のひと月分の仕事よ」


「私も驚きましたよ。まるで答えを知っているかのように、数字を見るなり答えを言うんですから文官長として立つ瀬がありませんよ」


「ジュリエッタとレイニーさんが手伝ってくれたからですよ。適材適所ってやつです。それとこれをどうぞ。これからお役に立つ筈です」


そう言って綿にインクを染み込ませたスタンプ台と、サインのスタンプの使い方を説明した。


「本当にこれは凄いわね。本当にヴェル君の発想にも驚かされるわ。こんな優秀な子を見つけてくるなんてジュリエッタ。でかしたわね」


「ふへへ…でしょ」


それを本人の前で言いますか!それにハンコのパクりだとは言えないからな。うん、何も言えねー

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