二 候補×パーティー

「アニメのライブ?」

 ユウマは半ばバカにした口振りだった。

「一回だけ騙されたと思って来てみろって!絶対、後悔しねえから!」

 大学の友人からの誘いだった。授業中だというのに、さっきからしつこい。

「オレはリアル主義なんだよ。ARの作り物には興味ないっての。リアルなライブなら付き合ってやるけどな」

「リアル主義?そういや、お前って今時エーグラだったな。何にこだわってんだ?」

「メガネじゃないと、自分で外せないだろ?選択肢としてキープしときたいんだ。たまには自由を得たいっていうか」

「でも、結局は四六時中、着けてるんだろ?外すのは寝る時ぐらいで。ユウマもナッチとずっと一緒だろ?」

「まあな。サブリミナルで気づかない間に何でも暗記できるし。男にはある意味、不可欠だしな」

「そうだぜ。ここだって同じじゃねえか」

「まあな・・・」

 ユウマの通う大学はネット上のメタバースだった。「通う」とはいうものの、自宅からバーチャル空間にあるキャンパスにアクセスするだけだ。とはいえ、キャンパスが実在しない訳ではない。法的には必要とされ、広大なキャンパスは公共事業と地方活性化のために辺境の地に存在している。もっとも、入学式以来、一度も足を運んではおらず、次はきっと卒業式だろう。しかも、メタバースといった国か税金で整備した旧世代の遺物は、今や大学という旧態依然の機関にしか残っていない。

「それに、流石にバレるだろ?質問されたって返事さえできやしない」

「平気さ。先輩から聞いたんだけどな、漆原の般教はAIでもなくて、ただのプログラムらしいぜ。ほら、質問の後、イエスかノーかも分からねえ『ああ』って返事するだろ?それが証拠なんだと。ずっとバイトしながら受けてて百点穫った先輩もいるしな」

「でもなあ・・・」

「あ、言い忘れてた。ナッチのライブだぜ」

「え?ナッチの?ライブなんて・・・」

 パートナーはCGに過ぎないので、一人であるはずはない。複数人が複数の場所で複数のオーナーの元にある。ユウマも頭では分かっているが、いつも一緒にいる上、他人のパートナーは見えない。必然的に同じナッチが無数にいる感覚は鈍ってくる。

「ナッチがステージで歌ってる姿なんて観たことないだろ?感動モノだぜ。心配ならちょっと覗いて戻ってくりゃいいさ。トイレに行ってたって言やあ大丈夫だろ。もう始まってるから先に行ってるぜ」

 ユウマは隣を見た。あたかも授業を一心に聴いているかのような真面目な姿勢は、むしろ不自然だった。いわゆる代返アプリに切り換えたようだ。本人はもうライブ会場なのだろう。目の前にはライブ会場のサムネイルが出てきた。ハルトからだった。

「やれやれ。付き合ってやるか・・・」

 そう漏らしながら、ユウマの胸は高鳴っていた。授業をサボることへの緊張ではない。ナッチのライブに対してだ。一旦、ARグラスを外した。拡張されていない退屈で居心地の良い自分の部屋を何となく見渡した。

「よし、行くか!」

 ARグラスをかけた。視線をサムネイルに向けて三回瞬いた。いわゆるトリプルブリンク。ARグラスの普及と共に国際標準化された操作方法だった。ARコンタクトレンズでも踏襲されている。その刹那。吸い込まれるような錯覚と共に世界が一変する。レンズの外は自分の部屋のままなのは黙殺しよう。会場の国立競技場の前に立った。屋根から立体映像と音が漏れている。ここでオリンピックがあったと歴史で習った。

「あ♪来てくれたんだ!大学は~?」

 ナッチが悪戯っぽい笑顔で迎えた。ステージにも立っているはずだが、CGに同時存在の問題はない。

「うん、まあね。ナッチがライブしてるって聞いて。サボっちゃったよ」

 ナッチは何もいわず、満面の笑顔を返してきた。若干、瞳を潤ませている。ユウマの胸がまた高鳴った。

「じゃあ。はい、これ」

「何?チケット?」

 差し出されたのはナッチの笑顔をデザインしたチケットだった。

「特別アリーナ席を用意しておいたよ♪」

「え?僕が来ることは・・・。そうか、AIだもんね」

 ナッチは「正解」の言葉代わりにウインクをした。星がキラリと瞬いて消えた。

「こっちこっち!もう始まっちゃってるから急いで!」

 小走りのナッチに付いていく。オンデマンドでは臨場感がない。あえてリアルタイムで開催されている。

「解除に入ったら真っ直ぐ行って、ステージの目の前ね!」

「ああ」

 ナッチがまたウインクした。今度はハートが瞬いて消えた。ユウマは軽く手を振って、二重扉を通った。

「ハアッ!?」

 閃光が脳裡を貫き、一瞬、痙攣した。八万人の熱気は爆風のように圧倒してくる。ポップなリズムにナッチの歌声が耳をつんざく。それでいて、柔らかく暖かい心地良さ。ARグラスとARイヤホンだけでは視覚と聴覚に限られるはずだが、人間の知覚の九十五パーセント以上をもたらす両者が触覚や臭覚まで支配する。人魚の歌声に誘われる船乗りのように前へ。立ち上がって熱狂する客席を抜け、最前列に着くと不自然に席がひとつ空いている。ここはメタバースの創られた世界。全ての観客はこの席に来られるようになっている。それぞれが自分だけのために特等席があるよう見えているだけで、周りの観客はアクセスしている人間に違いないが、そこにはいない。

「あ・・・」

 席に着くと、ステージからナッチがウインクした。一瞬のことだったが、間違いない。他の人にバレないよう、瞳からハートも星も飛ばさなかった。ドキリと胸が音を立てた。少し露出の多いノースリーブでミニスカートのステージ衣装のせいだけではない。毎日、一緒に暮らしているし、ついさっきも顔を合わせたばかりだ。ステージの彼女は違って輝いて見えた。

「みんな、ありがとうー!」

 ナッチが斜め四十五度に手を挙げた。手はハーフハートと呼ばれるハートの半分を右手

で形作ったものだ。

「ハート!ナッチー!」

 直後、八万人が絶叫した。同じく右手でハートの半分を作って斜め四十五度に掲げる。ナッチとハートを作る格好だ。ファンの間ではナッチ式敬礼と呼ばれる。

「あ、え!?こうか?」

 ユウマも煽られて真似をした。その瞬間だった。

「おおー!」

 同時に金銀のテープが放たれ、舞い散る中をハートや星が煌めき舞う。興奮の坩堝とはこのことだった。

「ガン!」

 突然、機械音と共に視界が暗転した。国立競技場は屋外だが、空は夜空でもなく星一つない漆黒。

「え?何だ?どうした?」

 ARグラスが壊れたのかと錯覚した。どよどよと動揺が辺りに広がる。

「ガン!」

 再びの機械音。スポットライトがステージの一点を照らしている。ナッチがうつむいて立っていた。

「皆さんに重大なお知らせがあります・・・」

 影の差した唇から神妙な声が漏れる。こんなナッチを見たことも聞いたこともない。ユウマだけではなく、八万人の同席者の誰一人としてないだろう。

「私事ですが、私ナツミは・・・」

 静かに語る。「引退」そんな言葉が脳裏をよぎる。いつかどこかで見たアイドルもこんな雰囲気だった。不意にナッチが顔を上げた。意を決した引き締まった顔をしている。真剣な眼差しはユウマを見据えている。会場のファン全員が同じ体験をしているのだが。

「ソーリダイジンになります!」

 顔つきが変わっていた。上向きに凛とした表情。上気した頬が赤らみ、瞳は潤んでいた。国立競技場はしんと静まり返っていた。

「ハート!ナッチー!」

 その時だった。野太い声が上がった。遠くてどこからかも分からない。

「ハート!ナッチー!」

「ハート!ナッチー!」

「ハート!ナッチー!」

 これに触発されて次々にナッチ式敬礼が木霊のように上がった。気付けば、木霊は輪唱になり、輪唱は合唱になった。ユウマばかり圧倒されるばかりだったが、いつの間にか敬礼を掲げている。

「ハート!ナッチ!ハート・・・あ」

 連呼している自分に気付いた。右も左も大合唱だ。そこにナッチがたたみかける。

「私がソーリダイジンになったら、みんなの願いを叶えちゃいます!みんなの願いは毎日

一緒に暮らしてるから分かってるし!」

「おおおお!」

「ああ!今、エッチィなこと考えたでしょう?でも、みんな叶えちゃいます!」

「ナッチ!ナッチ!」

 異様な興奮が国立競技場を占めている。ユウマは圧倒されながらも、何とか一応は同調していた。

「でも、私はバーチャルなので、直ぐには無理なんです。ラスボスにたどり着くまで、乗りこえないといけないホーリツやキセイという中ボスがたくさんいます。バーチャルな私にはこれが倒せない・・・」

「え~!」

 ステージが会場のトーンダウンに合わせて暗転していく。またナッチだけにスポットライトが当たり、ガックリと肩を落とす。

「でも、頑張っちゃいます!リアル女子をアバターにしちゃいます!」

 その直後、再び閃光が包み、ステージが輝いた。無数の紙吹雪が舞う中、ステージには生身の人間が飛び降りてきたように現れた。何人かは転んだり、隣の子に支えられたりもしている。ざっと三百人はいる。生真面目なスーツ、皺一つない軍服、スクール水着、私立っぽい制服。アニメのコスプレや、AV女優のような際どいコスチュームもいる。コミケかハロウィンかと思わせる。いや、よく見れば、車椅子の子や義肢の子までいる。むしろ、ダイバーシティを具現化していた。

「ナッチパーティーのみんなです!」

 笑顔が眩しい。軍服の子はクールなままなのが際立つ。際どいコスチュームの子にはますます目を向けにくい。その中に、極普通に流行りの服の子がいる。パーティーは党の英語訳だが、ファンは集会の方の意味に採っているようだ。

「あ・・・!」

 ユウマと目が合った。人間なのに、いつものナッチの雰囲気を持っていた。服の好みや髪型はステージ上のナッチよりも、部屋にいるナッチに近かった。そこにいる彼女達はユーザーの傍らにいるナッチの姿なのかも知れない。

「みんな!もう直ぐ選挙だからよろしくね!みんなの願いを叶えるよ♪人気のメンバーはミニになるよ!」

「おおおお!」

「あ、今、エッチぃなこと考えた人ゴメンナサイ!ミニはミニスカートのミニじゃなくて、ミニストリー。英語で大臣のことだからね!」

 ナッチがいたずらっぽく笑った。ファン達は苦笑いで盛り上がっていた。

「行っくよー!」

 ナッチは手を振ってステージ上を走った。ナッチパーティー達もそれぞれの笑顔を振り撒いている。

「え?もう直ぐ選挙だったっけ?」

 受験勉強で政治の仕組みは一通り頭に詰め込んだ。事実問題対策に最近のニュースも覚えている。長期安定政権にそんな兆候は見られなかった。

「ナッチ!ナッチ!ナッチ・・・」

 国立競技場はナッチコールとナッチ式敬礼であふれていた。ユウマも頭では釈然としないまま、身体はファンの波に乗っていた。いつの間にか口からもナッチコールが出続けている。次第に陶酔感に浸り始める。頭の中ではピンク色の何かが湧き出してくる感覚。ほの暖かくて心地好い。

「大変!ユウマ!」

 突然、ナッチの叫び声がした。

「うわっ!?何だ!?っ痛・・・」

 反射的に身体が痙攣し、どこかで顔面を打った。衝撃でARグラスが吹き飛んだ。

「あぁ、痛え・・・。ナッチ、どうしたんだよ?」

 ユウマは頬をさすりながら聞いた。

「ゴメンナサイ。でも、早くエーグラ着けて!」

 ARイヤホンから声は聞こえてくる。さっきまでステージで八万人をも魅了していた同一人物とは思えない。

「会場で何かあったの?」

 ユウマは転がっていたARグラスを掛けた。大学の教室の景色にボカシが入った背景。その真ん中にこうあった。

「不可」

 教授からのメッセージだった。授業へのアクセス権も剥奪され、追い出されていた。

「まぢで?」

 ユウマはデマに流されたようだった。

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