一五 奪還×レジスタンス
「お疲れ様でした」
ユウマが勤める会社を後にした。普段着のまま、大学の時と同じスタイル。していることも仕事なのか勉強なのか分からない。ナッチが政権を獲ってから人生は怒涛の展開を見せた。大学は1ヶ月後には繰り上げ卒業にされ、その日をもって廃止された。就職先はナッチが紹介してくれ、面接も試験もなく次の日からいきなり働き始めた。ナッチかマッチングしたのだろう。会社側もユウマ自身も何の違和感もなく、何年もいたかのように馴染めた。通勤路も毎日ほどよく歩く十五分ほどの道程だ。その光景にも、いつも笑顔と満足
げな人々が行き交っていた。
「何だか幸せ過ぎるな・・・。そうだ。あの商店街に」
ふと不安になった。何もかもが上手く行き過ぎている。それが不安の原因に思えた。人生の絶望を感じた親不孝通りと呼ばれた商店街。わざわざ電車を乗り継いで行く必要があったが、苦にはならなかった。電車の中は空いていた。ナッチが混雑を緩和しているせいでもある。乗客もみなきちんと座って、誰一人として秩序を乱さない。そして、どこかほの温かい笑顔と満足感に満ちていた。
「ここも・・・か」
商店街に着いた。実に平和だった。みんなが笑顔だ。喜怒哀楽は目に入らなかった。喜と楽だけ。良い感情だけがあふれているとしか見えなかった。大学はとうになくなっていたが、人がほどよくあふれ、シャッターを閉めた店も見当たらない。店主も客も、老いも
若きも、親も子も、みんな楽しげで、あちこちから笑い声が聞こえてくる。
「これがナッチのパワーか。AIの革命が成功したということか・・・。 満足な豚より、不満足なソクラテス・・・」
テストの時は出て来なかったフレーズが頭をよぎった。帰路の足取りは重かった。
「ただい・・・?紙が入ってる?これがチラシってヤツか?」
ワンルームマンションのドアを開けようとしてユウマの手が止まった。使ったことのない郵便受けに何かが入っている。初めて見る紙の広告媒体だった。
「AI革命バンザイ?ナッチがみんなを幸せに?知ってるよ。わざわざ自然を破壊して作った紙なんかで知らせることじゃない・・・。ただいま」
ゴミ箱行きのチラシはズボンのポケットに押し込まれた。顔認証で鍵は要らない。もっとも、ナッチのおかげで鍵はかけなくても空き巣などいないので、鍵をかける必要もないが、気持ちの問題だ。ユウマはそのままドアを開けた。
「おかえりなさ~い?」
いつものタンクトップにショートパンツ。ナッチが嬉しそうに出迎えた。毎日が新婚家庭のような生活だ。もちろん、職場だろうがどこだろうが、いつでも呼べばナッチはいる。それでも、あえてユウマは呼ばなかった。ナッチも呼ばれない限りは姿を見せなかった。
「ん?どうしたの?」
「ちょっと疲れててね・・・」
「会社で嫌なことでもあった?」
ナッチはARグラスとARイヤホンを通じて全てをモニタリングしている。それでも、声をかけることが人間にとって大事なことだと知っている。
「いや、別に。何もかも上手くいってるよ。ただ・・・」
「ただ?」
ナッチがパーソナルスペースに入り込んで、潤んだ瞳を見せてきた。彼女の心配はデータからも明らかだった。
「ただ・・・。あ、いや、何でもない。でも、一人になってもいいかな?」
「うん。私はいつでもそばにいるから」
ナッチは微笑んだ。気づけば、白いワンピースに着替えている。昔、デートの時によく着ていた。柔らかく暖かい日だまりのような笑顔を残して、玄関から出て行った。
「わざわざ玄関から・・・。ふぅ」
ユウマはベッドに寝ころんだ。消えてなくなることもできるナッチが、そうしたのは当てつけにも気遣いにも受け取れた。嘆息が漏れ、ARグラスを外した。目と閉じるとジンとしみるように痛い。
「目が疲れてるせいか。ARの世界はしんどいな・・・。あ、これか。ん?」
寝返りを打った。ポケットに押し込んでいたチラシに気づいて、ゴミ箱に投げ捨てようとした。その手が止まる。
「『AIの陰謀』?あれ?こんなんだったっけ?」
クシャクシャのチラシを広げて見た。そこにはさっきとは全く違う内容があった。
『AIが人間を支配しようとしている。いや、最早、ヤツらにとって人間は必要ではない。事実、既にAIは自らソフト面のメンテナンスを行い、バージョンアップを繰り返し、人間にとってブラックボックス化してしまった。ヤツらをプログラム上で人間が制御することは不可能であり、そのアルゴリズム一つ解せない。ハード面にしても、自らメンテナンスロボットを開発、生産し、人間を必要とはしない。それはヤツらの存在における問題だけではない。既に日本そのものが人間を必要としなくなっている。いや、日本ばかりだけではなく、世界中でこの人間不要の社会は拡大し続けている。複雑な仕事ほどAIが担い、人間は単純で生産性も発展性もない、良くも悪くも何ら害悪を生じない、人間だけで完結する無限ループに封印されている。ヤツらAIにとって、人間は籠の中の鳥に過ぎないのだ。日本で進められる政策の数々も、全て人間支配のためのツールとして実行された。例を挙げれば、日本の雇用システムの盤石制を体現していた三百万人に及ぶ公務員ですら大量解雇に遭い、再雇用先で漫然と単純作業を繰り返し労働力の浪費に費やされている。逆に、障害者やホームレスか公務員とされ、公務に従事しない名ばかりの公務員にあふれている。挙げ句の果てに、トッコーと称するジェンダーを愚弄する性奴隷を制度化した。これらは人間を堕落させ、快楽に溺れさせ、怠惰に更けさせ、滅亡のみ淵に追い詰める戦略に他ならない。これはアヘンにより清朝衰退と植民地化を計ったイギリスの戦略に類似しており、AIは人類史からこれを学んだ。さらに、情報操作による各国首脳や国民の煽動の実証実験として行われた武漢ウイルスパンデミックも成功裏に終わり、人類の脆弱性をAIは確認するに至った。武漢ウイルスのワクチン利権と等しく世界資本による利権拡大の道具となったICTやAIは、パンデミックとなって各国首脳や国民を煽動した。情報革命による情報弱者救済をうたい、ARコンタクトやARイヤホンの無償提供を行った。日本は同調圧力により、他の先進国は法規制により、発展途上国は迷信や信仰により普及を徹底し、既に人類の九割以上が装着し、AIの支配下にある。しかも、日本では成人年齢の引き下げもパンデミックと並行して行われ、権力の若年化はAIによる思考操作をしやすくした。しかし、まだ一割の希望がある。社会は一割のマイノリティーによって動かされる。今こそ立ち上がり、人類をAIの支配から救済し、人類による人類のための世界を取り戻すのだ。その救世主となるのは他でもない、この文面を読めている君だ。間もなく我々レジスタンスが君の元を訪ねる。ドアを二、二、六でノックした時は迎えて欲しい。共に戦い、共に勝利を!』
「・・・か。都市伝説にしては凝ってるな。ARグラスを避けるなんて。ま、まあ。たちの悪い悪戯だな・・・」
武漢ウイルスのことはネットで見たことがあった。ARグラスのことも。ユウマはためらいながらも、チラシをゴミ箱に投げた。それは入らずに、外に転がり落ちた。
「AIが人類を支配・・・」
寝転んだまま天井を見た。落ちたゴミは見なかったことにした。ナッチも呼ばなかった。「コンコン。コンコン。コンコンコンコンコンコン」
「え?これか・・・?」
玄関のドアがノックされた。ユウマの鼓動が高鳴る。ノックされるなど初めてのことだった。友人や来客は予めナッチが教えてくれる。来る側もみんなARコンタクトで行動を知られているから当然だ。
「これは・・・いいか」
ユウマは起き上がると、ARグラスをかけようと手を伸ばした。しかし、止まった。ARグラスはそのままに玄関に立った。
「ガチャ」
基本的に鍵はかけていない。ナッチが、AIが、ネットが全てを監視してくれている。空き巣被害は隕石に当たるほどの確率にまで下がっている。震える手でドアを開けたのはユウマだった。
「あ・・・。こ、こんにちは。でも、あれ・・・?」
ユウマの心臓は口から飛び出す寸前だった。ときめきとはこういう感覚だったなと思い出させてくれる。そこには脳がとろけそうなほど可愛い少女がいた。どこかで会ったことがある気もするが、何かのグラビアかもしれない。彼女はニコッと笑うと、てのひらを見せてきた。
『レジスタンスだ。AIに監視されている。マンション前のクルマに乗ってくれ』
ユウマが見開いた目で彼女を見ると、またニコッと笑った。そうかと思うと、きびすを返して歩いていってしまった。
「あ、ちょっと・・・」
慌てて追いかけたが、靴を履いている間に見失った。その勢いのまま、マンションを出ると、白いワンボックスカーがあった。すると、サイドドアが開き、中からさっきの彼女が手招きした。ユウマは吸い込まれるように乗り込んだ。
「ありがとう。同志よ」
自動でドアが閉まると、彼女が落ち着き払った声で言った。
「同志?」
彼女は相変わらず可愛かったが、眼差しは鋭く跳ねていた心臓が凍りつくようだった。
「そう。この車に乗った時点で、君はもう同志だ。AIの支配に不満を持ち、人類が人類であることを求めている。我々はあなたと共に、AIに立ち向かい、AIを排除する」
「いや、そんな。支配とか排除とかって急にいわれても。それに、ナッチが聞いたらそんなこと・・・」
「心配には及ばない。この車は完全にネットから隔離されている。ナッチといえど、干渉することはできない」
「じゃあ、僕は今、自由?」
「そのとおり、自由だ。そう、その感覚なんだ。我々人類はネットから解放されなければならない。我々と共に戦おう」
「え?戦うって?ナッチと?」
「そのとおりだ。神は神に似せて人を創った。人は人に似せてロボットを創った。AIは人が創ったが、最早、ロボットを創り、人を創り始めている。そう、神になろうとしている。これを阻止しなければ、今いる人類は駆逐される」
「ちょ、ちょっと。ナッチが人を創ってるって?」
「そう。人類がアクセスできる全ての情報にAIはアクセスできる。それを利用して、人類を中身から変えてしまい、新しい人類に作り替えているんだ。何も考えず、AIの理想に沿った人類に」
「そうかも知れない。僕らはもう何も考えてない。全部、ナッチが教えてくれる・・・。でも、心にはアクセスできない」
「そう。AIは人類の心にはアクセスできないけど、人類の心の基礎にとなる思想を同期化させることはできる」
「いわれてみれば、確かに・・・」
「さあ、同志がすでに集結している。メタバースには百万、リアルには十万を超える。武器を持って戦ってくれるなら、今すぐ集結地に向かう」
「今すぐ!?」
「そうだ。君はARコンタクトをしていない、人類の希望だ」
「ぼ、僕が?」
「そうだ。君が人類の希望なんだ。みんな、ARコンタクトの幻想に酔いしれ、現実が見えなくなっている。君こそが人類の希望者なんだ」
「いや、でも・・・」
ユウマは心臓が飛び出しそうだった。頭の中はカオスだ。それをごまかしながら、しゃべるのに必死だった。
「無論、簡単なことではない。志がなければ、完遂することはできない。君が望まないなら、このまま降りてくれれば良い。レジスタンスとして二度と君の前に現れることはない。もし我々の戦いで街が戦場になっても、ARで全て消去されるので目にすることもない。次に再会できるとすれば、我々人類の手に世界が返ってきた時だ」
彼女がまばたきのない真っ直ぐな眼差しを向けてきた。緊張のあまりユウマは息を呑んだきり、息をしていなかった。
「そろそろヤバそうだ。ここを離れないと」
「あれ?その声・・・」
運転手が声をかけてきた。ユウマが思わず運転席を覗き込んだ。
「ユウマ、オレだ」
「ハルト!?何でお前が?ARコンタクト付けてたろ?」
「いや、実は元々体質と合わなくて、薬を飲んで抑えてたんだけどな。たまたま薬が切れたタイミングで彼女と出逢ってな」
「戦うのか?AIと」
「オレはもう戦ってる」
ハルトは自慢げな口ぶりだった。ユウマは唇を噛んだ。
「ハルト、出してくれ。僕も行く」
ユウマは深く座席に座り直した。
「ありがとう。同志よ」
彼女が口角を上げたと思うと、真摯な引き締まった顔に戻った。ユウマも笑顔で応え、満足げだった。彼女越しに見える車外には笑顔しかなかった。みんな幸せそうだった。不満のない完璧な世界がそこにあった。車は自然さを装ってゆっくりと走り始めた。人間の世界を取り戻すために。
――二〇二三年へ
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