弟たちへ
こんにちは。鳥兜レイと申します。
今回はわたしの弟に対する思いを書きたいと思います。
※虐待の描写を含みます。フラッシュバックの恐れがある方はご注意ください。
わたしは現在、弟と縁を切って暮らしています。というよりは、血縁者全員と縁を切っていてその中に弟も含まれる、と言った方が正しいかもしれません。縁を切ったタイミングは約一年前、わたしが実家を出てから数ヶ月後でした。
毒親のみならず他の血縁者まで縁を切った理由は、当時のわたしの精神状態では毒親(母はすでに死亡していましたので、ここでは父のみを指します)と直接的なつながりがある人と関わる余裕はないと判断したからでした。今でもその判断は間違っていなかったと思っていますし、縁を切って良かったと思っています。
ただ、それでも弟に対しては複雑な思いがあり、辛くなってしまうこともあります。今回はそんな思いを書こうと思います。
わたしには2歳下, 4歳下の二人の弟がいました(以下、長弟, 末弟と書きます)。長弟とは幼い頃から反りが合わず、思春期以降もよく関わっていたのは末弟だけでした。
わたしは中学1, 2年生の頃から末弟の母親役をしていました(当時母は病気を患っており、暴言が激しくなっていました)。末弟の話を聞いたり、相談に乗ったり、わたしの部屋を休憩場所として提供したりといった役です。わたしは、わたしに甘えてくれる末弟のことが大好きでした。しかし、今振り返るとずいぶん酷いことをしてしまったなと思います。
その“酷いことをしてしまった”というのは、ひとことで言えばわたしが親にされた嫌なことをそのまま弟にしてしまったということです。
わたしがリビングのテーブルの上を片づけなかったのに腹を立てた父が、わたしのシャーペンや消しゴムを庭に投げたのと同じように、わたしの部屋に居座って出ていこうとしない末弟を追い出すために、わたしの部屋に置いてあった末弟の勉強道具を彼のベッドの上に投げたこと。
わたしが小学生だった頃からいつも「18歳になったら出ていけ」と言っていた母と同じように、末弟に「大学を卒業したら働きなさい。働けないのなら死ね」と言っていたこと。
テストで良い点を取っても褒めてくれなかった母と同じように、末弟のことをすごいと思っても素直に褒めてやれなかったこと。
思い返せば、心が罪悪感でいっぱいになります。自分の罪に向き合うとはこんなにも苦しいことなのかと思います。
その上、わたしは末弟を見捨てて縁を切ったのです。その決め手となったのは、末弟からもらったこんなメッセージでした。
「住所を教えて。父ちゃんに電話して。」
わたしはこのメッセージを見て、末弟とは付き合えないと判断して縁を切ったのでした。その選択に後悔はしていません。
末弟と縁を切ってから現在までの約一年間、わたしの精神状態は決して良いものではありませんでした。仕事や最低限の家事など義務的なことはできても、それ以外のことをする気力はなく、土日の大半はベッドに横になって過ごすのが常でした。最近になってようやく少し動けるようになったからこうして執筆活動をしていますが、それもいつまで続くか分かりません。また調子を崩して動けなくなるかもしれません。そんな不安定な精神状態で、自分の親が毒親だと気づいていない末弟を救うことなど不可能でした。それは今でも変わっていません。
それでもなんとかしたかったわたしは、二ヶ月ほど前に弟宛に『毒になる親』という本(スーザン・フォワード著の、「毒親」という言葉の起源となった本です)を送りました。今のわたしに出来ることは、それくらいしかないと思っています。
自分で傷つけておきながら、自分勝手な都合で見捨てて、わたしは本当に酷い姉だと思います。それでも、すごく無責任だけど、弟たちには幸せになってほしいと思っています。
いつしか長弟とはほとんど関わらなくなってしまったけれど、末弟とは自分の意思で縁を切ってしまったけれど、彼らがわたしにとってわたし自身の次に身近な虐待サバイバーであることは間違いないのです。
わたしはいつか、人を救える強さを身につけたい。もう二度と、誰かを見捨てたくない。そう強く思います。
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