第29話

 翌日。

 エイブラハムを加えた三人は庭先で早朝の鍛錬を行っていた。馬歩の姿勢を取っての站椿立ちである。やや腰の位置が高いイリーナに比べて、初体験のはずのエイブラハムは堂々たる立ち姿を見せていた。


「さもありなん。大本の理は共通するものだ」


 やや納得のいかないイリーナに対し、リュウは無常に告げた。


 三人が居る場所はエイブラハムの家の庭先である。昨日の交流の後、エイブラハムとリュウは案の定意気投合。エイブラハムの好意に甘えて、二人は彼の家に逗留することになったのである。


 そして今日、日課の鍛錬から技術交流と相成った。前日はエイブラハムの技術を学んだからか、本日はリュウの基礎鍛錬を教えることになる。エイブラハムももう若いとは言えない歳であるため、果たしてついてこられるのかとイリーナは心配していた。が、全くの杞憂だった。


「やはり基礎が一番大事ということでしょうなあ」


 原理としてやはり共通項があるのか、エイブラハムは何を言うでもなくリュウの鍛錬を受け入れていた。イリーナはことあるごとに指摘を受けているが、エイブラハムは一言二言の助言であっさりと飲み込んでいる。そのどっしりと地に根を下ろしたかのような立ち姿はリュウのものと確かに似ていた。


「なるほど、なるほど。これは確かに良い基礎鍛錬ですな。足腰、体幹、重心把握……理にかなっている。まさに基礎の部分を鍛えるものでしょう。長期間続ければ必ず力になる」


 微塵も揺らぐことなく立ちながら、エイブラハムは感心した声を出した。足腰を鍛えるならば走り込みでも十分にできる。体力も向上する分、走り込みも重要な鍛錬である。だがしかし、どうしても軸の部分は鍛えにくい。特に平坦な土地では望むべくもない。足場の不安定な野山を走り回るのであれば別だが。


 とは言え、どちらも試行錯誤がなければ身につかない。どちらも鍛錬としては地味できついものだ。何故この鍛錬をするのか、という部分を知っていたとしてもつらいものはつらい。これを耐えて続けねば力にならぬというのはその通りだが、重要なのは考えることである。


 


 これを考えられなければ先へは進めない。人間の技術は、便利に、楽に、簡単に、という意識があって初めて進歩する。これは全てに共通しているのだ。仕事だろうが、日常生活だろうが、それこそ武であろうが、何も変わらない。


 武においてはより顕著とも言える。楽になるということは、身体に無理がないということなのだ。それはつまり、己の身体を十全に使うための一歩。翻って脱力への足掛かりと言うことだ。得物を持つことを前提とするエイブラハムからすれば、なかった視点である。


「我々剣士というものは必ず剣を持つ。その時点で脱力からは一歩離れていることになりましょう。感覚を養うという点は抜けていました」


 剣士にとって剣は己の一部である。しかしそれは。最終的な到達地点でもある。剣という自分の身体とは別のものを操る時点で、物理的に一体化は不可能なのだ。その意識を、齟齬をなくしていくのが鍛錬の役割である。当然、それは一朝一夕にできるものではない。


 剣を持つ。剣を振るう。そういう意識では脱力は得られない。剣という異物を手に持って使用している、という認識を捨てられていない証左なのだ。持っているものを振り上げる、振り下ろす、という意識では不必要に力を使うことになる。力みがあるからこそ力の流れが滞り、十全の力は出せなくなるのだ。


 力があれば速く剣が振れるというのは、間違いではないが、間違っている。剣速が速いということと、相手を倒せるということは必ずしも同義ではない。腕に覚えがあるものは相対するものの動きをつぶさに観察している。力で振るうということは、次に何をするのか相手に教えるということだ。


「是非これは取り入れましょう。アレハンドロが次に来た時には必ず教え」

「頼もう!」


 嬉しそうなエイブラハムの声に被さるように、門の向こうから大きな声が響いてきた。まだ朝も早い時刻だというのに、非常識とも言える。隣家はないものの、些か礼を失する行いでもある。


「さて。聞いたことのない声ではあるが」


 小さくため息を吐いたエイブラハムが門へと歩き出した。リュウは全く意に介していないらしく、微動だにしない。イリーナもまた視線だけは向けて姿勢は崩していないところがまた、師と同じようなものだが。


「どなたかな。約束はなかったと思っているが」

「剣聖とお見受けする。立ち会って頂きたい」

「道場破りということかな?」

「そう思って頂いて結構」


 果たして、来客は無頼漢だったらしい。


 エイブラハムが剣聖であることは広く知れ渡っている。それと同時に、弟子を滅多に取らない事も知られていた。故に、その技術を盗もうとするもの、叩き潰して名声を得ようとするものは数限りなく存在する。他流試合、つまり道場破りについてはエイブラハムも特段禁止していなかったため、定期的にこういった輩は現れるのである。


「来客中故、日を改めて頂きたいところだが」

「いつ何時でも、という話だったはずだが?」

「確かに。はあ、仕方ない」


 今後からは必ず事前に連絡をするよう周知するべきだな、と考えながら、エイブラハムは門扉を開け放った。

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