いろんな感情の終着点

こんにちは。鳥兜レイと申します。

今回は僕の人生の“特異点”のような、いろんな感情と結びついている経験について書こうと思います。

※虐待についての描写を含みます。フラッシュバックが誘発される恐れのある方はご注意ください。


その経験とは、ひとことで言えば「母親を亡くした」という経験です。

もし私が健全な家庭で育った人間であれば、悲しいあるいは寂しいといった感情に結びつく経験だったのだろうと思います。

しかし、健全とは言い難い家庭で育った私にとっては、複雑に絡み合ったいろんな感情を同時に思い起こさせる経験となっています。


私には父と母と二人の弟がいました。

母の死因は病気で、それも長い闘病期間を経ての死でした。

私が小学校高学年だった頃にその病気が見つかり、入退院を繰り返しながら闘病を続けた末に、私が大学一年生の時に亡くなりました。

私は中学一年生の時に病名と余命が長くないことを知らされ、闘病を続ける母をずっとそばで見ていました。


母は病気が見つかる前から子どもに対して過干渉で支配的な態度をとる人でした。

テレビは教育番組以外見せない、勉強するとき以外は冷房をつけることを許さない、弟たちとゲームの話をすることを禁じる、服を買い与えず近所に住んでいる子どものお下がりをもらってきて着せる・・・等々。

法律上の“虐待”には当たらないのかもしれませんが、じわじわと着実に子どもの心(脳)をむしばんでいく毒親でした。

闘病中は精神的な余裕がなくなったからか、さらにひどい有り様でした。

特によく覚えている台詞は「私は首元まで墓場に埋まっているのに誰もいたわってくれない!!」というものです。

そういった台詞をヒステリックにわめき散らすのが日常でした。

そんな言葉を聞くのがつらかった私は、母の機嫌をとるために行動するようになり、やがて自分の意思も感情も分からない、母の思い通りに動くだけの人形になってしまいました。

私が自分の両親(今回は父については割愛します)が毒親であることに気づいたのは、母が亡くなってから何年も経った後でした。


そんな背景がある影響で、母の死に対する思いはひとことでは言い表せない複雑な感情になってしまいました。

それをできるだけ細かく分解して箇条書きにするなら、以下のようになります。


① 母親が亡くなったことに対する悲しさ、寂しさ

子どもというのは無条件に本能的に親を愛するものなのだと思います。たとえ苦痛に満ちた経験をさせた加害者であったとしても。


② 「母が死んだら自分はどうなるのだろう」という恐怖からの解放感

幼い子どもだった私にとって、生まれた瞬間からそばにいた母がいなくなることは想像をはるかに超えることでした。そのため、母の余命が短いことを知らされた瞬間から「母が死んだら自分はどうなるのだろう」という恐怖に苛まれていました(“未知のものに対する恐怖”であるという点で、“死”に対する本能的な恐怖に似ているかもしれません)。実際に経験してみると別に大したことはなく、母がいなくても自分は問題なく生きていけることが分かり、大きな解放感を味わいました。


③ ②の解放感を感じたことに対する罪悪感

まだ自分の親が毒親だと気づいていなかった頃の私は、②のように母親が亡くなったことに対して解放感というプラスの感情を抱いてしまったことに罪悪感を感じていました。


④ 激しい暴言がなくなって良かったという感情

④以降は当時感じていた感情ではなく、大人になった今の感情です。

闘病中のような激しい暴言を受けることがなくなったのは本当に良かったと思っています。被害を受け続けている状態では回復しようもありませんから。もちろん、だからといって母から受けた悪影響が突然消えるわけもなく、今でもいろんな後遺症が残っていますが。


⑤ 実家と縁を切るときの敵が二人から一人に減って良かったという感情

今の私は親兄弟を含む血縁者と縁を切って一人暮らしをしているのですが、逃げ出すときの敵が減ったのは本当に良かったなと思います。父はどちらかと言うと無関心なタイプの毒親だったので、逃げ出すための労力は比較的少なくて済んだと思います。もしあの時に過干渉な母親がいたら・・・と思うとぞっとします。


今ぱっと思い浮かぶのはこれくらいでしょうか。これ以外にもあるのかもしれませんが、現時点では文章化できるほどはっきりと認識できていません。

そんなわけで、母の死に対してはプラスの感情とマイナスの感情が複雑に入り乱れていて、なんとも言えない気持ちになる、というのが正直なところです。


そして、今回わざわざこうしてきちんと書いておこう、と思った理由なのですが・・・

日常生活の中で、母の死を思い出させるような出来事に遭遇することが結構あるのです。

しかも困ったことに、それが原因で胃腸の具合が悪くなり、腹痛に苦しむ羽目になったりするのです。


「母の死を思い出させるような出来事」というのが具体的にどんな出来事なのかというと、職場の方から「お父さんお母さんは今おいくつなの?」と訊かれて「母親はもう亡くなっています」と答えると、「あなたがいくつの時に亡くなったの?」と訊かれる・・・といった具合です。

もちろん相手の方に悪気がないのはよく分かっていますし、私の両親は自分と同じくらいの年齢なのだろうという推測があった上での質問なのだろうとも思います(私は20代半ばであるのに対して、職場の方は40~50代である場合が多いです)。


そんなことがあるたびに体調を崩していては仕事に支障をきたしますし、こんな特殊な事情に配慮してほしいと求めるのも無理があるだろうと思っています。


そこで、こうして私の感情をアウトプットして整理しておこうと思った次第でした。

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