蜘蛛の巣は美しい
「じゃあ、この問題は…、真瀬。答えは?」
「……( 2 , 3 )です。」
「正解。じゃあ次は……」
先日のデート以来、教師の授業が頭に入ってこない。
どれだけ集中しようとしても、頭が空っぽになってしまう。
それもそうだ。自身の記憶の人物が誰なのかを確かめるために、名門の清徳高校を受験した。真紀さんと会うために先輩のクラスに何度も足を運んだ。答えを聞くために必死にデートプランを考えた。それが全部水の泡になったのだ。大きな虚無に襲われるのも無理はない。
だが正直それはそこまで問題ではない。限りなく近しい人物ではあったが、違っていたならまた手がかりから探せば良いのだ。それなのに僕の原動力はどこに行ってしまったのか。
『ごめんなさい。』
目に涙を浮かべる彼女が脳裏に映る。
そうだ。僕は彼女を苦しめてしまった。自分勝手に押しかけて、自分の都合で高揚し、絶望した。それが彼女にとってどれだけ理不尽な状況なのか、以前の僕はわかっていなかった。
そして彼女は涙を見せたのだ。こんな僕にも罪悪感を感じて。それだけ彼女は優しいのだろう。
謝らなきゃいけない。彼女が罪悪感を感じる必要はない。
今日の放課後、クラスに行くことを決めた。――――
――――キーンコーンカーンコーン…
帰りのホームルームが終わった。僕は速攻で鞄を手に取ると、廊下に飛び出し、階段を駆け上がる。階段を上がってすぐに真紀さんの教室に着いた。
教室を覗くと、各々の生徒が談笑、部活や帰宅の準備をしている。どうやらホームルームは終わっているようだ。今までは訪れた際はなんともなかったのに、改めて後輩が先輩の教室に入ることに抵抗を感じた。
なんとも言えない肩身の狭さに怖じ気づきながらも、教室を見回すと、窓際の席に真紀さんを見つけた。
僕は早足で、真紀さんに駆け寄った。
「真紀さん、すこし話したいことがあります。いいですか。」
物凄く感情の読みづらい声色で話しかけると、彼女は目を丸くした。
「光太郎君…。いきなり来てびっくりだよ。なんというか…、君からまた会いに来られるとは思ってなかったから…。いや、別に来ちゃダメだったとかでは全然ないんだけど…」
彼女はとても申し訳なさそうだった。
初めて会った時とは対照的で、別人のようだ。
僕といることの居心地の悪さを紛らわすかのように、彼女は言葉を続けた。
「それで…、話したいことっていうのは、先日のことかな…。あれは本当に…」
「いえ、謝るのは僕です。」
彼女の言葉を遮り、僕は謝った。
「え?」
彼女はキョトンとして僕を見つめる。
「僕が自分勝手に真紀さんを巻き込んだんです。真紀さんが罪悪感を感じる必要はないんです。だから…、ごめんなさい。」
僕は頭を下げた。
僕の記憶の真相なんて、僕以外の人にはどうでもいいことだ。それに真紀さんが謝るのはおかしい。これは僕のすべきことだ。僕は頭を下げ続けた。
「そっか」
彼女はぽつりと呟いた。
「とりあえず、顔上げてよ。」
そう言われ僕は顔を上げる。するとそこには微笑んだ彼女の顔があった。
「光太郎君がそう言ってくれたから、私も心の支えがとれたよ。」
「じゃあ…、許してくれるんですか…。」
「許すも許さないもないよ。君は大切なものを求めた。それを責める気はない。それに……」
彼女は恥ずかしそうに口をつぐむ。
「どうしたんですか?」
「光太郎君は必死に謝っていて気づいてないかも知れないけど、ここ教室だよ…?」
あっ…。辺りを見回すと、皆が怪訝そうな顔で僕らを見ている。
「途中から私も気づいてさ、でも光太郎君が必死に喋ってるの邪魔できなくて…。」
途端に猛烈な恥ずかしさが襲ってきて、僕はここから逃げ出したくなった。
「アハハ…。ここはちょっと居づらくなっちゃったね。場所変えよっか。駅前のファミレスに行こう。そこで話たくさん聞いてあげるから。」
彼女は恥ずかしそうに、しかし同時に嬉しそうに言った。
その無邪気で、でも慈愛に満ちた、美しい表情は僕の心を射貫くには十分だった。
僕は自分の心に戸惑いを感じながらも、置いて行かれないよう、異様な空気が流れる教室を駆け抜けて彼女の後に着いていった。
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