第19話

ジュリエッタが扉を開けると「お母様、ヴェルを連れて来たよ」と言って部屋に入って行った。


ジュリエッタの後に部屋に入ると、ジュリエッタに良く似た、赤い髪の見目麗しき女性がベージュのマタニティドレス姿で赤ちゃんに授乳していた。


って授乳は終わっていたんじゃないのか!今は子供であるが恥ずかしいったらありゃしない。


そう、ジュリエッタの母親は思わず拝みそうになるぐらい美乳だった。大きさ、形、感度もいいのかな?って、オレはいったいこんな時に何んて事を考えているんだ!!いかんいかん。すぐに視線を外さなければ。


そう思った俺はしっかりガン見してから視線を外し深呼吸する。ジュリエッタも将来の成長に期待大だ。「結婚する時には母親を見るべし。20年後の姿だ」とはよく言ったもんだ。


「お初にお目に掛かります。お嬢様からご紹介に預かりました、ヴェルグラッド・フォレスタと申します。挨拶が遅れた事を深くお詫び申し上げます」


左足を引いて、手を胸に当て、そして出来るだけ優雅に見せるように挨拶をする。


貴族社会において礼儀作法は重要なものである。武芸の鍛錬、政治の知識など、様々な分野も無論大事ではあるが、第一印象が悪ければ話も聞いてはくれない事も度々あるそうだからな。


なので自分自身も幼い頃から、頭を下げる角度、タイミングなどの練習を重ねた。その集大成が今の自分の挨拶である。前世がサラリーマンだったから差異を埋めた程度だけど…


「噂には聞いていたけど驚きだわ。入って来た時は顔が強張っていたのに、その落ち着きように言葉の言い回し、それに礼儀作法、あなた本当に10歳なの?ジュリエッタも異常だと思っていたけど、あなたは更に上を行くのね。ヴェル君とお呼びしていいかしら?」


「はい。お好きなように呼んで頂いて結構です。いつも伯爵閣下やお嬢様には目をお掛けいただいて感謝をしております。これからもどうぞよしなに」


先ほどの雑念は緊張だと捉らえてくれたようだ。子供で良かったよ。


「もう普通に話していいわよ。はぁ~、噂って尾ひれ背びれがついて普通はがっかりすることが多いのだけど、ヴェル君は噂以上ね。ジュリエッタ、あなたの専属騎士はヴェル君で文句はないわ。合格よ」


「やった。流石はヴェルね。小難しいお母様を一発で認めさせるなんてね。こんな事ならもっと早くお母様に紹介をするべきだったよ」


「ちょっと~。あなたそんな風にお母さんの事を見ていたの?」


「お母様も私の事を異常だと思っていたんでしょう?おあいこじゃないの。それよりもヴェル。私の弟のウェールズよ。かわいいでしょ?」


ジュリエッタは満面の笑みを浮かべながら、赤ちゃんの頬をぷにぷにと押す。


「それにしては、今日ヴェル君を迎えにいくと言ったら、ウェールズの世話を放りだしてまで行くと泣きついていたじゃないの?行っていいって言った時のあなたの顔を忘れられないわ」


「へ~。そうなんだ~」


「あら?そう?そんな昔のことはもう忘れたわよ」


鳴らない口笛を吹こうと口を尖らせてフーフしている。出来ないのならよせばいいのに…


「そんな事よりヴェル君、本当にジュリエッタに決めていいの?専属騎士になると言う事は結婚の約束、つまり婚約と同義扱いになるのよ?」


「えっ!!婚約なんて、そんなの聞いてません。本当の話なんですか?」


「ええ。未婚者が専属騎士になった場合はね。お互いにいつも傍にいて命を懸けて守るのですもの。ある意味で夫婦よりも絆は深いのよ」


「ジュリエッタは本当に僕なんかでいいのかい?」


「もちろんよ。ヴェルなら文句はないわ。何度も好きだと言ったじゃない?」


『軽いノリって言うか、子供同士の事だからLikeだと思っていたがLoveだったんかよ!』


もうこうなると青田買いと言うより、見初められたと言ったほうがしっくりくる。若干狼狽うろたえながらジュリエッタの顔を見るが、より満面の笑みである。ジュリエッタは最初からこうなる事を望んでいたようだ。


ここで一発ギャグをカマシて誤魔化す事も考えたが、そんな雰囲気でもない。なんだ、このピンク色の空気!


ジュリエッタの事が好きか嫌いかと聞かれたらもちろん好きだ。あの夢で死んでしまったヴェルとは明らかに違う人生を歩んでいる。でも、いったいどうしてこうなった。


そうは言っても、答えを早急に出さなければならない。ここまで来て今更茶を濁すなど出来る筈もない。覚悟を決める。


「はい。お嬢さんの隣にいても、恥ずかしくない大人になれるように努めて参ります。ですが、事が事だけに返事は少しお待ちいただいても宜しいでしょうか?」


「えっ、なんで?ここまできて何か問題があるの?」


ジュリエッタは頬を膨らませてかなり不満気だ。


「そうじゃないって。肝心の伯爵閣下がどう言うか分からないじゃないか?それに僕の両親にも許可を貰わないと」


「ああそれね。それなら心配無用よ。もう関係者全員に許可は貰ってるから」


「えっ、お父様とお母様にもですか?」


「ええ。そうよ。これを見る?あなたの両親からの承諾書よ。文面を見てごらんなさいな。もの凄く乗り気だから」


承諾書を見ると、


【この良縁を喜んでお受けします。 アルフォンス・フォレスタ】


【息子はまだ10歳と、まだまだ至らない面が多々ございますが、どうぞ息子の事を宜しくお願いします。 グレース・フォレスタ】


と、見覚えのある筆跡で書かれている。


『何たる茶番で出来レースなんだ!知らぬは俺だけだったなんて!この歳で外堀を埋められるなんてありえね~だろがよ!』


そんな心の声など誰にも届く筈も無かった。


いきなり専属騎士になると言うのは、独身者の場合は婚約と同じ扱いになると告げられた俺は、気持ち抵抗はあるがジュリエッタの用意周到な策略になす術もなく敢え無く白旗を上げる。


「分かりました。誠心誠意尽くす事を誓います」


「そんな訳でヴェル君、これから宜しくね。あ~なんだか肩の荷が降りた気がしましたよ。ジュリエッタに見合う同じぐらいの歳頃の婚約者なんて、絶対にいないと思っていましたからね。そてに上級貴族相手に阿った感じはないしね。私からの好感度も高いわよ」


「えっ、相当話を盛られてませんか?それって?」


「盛ってないわよ。誰に教わった事も無いのに、勉強は家庭教師より上で教養は既に貴族レベル、神童と呼ばれてもそれに奢らず常に向上思考、礼儀作法や言葉遣いは貴族並み、しかも、かわいい歳下。こんな条件のいい男の子なんて、存在自体が奇跡よ」


ジュリエッタはまるで自分の事を自慢するように言ったあとに、ドヤ顔をしてこっちを見ると思わず溜息を吐く。中身がおっさんだからとは言え、控え目に言っても盛り過ぎだよ。


「それは僕が自分に自信が無いから努力を常にしているだけで…」


「だから、それがヴェルの凄さじゃない?普通なら現状で満足して終わりか、傲慢になるかどちらかだわ」


「ジュリエッタの言うとおりね。少しヴェル君の算術の実力に興味があるわ。今から読み上げる数字を計算してみてくれないかな?」


「意図がまったく読めませんが、やってみます」


そう答えると、ジュリエッタの母は机に置いてあった紙を取り、まるで珠算教室の読み上げ暗算のように、書かれた数字を読み上げる。


「その答えは?」


「315,391ですね」


数字を覗きこんでいたジュリエッタも指で数字を指して驚く。


「合ってる……何で出来ちゃうわけ?ありえないわ。家で雇っている文官でも紙とペンを使わずに答える人なんていやしないわ。ヴェル君、騎士なんかやめて私専属の文官にならない?給金なら文官の倍、いえ3倍払うから、ねっ、お願い」


伯爵夫人は、赤ちゃんを抱えたまま片手で俺の手をって、真剣な目をして説得する。すると、ジュリエッタが顔色を変えて叫ぶ。


「お母様、私のヴェルを取らないでよ!」


ジュリエッタが涙目でそう訴えると、伯爵夫人は慌てて掴んでいた手を離して申し訳なさそうな顔をする。


『なぜ自分のの母に敵対する…それにしても私のヴェルって、照れるじゃないか。中身がおっさんと知ったら二人ともどんな反応をするんだろうか?』


「ジュリエッタごめんなさい。つい感動して本音が口に出てしまったわ」


『それにしては具体的な数字を出していたじゃないか?食えない親子だよまったく。美人と美女親子だと得だな。あの調子で頼まれたら断れるやつはそうそういないだろ…』


「ひとつ提案なんですが、陛下に謁見するのに準備に時間を頂くつもりなので、僕がこの屋敷にいる間は文官としての仕事を手伝うというのはどうでしょう」


見兼ねてそう言うと二人は「「その手があったか」」と、口を揃える。親子だなまったく。


「その話、乗ったわ。お給金は出来高払いでいいわね」


「とんでもない、お金なんていりませんよ」


「駄目よ、働いたらお金を貰う。それが社会のルールだからね」


これ以上断ると、機嫌を損ねかねないので受け取ることにした。


「分かりました。それでお願いします」


「交渉成立ね。それじゃ、私が産休でいなかった間に溜まった書類の整理をお願い出来るかな?」


「はい。がんばります。その書類はどちらにあるのでしょうか?」


「ジュリエッタ。ウェールズを少しの間、見ていてくれる?」


「はい、お母様」


伯爵夫人は、授乳中に寝てしまった赤ちゃんをジュリエッタに渡して、マタニティードレスを直すとピンク色のカーデガンを羽織った。その昔、友人に子供が生まれた時に見舞いに行った事があるが、似たような感じで随分と懐かしい。


「それじゃ、ゲップが出るまでお願いね。出たら寝かせてくれたらいいから」


「分かったわ。私もヴェルを手伝うから、用事が済んだら直ぐに戻って来て」


「分かってるわよ」


そう言うと夫人は早速ドアに向かって歩き出したので慌てて後を追った。

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