パンドラの箱

――チッ、チッ、チッ、チッ…


時計の秒針の音だけが部屋に響く。時刻は12時半になる頃。

僕はベットの上で天井を見つめていた。


『私は何も知らない。それが答え。』


真紀さんの言葉が頭の中にこびりつく。

「なんなんだよ…、くそっ…。」

僕はぽつりと呟く。

真紀さんという唯一の手がかりを失った今、僕の記憶を確かめる術はない。

親の記憶もなくしてしまうほどの事故の中で残された少女の記憶。僕の人生で重要な人物である可能性は高い。それを確かめたかった。

でももう叶わない。

僕は何を目的に生きていけば良いのだろう。


もう疲れた。何も考えたくない。

僕は考えることを止め、そのまま目を閉じる。

閉じて数分で意識が遠のく。どうやら今日のデートは相当疲れていたらしい。

僕は意識が落ちる直前の快感に身を委ね、そのまま深い眠りに付いた――――






――――ん、ぅん?ここはどこだ?僕はさっきまで部屋で寝ていたはずじゃ…。

…知らない場所だ。家の中か?いや僕の家はこんな内装じゃない。


…なるほど、これは夢か。あれだけ疲れていたのだしノンレム睡眠で夢は見ないと思ったのに、こんなリアルな夢を見るとは。

ん?夢を夢と自覚出来ている。しかも身体を自由に動かせる…。これは明晰夢か!さすがに初めての体験だな。せっかく自由に動けるなら、色々歩き回ってこの世界を探索しよう。


ふむふむ…。それなりに豪華なリビングとダイニングキッチン。それに寝室、ここは書斎だろうか。この家の家主の部屋だろう。


そして次。この部屋は…、子ども部屋か…?

ピンクのベットにピンクのランドセル、多くのぬいぐるみと棚には可愛らしい小物類。女の子の部屋か。

さすがに入るのはまずいだろうか。いや、これは夢だし、さっきもあらゆる部屋に無断で入ったんだ。せっかくだから見ていこう――――




――――ん、ぅん?あぁ?………あぁ。

僕はいつもの部屋に戻っていた。いつも以上にいらついた目覚めだ。

寝ぼけた目を時計にやると時刻は9時ちょうどだった。

今日は日曜日。いつもなら勉強をする日であるが、今日はそんな気分ではない。


昨日たたきつけられた現実がまたやってくるという絶望。そこから目を逸らすように夢の中の出来事を振り返った。


人生初の明晰夢。その体験は素直に楽しかった。夢の中でも現実と同じように身体を動かせることに最初は違和感があったが、慣れれば異世界旅行のようで面白さが勝っていった。

そして僕が夢の中にいた家。色々と探索したがいまいちよくわからない。夢に見るということは人生のどこかであのような家を見たのだろうが、あんな立派な家は見た記憶がない。テレビで見たのだろうか?

しかも最後の子ども部屋。あそこの部屋には多くの情報があると思ったが、ドアを開け、一歩踏み入れた瞬間に夢が終わってしまった。なんという痛手。また見られるのなら次は絶対に――


「なにをやっているんだ僕は…。」


夢の振り返りが一通り終わると再び気分が落ち込んだ。

真紀さんを追いかけるために高校を決め、その後も真紀さんを追いかけてきた。

でも真紀さんは記憶の少女じゃなかった。

辛い、悲しい、無駄…


あらゆる負の感情が頭の中をぐるぐるしている間に、僕はいつの間にか着替え、リュックに教科書を詰め込んでいた。毎週、図書館で勉強していたルーチンが染みついてしまっている。


仕方ない…。今日も勉強か…。

全く気乗りはしない物の、ここまで準備したならと行ってしまうことにした。

良い気分転換になればなぁ。そんな淡い期待を胸に秘めながら、リュックに教科書、ノートを詰め込んでいく。



ふと手に取った「真瀬光太郎」と名前の書かれたノートを見た瞬間、僕は一瞬吐き気を覚えた。



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