第30話

 そこに居たのは筋骨隆々の大男だった。身長が低いとは言えぬエイブラハムでも少しばかり上を向かねば顔が見えないほど。その腕は大木の如く、身体もまた大岩の如し。厳めしい顔からは身体と同様に荒々しい覇気が漂っている。


「我が名はガッドウィン。剣聖を継ぐものである」

「ほほう。まだ譲るとは申しておりませんが」

「今より奪い取る。覚悟めされよ」


 ガッドウィンと名乗る男は淡々と宣言しながら、背負っていた大剣を引き抜いた。その剣もまた冗談のように巨大だった。刃渡りはイリーナとほぼ変わらない程度はあるだろう。剣というよりも、巨大な鉈といった風情である。ガッドウィンはその凶悪な武器を片手で持ち、エイブラハムに切っ先を突きつけた。


 リュウはその姿を見て、ほう、と感嘆の声を漏らした。恵まれた身体を苛め抜いたのだろう筋肉のつき方。見た目以上に体幹もしっかりしているらしいことは歩みでわかった。なるほど、挑戦するだけのことはあるだろう。


 対するエイブラハムは苦笑いを浮かべながら壁に立てかけてあった剣を手に取った。思い出してみれば、昨日から変わらず立てかけてあった代物である。この程度の武器で十分と思っているのか、それとも武器の扱いが雑なのか。別にそのどちらでも良いのだろう。彼にとって、剣であればあまり関係がないのだから。


「では、儂が立会人となろう。勝敗は如何とする」

「どちらかが死するまで」

「そこまでする必要はないでしょう。降参すればそこで終いで」


 両者の中間に立つリュウに各々の希望が伝えられた。ガッドウィンは猛々しく、エイブラハムはともすれば気弱ともとれる決着方法である。だがしかし、リュウとしては生き死にまで賭ける必要はなかろうと思っていた。

 将来有望な武人であれば、生きてこそ価値が生まれる。血反吐を垂れ流して己を研ぎ澄まし、汚泥を啜って生き永らえることこそが得難い経験だ。そこで折れてしまう者も多々いるが、折れず曲がらず愚直に立ち上がれる者こそが武の道を歩めるのである。生き死にを決める必要がないのであれば、死なぬことが一番だ。


「―――有効打三つで終わりとする」

「軟弱な。世に頂きは二つと要らぬ」

「はっは。若い、若い」


 しかし、ガッドウィンにはわからない。生死のかからぬ立ち合いなど惰弱に過ぎると吐き捨てる。彼は強い。誰も敵わぬほどに強いのだろう。それが故に、リュウたちとは歩む道が異なっていた。

 リュウも、エイブラハムも、そのことを指摘はしない。武とは、唯一の価値観で在るものではないのだから。


「では、始められよ」


 特段溜めることもなく、リュウは立ち合いの開始を告げる。呆気にとられたのは、イリーナだけであった。


 先を取ったのはやはりと言うべきか、ゴッドウィン。大地も砕けよとばかりに踏み切り、エイブラハムへと矢の如く一直線に駆ける。そのままの勢いで空気を切り裂き剣先が突き出された。

 当たれば突き刺さる―――否、爆砕するかのような一撃は空を切る。僅か半歩、左に足を踏み出したエイブラハムには掠りもしていない。

 隙を晒したかに見えたゴッドウィンの腕がぶれる。己が膂力のみで剣線を強引に変化させたのだ。空を貫いた突きが切り下ろしに変化を見せている。しかし、エイブラハムには当たらない。その変化も見ていたのか、側面へと回り込むように歩を進めている。


「ぬゥン!」


 気を吐くかのような鋭い呼気。大男の身体がぐるりと回る。半ば地面にめり込んでいる足で大地を抉りながら、さながら竜巻の如く。細身の女の腰よりも太い腕がエイブラハムの正面から迫っていた。

 薙ぎ払うというよりも叩きつけるような軌道。中に入り込む事を拒む、鮮やかな一手と言える。しかしそれは、エイブラハムなどの武人からすれば明らかな隙。

 


 必要以上に飛びのいたエイブラハムの鼻先を、巨大な刃先が通り過ぎてゆく。腕一本で巨剣を振り回せるという、尋常ならざる膂力を背景にしたひっかけである。遠心力すらも乗せた一撃は、地面すらも半ばまで断ち切った。


「お見事」


 いまだ鞘に収まったままの剣を左手で下げ、エイブラハムは称賛を送る。ゴッドウィンという男、言うだけのことはある。天稟もあろうが、今まで自分に容赦する事なく鍛え上げてきたことがわかる。たったの四手。それだけで彼の歩んだ道が垣間見える思いだった。


 遠慮がちにイリーナの吐息が漏れ出た。両者の立ち合いの圧に負けたのか、呼吸すらも忘れていたらしい。寒いような、熱いような、妙な空気に彼女の額にはうっすらと汗が浮かんでいた。


「…殺す気ではないか」

「なに、あの程度挨拶のようなものだ」

「地面を破壊する挨拶があってたまるか」


 一般的な感性からすればごもっともである。四手とも、当たればまず命を奪う攻撃だった。しかし、立ち合いであるリュウは止める気配もなく、鋭く立ち合いを見つめるだけ。止める隙もないと言えばその通りだが、判定をするとまで言っているのだから、リュウという男ならば間に入り込めるのだろう。

 すわ職務放棄か、とすら思うイリーナであるが、かくありなん。立ち会う両者の顔を見れば、確かに挨拶だったのだろう。


「さて」


 エイブラハムが言葉を発した一瞬後には、硬いものを打ち付ける音が鳴り響いていた。見れば圧されたように半歩後退るゴッドウィンと、先ほどまで鞘に収まっていたはずの剣を振っていたエイブラハムの姿があった。

 まるでコマを落としたかのよう。

 踏み込みと抜刀が、イリーナには見えていなかった。


「方向性がまるで逆だ。実に、見応えがある」


 ゴッドウィンは己の筋力で剣を振るのに対し、エイブラハムはことで剣を振る。ゴッドウィンのそれは起こりは見えるが反応させない速度であるのに対し、エイブラハムは起こりを察知させないことで同等の速度域として見せかけた。反応できたゴッドウィンをこそ称賛するべきである。


「これぞ剣聖の技よ…ッ!」


 エイブラハムの一撃を受けたゴッドウィンは雄々しく太い笑みを浮かべた。

 剣聖の足さばき、太刀筋ともに見惚れるほどの美しさ。既に身体の絶頂期は過ぎているだろうに、この動きだ。それに、受け止めた剣から感じた重さは何ごとか。地面を受け止めたかのような衝撃ではないか!


「とくと比べようぞッ! 我が道、我が剣、剣聖に比すればこそ! いざ! いざ、いざ、いざァ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

魔槍と呼ばれた男 立花 @tachibana1982

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ