第4話

 俺が紗香にこの感情が芽生えたのはいつだったのだろう。


 それはちょうど一年前だったか。初夏の日差しがグラウンドに降り注ぎ、サッカー部の熱狂が燃え盛る。


 そんな中、俺は部室でのんびりとギターを弾いていた。



 1か月前までは静かだった部室。


 新入生が入った軽音楽部はいつもと取って代わって賑やかになっていた。


 だが、俺はその賑やかさが嫌いだった。



 施設だけは整った軽音楽部。


 その中で一番人気な楽器はやはりドラムだった。


 新入部員が入った今、俺ら先輩達は後輩を想ってドラムセットを触っていない。だがそのせいか、ここ最近ある一つの問題が生じていた。そう、後輩同士のドラムの取り合いだ。初めはまあよくあることだな、とは思っていたのだが実は違う意味で、それはよくある問題だった。


 虐めだ。


 それも集団での虐め。か弱い女の子一人を……。



 新入生が入って一か月目の部活。


 一年の問題児、美奈子みなこその他諸々が部室にはいなかった。


 今日は来ないのだろうか……。


 紗香は美奈子がいない今がチャンスだと思ったのか、ドラムセットに恐る恐る触れに行った。そしてスティックを手に取りスネアドラムをゆっくりと、味わうように、叩いた。


 一瞬、紗香の顔に笑みが浮かんだような気がした。今思い返すと俺は紗香の笑みを見た記憶がない。紗香は今ままでどれ程の……。


 と、廊下の方からいきなり話し声が聞こえてきた。それもだんだんと大きくなっていく。


「今日はなにするー? あたしはなんでもいんだけどさー」


「ドラムとかでいんじゃね?」


「やっぱ?」


 面倒な奴らだ。俺にはあまり害はないのだが、見ていて腹が立つ。


 紗香の方はというと、スティックを持ちながらあたふたとしている。多分その場を離れるか迷っているのだろう。


 ガラガラっとついにドアが開いた。


 結局紗香は退かなかった。


「え……、何やってんの? 紗香?」


「うーわ」「やばいねーこれ」


 うむ、俺と同学年じゃなくてよかった。


 紗香の顔に後悔が滲む。


「あんたそれやってたの? あんたの分際で? ははっ、笑わせないで」


 美奈子の言葉に紗香は言い返す。


「どういうこと? 私の何がいけないの?」


 そのカーストが高そうな陽キャ女子――美奈子みなこは紗香の目をギラリと睨みつける。


「はあ?」


 美奈子の後ろにいる男子達の顔に少し緊張が見えた。


 美奈子はさも不愉快だと言わんばかりに紗香に言い放つ。


「あたしはねえ、あんたみたいな何の価値も無い人が嫌いなのよ。消えてくれる? 目障り」


 分かっていないな。くそっ、頭にくる……。そっくりそのまま返してやりたいところだが、後輩にダサいところは見せられない。


「…………」


 紗香はぐっと唇を噛み締める。


 見てられねぇ。


「わ、私は──え?」


 俺は紗香の手を引いた。


「俺の後ろに立ってて」


 周りから視線を感じる。


 だがそんなのは無視し、俺は美奈子に向き合った。


「な、なんなのよ。冬稀先輩……」


 美奈子は俺の眼を見て一瞬たじろぐ。


「美奈子、君はどうして軽音に入った」


 一言一言はっきりと、言い聞かせるように。


「は、入った理由?」


 美奈子は少し下を向き、考える。


 やがて前を向いて言った。


「楽しみたいから、かな」


「うん。大体の人がそう言うね。それもいい考えだ」


 音楽は楽しむもの。


「でも、君は音楽を楽しみたいだけだよね。たったのそれだけの気持ちで入ったんだろ?」


「え、だから何?」


「楽しむことはいいこと。でもさ、人を不快な気持ちにはさせないでくれるかな?」


「は? そんなのあいつがさせてんでしょ?」


 美奈子は紗香の方を見る。


「そうかな? 俺はそう思わないけど。俺らはな、音楽を愛している人が音楽を奏でるところが好きなんだ。音楽に興味がない人が奏でるのも好き」


 周りの友達もうんうんと頷き、共感する。


 俺を合わせ5人、音楽を愛し二年になっても軽音に通い続けた。


 音楽だけが自分の取り柄のように、大事にしてきた部活だ。それを、こんな奴に崩されるわけにはいかない。


「君にはわからないと思うけど、紗香は音楽を愛しているよ。目を見たらわかる。紗香の奏でる音楽を俺達は好きだよ。邪魔しないでくれる?」


「は?」


 ふむ、紗香より下に見られるのが嫌か。


「それに君みたいに音楽を愛してもいない人の、ただ自分の事しか考えない人の音楽は人を不快にさせるだけだよ」


 美奈子とその後ろにいる男女は顔を歪める。相手が先輩という立場だからか、何も言わない。いや、言えないのかもしれない。


「実際、俺達は君達の行動がかなり不愉快だったよ」


 うんうんと周りにいる先輩達も頷く。


 ここまでの視線と自分の駄目なとこを指摘されると、屈辱で耐えられないだろう。


 少しの間が開き、俺は最後の言葉を言う。


「美奈子、君は音楽を愛しているのか?」


 美奈子は何も言えないらしく、五秒くらい経って動いた。


「あんた達、行くよ」


 それだけ言って、美奈子は足早に出て行った。後ろにいた子もまた着いていく。でもその子達の顔は暗かった。おそらくその中に音楽が好きな人がいたのかもしれない。


「ふ、冬稀先輩。あ、ありがとうございます」


 紗香が俺にお礼を言ってきた。


「うん、全然いいよ。助けたっていうか俺が言いたいことを言っただけだからね」


 俺もスッキリしたし。


 すると紗香は目元を濡らす、俯き加減に俺を呼んだ。


「冬稀……先輩……」


「紗香、何泣いてんだよ。一緒にやろ! ギター」


 紗香は目元を拭い、俺の目を見た。それも初めて見る満面の笑みで。



「うん!」



 あの後から美奈子は一度も軽音楽部に顔を出す事は無かった。



 思えば俺が紗香を意識し始めたのはあの出来事からだったのかもな。

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