「人の言葉で傷つく」が理解できなかったわたしの話
こんにちは。鳥兜レイと申します。
今回は「人の言葉で傷つく」が理解できなかった頃のわたしについて書こうと思います。
※虐待の描写を含みます。フラッシュバックの恐れがある方はご注意ください。
わたしは、幼い頃「人の言葉で傷つく」というのがどうしても理解できませんでした。暴力を受けたときのように外傷が残るわけでもないのに、「傷つく」というのがどうにも理解できなかったのです。
大人になった今のわたしから見れば、当時のわたしはすでに十分すぎるくらい傷ついていたのですが、わたしは自分が傷ついていることにすら気づけなかったのです。
その理由は明白でした。毎日毎日、絶え間なく傷つけられていて、傷ついているのが“あたりまえ”になっていたからです(加害者はたいてい父か母でした)。普段は心の健康が保たれていて、たまに傷つくことがあるから「傷ついた」というのに気づけるのであって、傷ついているのがデフォルトになっていては、傷ついていることに気づくことすらできないのです。
テストで95点をとって、間違えた5点分を執拗に責められたとき。
「家事を手伝わないやつはただの寄生虫だ」と言われたとき。
テープのりを買ったら「こんな贅沢品を買って!あんたを信じてお金を渡すんじゃなかった!!」とヒステリックに怒られたとき(普段は水のりを使っていたので、それに比べて贅沢品だ、という意味です)。
なにかが上手くできなくて、「どんくさいな」と馬鹿にされたとき。
従兄弟と比べられて「あんたは出来が悪い」とこき下ろされたとき。
・・・
傷つく場面なんて日常の中に数えきれないほどあって、その一つひとつにいちいち反応していては生きていられないから、自分が傷つくのを見て見ぬふりをしていたのだと思います。
それに加えて、わたしは父から日常的に叩く、蹴るといった暴力を振るわれていました。
そのきっかけは、今となってははっきりと思い出せないほど些細なことでした。学校から帰ってきてすぐにカバンを片づけなかったから、とかです。
そんな暴力と暴言が飛び交う環境にいて、「人の言葉で傷つく」というのが理解できるはずもなく、
言葉で傷つく?なんで?暴力を振るわれたときみたいに怪我をするわけでもないのに?
というのが正直な気持ちでした。
そんなわたしは、言葉で人を傷つけることにも鈍感だったと思います。そのせいか、ある日母に対してひどいことを言ってしまったことがありました(具体的になにを言ったのかは思い出せません)。それに対して母はこう言ったのでした。
「言葉は暴力以上に人を傷つけるんだよ。目には見えないけれど。」
今のわたしには、母の言った言葉の意味が理解できます。でも、「お前がそれを言うか!?」という気持ちです。母は人を傷つけるのには鈍感で、人に傷つけられるのには敏感だったのです。それはもう、信じられないくらいに。
今のわたしの周りには、「言葉で人を傷つける」ということをよく理解している人がたくさんいます。わたし自身も、今なら少しは理解できます。それでも、ときには言葉で人を傷つけてしまうこともあります。傷つけてしまいそうになる自分を必死で抑えることもあります。
「言葉で人を傷つける」を理解できるようになること。人の気持ちに配慮しながらも自分の意思や感情を伝えられるようになること。それが“大人になる”ということだと思います。
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