第1話‐後輩と先輩‐
神白悠希が目を開けると、どこか懐かしい学校の屋上にいた。
辺りを見渡すと、一人の少女が立っている。
彼のよく見知った少女は、先程まで流していた涙を拭い、精一杯の笑顔を作ってこう言った。
「……神白君、待ってるからね♪」
そんな彼女の声をかき消すようにアラームが鳴り響いた――。
けたたましく鳴る目覚ましの音に、彼は現実へと引き戻された。
「もう朝か……」
目覚ましを止め、ベットから出ると身支度を整え始める。
(なんで、今になってあの時の夢を……)
新学期の朝だというのに、先程の夢のせいで憂鬱な気分に包まれながら、彼は家を出た。
一年前、神白家の決定で、彼が希望する高校に行くことが出来なかった。
そして、東京から学園のある田舎に引越し、退魔師養成機関【
県内でもトップの膨大な敷地を構える
だが実際は、入学者は退魔師の家系の者や適性者のみで試験も適性者を判断する為のものだ。
さらに、退魔師育成を目的としたこの学園では普通とは違う特殊な規則がある。
入学後の一年生は上級生と一年間、
入学者の数にもよるが、一人に対して最大二人まで。
これは、卒業した後退魔師になる場合最低でも二人一組以上で行動を義務付けているかららしい。
そして一年後、その人との師弟関係を維持しながら自分もまた誰かの師になる。
その際に自分も、今の師弟関係を続けるか、別の上級生と新たに結ぶか選択できる。
一部を除いては。
その一部とは、入学した年の成績最優秀者だ。
これに選ばれたら強制的に今の関係を解除される。
そして自分を指名した後輩とは、強制的に
やがて上に立つ才能のあるものには、独立を早めてその自覚を高めるという昔からの決まりらしい。
「今日から二年か。もうそんなに経つんだな……」
通い慣れてきた道を重い足取りで進んでいく。
「去年は黄瀬先輩に色々教えてもらえて、あっという間だったな」
学園への道すがら、彼はそんな風に去年の事を懐かしんでいた。
十分程歩いて学園の前にある大きな坂に差し掛かった。
足を止めて坂の上から、学園前の桜並木に目を向ける。
そこには楽しげに学園へと向かう一年生達が見えた。
(みんな希望にあふれた顔してんな……)
そんな事を考え見ていると、学園に走る一人の一年生が目に入った。
綺麗な黒髪とピンクのカチューシャをした女の子。
(あれって……
夢乃先輩は神白が憧れ、同じ高校に行くと約束した二個上の先輩だった。
「そういえば、先輩はもう高校卒業したのか」
二人が出会ったのは、小学生の頃。
父親の仕事のために東京に引っ越した彼は、三年生からその学校に転入した。
しかし小さい頃から修行ばかりだった彼には、他人との付き合い方がわからなかった。
最初は声をかけてくれる人もいたが、気がつけばいつも一人になっていた。
そんなある日、誰にも相手にされず校庭の隅に一人でいた神白に、声をかけてきたのが葵だ。
「こんなとこで何してるの?えっと――神白君って言うんだ!」
「あ……えっと……」
久しぶりに家族以外に声をかけられ慌てていると、葵はそのまま手を引いてみんなの所に連れて行った。
葵が頼むと、みんなは快く彼を仲間に入れてくれた。
その日の帰り二人は一緒に帰って初めて家が近所だったことに気がついた。
それから葵は、神白が学園に通う為に引っ越すまでずっと気にかけてくれた。
高校入試が近づいて来た頃に父親から突然引っ越しと学園への入学の話を聞かされ彼は初めて父に反抗した。
必死に反発したが聞き入れてもらうことは叶わなかった。
「
父親にそう言われた彼はあの約束を守る為に、先輩と同じ学校を諦めこの学園に来た。
憧れていた先輩である葵に似た人影に、忘れようとしてた後悔と悔しさが込み上げてくる。
学園への足を止めて立ち尽くしていた。
過去への未練で感傷的になっていた彼を呼び戻すように学園のチャイムが鳴り響いた。
「――やばっ!」
慌てて坂を下ると、そのまま全力で校門に向かった。
学園に着くと、すぐに体育館で始業式と入学式が行われた。
学園長の長い話が終わると、1年生と先輩の挨拶と交流会と
とはいえ、この学園は中等部からそのまま上がるのが大半。
その為、交流会とは言っても既に師弟を結ぶ相手を決めているのが殆どだ。
去年の神白のように高等部から入学するのは何年かに一人いるかどうからしい。
(誰も来ないでくれるといいんだけど・・・・・・)
そう思いながら一人、端で気取った感じで壁に寄りかかり佇んでいた。
少し厨二感があり恥ずかしさもあったが。後輩との接点が少ないことを生かして、少しでも近寄りがたくする為の演出だ。
「お前――それじゃ高二と言うよりも厨二だな」
(・・・・・・くっ!恥ずかしいのは自覚しているがあんまりストレートに言われるとキツい)
声の主の方を向くと、強敵とも素手で渡り合えそうな屈強な男が立っている。
――黄瀬先輩、神白の去年の師で少し強面だが実際は凄く面倒見のいい優しい先輩だ。
「好きで最優秀になんてなってませんから、それより先輩は新しい弟子は来たんですか?」
「いや、俺は今回は弟子を取らないことにした。最優秀を育てた特権だな!」
「・・・・・・」
黄瀬は笑顔でそう言ってはいるが、どこか無理しているように見える。
確かに最優秀に選ばれた人の師は、新しい関係を結ばずに卒業を待たず退魔師になる事も出来る。
でも黄瀬は去年「俺はお前ら後輩の成長がそばで見れるのが一番の幸せだ」と言っていた。
「まあ、ある意味最高の弟子を最後に育てられて満足してるよ」
「そんな事ないです!それに今年先輩が弟子を取らないのって……」
彼には、黄瀬が今年弟子を取らない理由が思い当たった。
「―――あの、神白君?」
「先輩は、俺なんかより全然凄いのに…やっぱりあの時・・・・・・」
神白にとっても辛い話に口淀む。
「悠紀…嬉しい事を言ってくれるな。ありがとう。――でもアレはお前のせいじゃないし今回弟子を取らない理由も違うだから気にするな」
黄瀬はそう言って彼の肩を優しく叩いてくれた。
「――おーい!むぅ・・・・・・」
「先輩が凄いのは本当の事ですから!ならやっぱり弟子を取るべきですよ!」
黄瀬を励ますように力強く伝える。
「そ、そうか?……分かった。その事は、後で考えてみるとしよう。――それより」
「はい?」
「さっきから、お前に声をかけてる1年生を無視したら可哀想だぞ?」
「――え?」
黄瀬に言われて振り向くと女の子が後ろを向いて不貞腐れていた。
「あ、ごめん気が付かなくて・・・・・・」
彼はとりあえず女の子に誤ったが(悪いけどこのまま怒って他の人の弟子になれば)などと考えていた。
しかし、彼の思惑とは違って女の子はどこか嬉しそうに笑い始めた。
「ふふふ。本当、昔から夢中になると周りの声が聞こえないんだから――」
「え・・・・・・」
その声に彼は、自分の耳を疑った。
「まあ変わらなくて安心したけどね。――じゃあ改めて、神白君…じゃなかった!神白先輩!私の
そう言って、振り向いた彼女に彼の視線は釘付けだった。
セミロングの綺麗な黒髪にピンクのカチューシャをした女の子。
今朝、坂の上から見たあの子だ。
そして――目の前にいるその子を、彼はよく知っていた。
諦めようとしても出来なかった特別な人。神白の初恋の相手。
あの日あの約束をした相手――夢乃葵だ。
「……?おーい!神白先輩聞いてる?」
「おい、どうした
彼にとっては夢のような出来事。目の前にいる人物に状況が飲み込めず声が出ないようだった。
黄瀬に肩を叩かれてやっと我に帰る。
それでもまだ、彼は今の状況が呑み込めずにいた。
葵は「おーい?神白先輩ってば!」と彼の顔の前で手を振っている。
「え?あの、夢乃先輩ですか?本当に?」
目の前にいるのに間抜けな質問だ。
だけどそれくらい信じられなかったのだ。
彼がそう尋ねると彼女はいたずらな笑みを浮かべてこう言った。
「本当にって、私の偽物がいるなら見てみたいよ!――まあでも今は、先輩じゃないけどね?」
そう言って葵は自分の制服のリボンを指差した。
「先輩じゃないって――!」
確かに葵がつけているのは他の一年生と同じ黄色いリボンだ。
「約束したよね?同じ学校に行こうって」
「あの、それは……」
確かに、葵が中学を卒業するとき彼はその約束もした。
守ることの出来なかった約束だ。
「わかってるよ。神白先輩が家の関係で入学出来なくなったんだよね?」
「……はい」
「だからね、私が神白先輩のいるこの学園に来ちゃった♪」
「そっかそれで学園に――いやいや!え、退魔師の適性だってほぼないのにどうやって!?」
「神白のおじさまに頼んでだよ?」
神白のおじさま……つまりは彼の父親だ。
確かに、紅魔家と並ぶ神白家の当主なら多少学園に顔も利くだろう。
「じゃあ先輩は、わざわざ卒業してるのに俺のいる学園に?」
「わざわざって、その言い方なんか酷くない?」
「え、でも――」
「もしかして神白君は……私が来たの迷惑だったかな……」
そう言って落ち込む葵を見て、彼は慌てて弁解する。
「――そんな事ないです!俺もずっと会いたかったから。本当は、今凄く嬉しいです!」
「そっか……良かった」
顔を上げた葵の目元には少し涙が滲んでいた。
「本当に先輩は、俺のために……」
「嘘だと思ったの?私だって同じ学校に行きたかったんだよ♪」
「夢乃先ぱ――!」
葵は喜ぶ神白の口に指を押し当てながら、まだ言いたい事が終わってないとばかりに話しを続けた。
「だから――正真正銘、今日から私はこの学園の一年生で先輩の後輩だよ?えへへ」
そう言って彼女は、昔と変わらない眩しい笑顔を見せた。
嬉しそうな葵が落ち込まないように、声が出せないのでとりあえず彼は思いの丈を込めて必死に頷くことにした。
「それで神白先輩、まだ答えてもらってないよ?」
指を離した葵は、少し照れたようにも不安そうにも見える様子でポツリと呟いた。
「え、答えって?」
そんな葵に見惚れながらも神白は聞き返した。
「だから!神白先輩の弟子にしてくれる……よね?」
そう言われて彼はやっと今が入学式後の師弟の儀だと思い出した。
本来彼には規則として申し込まれれば誰であれ断ることは基本出来ない。
だが葵はその事を知らなかったのだ。
でも、仮に拒否権があったとしても彼の答えは決まっていた。
彼女からの言葉には規則ではなく自分の心で応えよう。
そう思った彼はまっすぐ彼女を見つめ誓った。
「
「良かった……これからよろしくね!神白先輩♪」
葵の瞳にほんのり溜まっていた涙が溢れながらも、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔に憂鬱だった新学期は、彼にとって最高の一年の始まりになった――。
「・・・・・・う、うむ完全に二人のの世界だな。先輩と言ってたがどういうことかに気なるが、あれじゃ今は聞けんな」
二人の空気に完全に蚊帳の外な黄瀬であった。
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