その二「秋の日のゼフィランサス」

 翌日の午後。

 舞羽は、模型の箱が詰まった棚の奥にある壁時計と外の様子を見比べると、一瞬だけ考えて店内の照明を全灯にした。今日も十月半ばとは思えないほどの夏日だったが、日没時刻は少しずつ早くなってきていた。


「んんー……」


 両手で営業スマイルに固まっていた顔をほぐすと、間の抜けた声が漏れた。


「どしたの?」


 声に振り向くと、カウンターと隣の作業部屋を仕切る間仕切りカーテンから、きすかが顔を覗かせていた。


「ちょっと疲れたなあって」


 舞羽はエプロンの肩紐を直しながら答えた。


「今のお客さん?」

「うー……ん、そっちはノーコメント。それより午後はお客さんが途切れなかったから、かな?」

「手伝って良かったでしょ」


 きすかはわずかに口角を上げて、笑みを作った。そういう顔を見ると、舞羽はやっぱり年上なんだなあと思う。

 年上。

 四捨五入すると三十になる自分より上ということは……。


「舞羽ちゃん、なにか変なこと考えてなあい?」

「あ、いやいや別になんでもないです。いや、あるかも……」

「どっちなのよ」


 きすかは肩をすくめ、カウンターのほうに歩いてあったっけた。エプロンが少しオーバーサイズ気味なのは、それだけきすかが小柄だからである。


「なんで、人手が足りないときに繁盛するのかな、とか」


 正午を過ぎてから思いのほか忙しく、いましがたも一人客を見送ったところだった。


「まあ、そういう日もあるんじゃないの」

「そんなもんですかねえ」


 腕を組んで首をかしげる舞羽の肩に、


「そんなもんだよー」


 きすかは自分の頭を乗せた。間延びした上に、あごが固定されているので声がくぐもって聞こえる。舞羽はやんわりと押しのけようとしたが、


「変なことしな——んきゃっ!」


 頬に触れたひやりとした感触に思わず声を上げる。


「ひと息着きなさいな」


 きすかが缶コーヒーに差し出す。よく冷えた缶は汗をかいていた。


「あ、どうも。——って、これどうしたんですか?」


 缶を受け取りつつ、とっさに訊ねていた。冷蔵庫の中はすぐ思い浮かべられるが、買い置きはしていない。


「さっき買ってきたの。ここのお勝手から隣りの路地に出られるでしょ。そこから抜けて、あっちの通りの自販機で」


 話しながら、きすかは真後ろを指さした。店の向かって右側、方角的には北東に当たる。舞羽は店の裏側にあるアパートの存在を思い出した。とすると、〝あっちの通り〟は、アパートの東側にあるビルが面している通りのことになる。


「あそこは、共用通路であって路地じゃないです。通り抜けしたらダメなところですよ~」


 北谷端は比較的都心に近いこともあって、幾度も都市整備を経ていた。その過程で道幅拡張と区画整理の影響が個人の敷地に及んでしまったため、私道と公道、隣り合う敷地の境界がわかりにくいところが多々ある。公共の利益と個人の権利をすり合わせた結果生じたいびつさとも言えるだろう。


「きすかさんはいいですけど……。子どもが真似しかねないのでやめてくださいね」


 舞羽が渋面じゅうめんを作ってきすかを見上げた。きすかはくだんのビルとアパートの地権者なので立ち入っても問題ないのだが、仮にも集合住宅に隣接する通路である。

 また、深山模型店の向かいに公園があるため、付近一帯は子どもの遊び場になっていた。舞羽はそのことを気にしているのだった。


「あー、それはそうね。気をつけるわ」


 きすかは内心「舞羽ちゃんはちょっと堅く考えすぎるところがあるのよね」とは思いつつも、正確には地元の人間ではない——母方の実家に居候している——からこその気遣いであるとも思った。


「よろしくお願いします。と、それはそれとして——」


 舞羽はいったん言葉を切ると、表情をなごませた。


「いただきます。あと、今日は手伝ってくれて助かりました」

「どういたしまして」


 きすかが缶の上を掴んで舞羽の方に向けると、同じ仕草が返ってくる。

 コン、と二つの缶が音を立てた。




「明るくしたのは正解だったみたいね」


 ひと息着いたところで、きすかが外の様子を見やった。壁時計は四時十七分を指しており、十月にもかかわらず燦々さんさんと照っていた日も陰りはじめていた。


「ああ、そこはケチケチしないというのが深山模型店うちの……というよりお祖父ちゃんの方針ですから」


 店内の明るさに関して、深山模型店はかなり気を遣っている。

 たとえば、本屋——書店、古書店——は北向きに建てるのが理想とされているが、これは本屋に限ったことではない。

 北向きに——店の入り口が北になるように——するのは、日焼けによって商品が傷みにくくなるメリットがあるからで、直射日光を避けるべき商品は本以外にもある。

 模型店が扱う商品——プラモデル、塗料、工具、ラジコン、トイガン等——は、その典型的な例だった。


 実際、深山模型店は北西の通りに正面を向けて、左右に背の高い建物を挟んで立っていた。商品には優しいが、商売をする上では不利になる。

 店内が薄暗く、陰気になってしまうからだ。


 深山模型店はよほど明るいときでもない限り、開店中は昼夜問わず光量を調整しつつ照明を点けている。当然、その分の光熱費は掛かるが、そのための電力を別途に用意するほどの周到さだった。


「最近導入した秘密兵器もありますし」

「秘密兵器て……」


 その言い様にきすかは苦笑を禁じ得ない。


 舞羽の言う秘密兵器とは、屋上に設置されている太陽光発電システムのことだった。余剰電力が生じればバッテリーに蓄電され、逆に発電量が不十分なときは、自動で通常電力に切り替わる。

 おおよそは普及型のシステムと同じだが、深山模型店では一階の店舗部分にのみ独立した配線を繋げていた。深山模型店の店主にして、舞羽の祖父である深山源三朗げんざぶろうは、太陽光発電だけで店舗部分の光熱費をまかなえるか試したかったらしい。


 かつて、異様なほどに景気がよかった時代に別の商売で財を成した源三朗は、半ば趣味で深山模型店を経営している節がある。そのことに舞羽が気づいたのはごく最近で、太陽光発電システムの導入を機に、遠回しに聞いてみたものの「舞羽が心配することではないよ」と答えを濁されてしまった。


 それに、深山模型店が導入した太陽光発電システムは、きすかが持ってきた話でもある。舞羽としては、上手くいって欲しいという思っていた。

 ややこしくなってしまった配線整備をしてくれたのもきすか自身なので、なにかあればすぐ呼びつけられる気安さもあるのだけれども。


「まあ、役に立っているならなによりなのだわ。もうちょっと余剰電力が拾えれば良かったんだけど」

「十分ですよ。いざって時の非常電源を溜めておけますし。これ以上は欲張っちゃダメってことですね」


 舞羽がほんのりと笑った。

 それがあまりにも素直な笑顔だったので、きすかは思わず視線を泳がせた。舞羽との付き合いは長いが、相変わらずの無自覚な素直さにはこっちが照れる。

 そんなことを思ったとき、窓際の一角に置かれた鉢植えが視界に映った。


 白い花の鉢植えだった。

 六枚の花弁が筒状に広がり、黄色い雄しべと雌しべが顔を出している。手の平に収まるくらいの花が三つ、つぼみが他に二つほど見え隠れしている。紐状の葉が地際じぎわから生えているので、背の高いくきが強調されていた。


「舞羽ちゃん、あれって前からあそこにあったっけ?」


 きすかの問いに首を傾げた舞羽だったが、しばらくして「ああ」と声を漏らした。


「いえ、三階のベランダで育ててました。今日の天気ならここでも大丈夫そうだったので」

「なんて花?」

「ゼフィランサスです。花が見られるのはたぶんこれが最後なので、目に見えるところに置いときたいかなあ、って」


 きすかは思わず舞羽のことをまじまじと見返してしまった。

 舞羽と花。

 結びつかない。 

 人当たりは良いし付き合いも悪くない。けれど、こうして店番をしていないときは作業部屋に籠もって、模型製作に精を出していることがほとんどなのだ。服にもあまりお金を掛けていないようだし、舞羽が模型誌を読んでいるところは何度も見ているが、園芸雑誌や花の本を読んでいるところは見たことがない。

 だから、舞羽と花という組み合わせは、きすかの中ですぐに結びつかなかったのである。


「雨の多い時期に花が開く傾向があるので、レインリリーとも呼ばれてます。開花期だと次々に咲くんですけど、花命かめいが短くて長くて三日、早いと一日で散っちゃうんです。お向かいの秋桜コスモスとは逆ですね」


 舞羽は弾んだ口調で語り、自動ドアのほうへ視線を向けた。向かいの公園を囲っている花壇には、秋桜が花を付けていた。


「あー……今年も良く咲いてるわね」


 何気なく相槌を打ったものの、舞羽の意外な一面を目の当たりにした驚きから、きすかはまだ回復していなかった。なんとなく落ち着かなくて、iPhoneを取り出す。


「写真撮っていい?」

「もちろんっ」


 上機嫌な返事に背中を押されるようにカウンターから出たところで、きすかは立ち止まった。気になったことがあったのだ。


「そう言えば〝かめい〟ってなに?」

「花の命」


 そう告げた舞羽の横顔には、いたずらっぽさが隠れているようだった。




「私が花を育てているのって、やっぱ意外でした?」


 舞羽はきすかがカウンターに戻ってくるなりそう言った。


やぶから棒になんなのだわ?」

「別にいいんですけどねー。でも『意外なのだわ』って顔に出てましたよ」

「いやまあ……そうなんだけど」

「いいんですけどねー」


 観念して認めたきすかに、舞羽は唇を尖らせた。もっとも、それほど気にしてはないらしく、目は笑っていた。表情を緩めた舞羽と向き合って、きすかはひそかに安堵する。


「さっきも言いましたけど出窓で育てているので。きすかさん、何度か見ているはずですよ」

「ああうん、見たことがあるような気がする。あと、紫と白の花も見たような……」

「インパチェンスです。あっちは乾燥が苦手なのと土台から動かせるようにしてないので、運ぶのがちょっと大変なんです」

「土台って?」

「去年使っていた大きめのプランターです。今年はそれを流用して鉢植えの台にしてます。鉢植えなら種類を増やせそうだったので、初心者向けの花を探したらゼフィランサスを見つけて……試してみたら上手くいきました」

「あ、なんかいまイメージが合致したわ」

「はい?」


 〝土台〟や〝流用〟という言葉を舞羽が口にすると、園芸の話をしているのに模型の話をしているように聞こえる。しかしそれこそが、きすかがよく知っている普段の舞羽だった。


「じつは、月下美人も育ててみたかったんですけど……」

「サボテンの花ね。新月の夜に数時間だけしか花が咲かないっていうやつでしょ?」

「俗説と創作が交じってる……。たしかに、夜から朝にかけて数時間だけしか咲きませんけど、月の満ち欠けは関係ないです」


 舞羽は苦笑してそう答えた。


「挑戦してみないの? 見てみたいな」

「室内で育てることになるから、作業場との兼ね合いが……」

「そこは模型を取るのね」


 今度はきすかが苦笑する番だった。


「それもありますけど、制約が多いだけじゃなくて、難易度も高いから私にはまだ無理かなって。ところで——」


 舞羽はきすかのほうへ上体を向け、あらためて切り出した。


「本当はなんの用があったのか思い出せました?」

「あー……」


 きすかは腕組みをしてうなった。


 そう、彼女がこの時間帯に深山模型店にいるのは、舞羽の祖父・源三朗に用事を頼まれていたからだった。昨夜、祖父がきすかに何を頼んだのか。居合わせていなかった舞羽は知らない。


「源三朗さんに『明日は舞羽一人なので、気がつくところがあったら手を貸してやってください』って言われたのは覚えてる」

「私が知りたいのはその前の部分です」


 深く追求したいところだが、なりゆきで店を手伝わせることになったため、強くは言えない。

 しばらく考え込んでいたものの、結局きすかは首を左右に振った。


「ごめん。本気でど忘れして出てこないのだわ」

「いっそお祖父ちゃんに連絡して聞いてみます?」


 舞羽がiPhoneを取り出したとき、



 店内の照明が消えた。



 一瞬なにが起きたのかわからず、二人とも意味のない声を漏らしていた。


 照明が消えても真っ暗にはならない。深山模型店は前面がほぼガラス張りなので、傾きはじめた陽の光が射し込んでいる。

 カウンターの周囲には、陰を落とすものがないことも関係しているだろう。

 そのことが二人の状況把握を遅らせたのだった。


 天井ではなく、顔を見合わせてはじめて、


「停電?」


 舞羽の口からその言葉が出た。

 しかしショックから立ち直るのは、きすかのほうが早かった。無言で周囲を見渡して、カウンター内にあるパソコンのディスプレイを注視する。


「んー、舞羽ちゃん、レジ見てみて」

「え? はい……って、電源来てますね」

「やっぱりか」

 そうつぶやいて、きすかはカウンターの外に出た。自動ドアの方へ歩きながら、


「照明が落ちたから非常灯は点いてる。でもPCの電源は確保されているということは……」


 きすかはそのまま歩いていく。自動ドアは開かないことを確認すると、くるっとターンして立ち止まる。舞羽は壁にある照明のスイッチに視線を走らせたが、どれも点灯位置のままだった。どういうことなのか、ちょっと頭が付いていかない。


 ブレーカー?

 違う。それなら一階全部の電源が落ちる。

 それに、PCとレジが落ちていないということは、電源を引いている隣の作業部屋は停電していない証拠だ。

 どういう状態なんだろう?


 と、そこまで考えたとき、きすかが駆け足で戻ってきた。

 舞羽の正面に回り込むと、勢いののままカウンターに身を乗り出して言う。


「思い出したのだわ!」

「え、なに?」

「だから、前半部分。今日、なんの用で来たかっていうとこ」


 舞羽は頭の中を整理しつつ、ひとまずうなずいてきすかの言葉を待った。


「源三朗さんから、たまに照明がちらつくことがあるから一階の配電盤を見て欲しいって頼まれていたんだった!」

「ああ、お店の電源って太陽光メインで発電状況に合わせて切り替わる変わった仕様だから、配電盤もきすかさんに組んでもらったんでしたね。それで、最近なんか調子がおかしいと思ったお祖父ちゃんは、メンテを頼んだと」


 きすかは得たりとばかりにうなずく。


「じゃあ、もしかすると停電しているのはお店の部分だけで、その原因が配電盤にあるんじゃないかってことですね?」

「実物を見てみないとわからないけど、たぶんそう。本当なら開店前に来て、チェックするつもりだったのがうっかり寝過ごしたのだわ」

「開店中に照明消すわけにいかないですからね」

「あと、全部の電源を落とす必要があるかもだし」

「ですよねー」


 そう間の抜けた相槌を打った直後、舞羽はきすかの両肩をがっしり掴むと、客がいないのをいいことに店の外まで響くような声でまくし立てた。


「ですよねー、で済ませるわけがないでしょが! きすかさん、それって超々々弩級に重要な用事じゃないですか! 寝過ごしたのは仕方ないにしても、どうしていまのいままで忘れているんですゅ!」


 がっくんがっくんと揺さぶられながら、きすかは「あわてて早口になると舞羽ちゃんちょっと噛みがちなるのよね」と益体やくたいもないことを思った。

 揺れる視界の中で壁時計を探した。


 午後四時二十三分だった。



     ◇  ◆  ◇



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