第28話

「全然わからん」


 あの後、一刻ほど教えを受けたが感覚は全く掴めていないイリーナである。さもありなん。技術は一朝一夕に身につくものではなく、その教えもまた同様。なんとなく理解はできても、身体は動くようにできていないものだ。


「鍛錬あるのみよ」

「十数年学んでもアレハンドロもできておりませんでなあ」


 親爺どもはうんうんと頷くだけで役立つ情報を寄越しもしない。身体に刷り込むしかないのはイリーナもわかってはいるが、どうにも気が急いてしまう。


「イリーナ嬢には精霊術もある。そう急くものでもない」

「精霊術を持ってしても身を守れんほどのバケモノが多すぎる」

「まず逃げる事を考えよ」

「むう」


 リュウはわざわざ相対することを推奨していない。武とは己の身を守るための術である。しかし、確かに相手を打倒す術でもある。身についた力を試してみたくなるのは人の性とも言うべきものだが、未熟なものほどその思考に流れやすい。だからこそ、師と呼ばれる存在は最初に逃げる術を教える。

 一番良いのは己の身に危険が及ばないことだ。どうしようもない状況でない限り、争うべきではないのだ。何が起こるかなど誰もわからないのだから、まずは自分の安全を確保することが肝要である。自分の身を守る最善の行動は危険から遠ざかること。そこを正しく認識できないものほど、早死にするのだ。


「逃げられぬ時を考えれば、強くなりたいという気持ちも十二分にわかりますよ」

「逃げられない、例えば戦場などではどういう心持ちなのだろうか」

「ううん。敵を打ち倒す、というよりも疲れない事を意識しますかねえ」

「戦場ともなれば、そのようになりましょう」

「戦場でも逃げるということか?」

「いやいや、戦ではそうもいきますまい」


 エイブラハムは緩く首を横に振った。戦場において敵前逃亡はご法度。いざ戦場に立てばどうあっても戦わざるを得ない。だが、基本的に一番大事なことは生き残る事である。


「功を焦るな、ということよ。腕に自信があるものほど、前に出たがる。それ即ち、死地に自ら飛び込むようなもの」

「戦場においては一対一など望むべくもなく、常に四方を敵に囲まれていると思って良い。そうなれば、己の身を守るのは難しくなります」

「いかに技を極めていようとも、数は数よ。囲まれれば無傷で切り抜けるのも難しくなる」


 方や剣、方や槍と言えど、考えている事は同じらしい。親爺二人は視線を合わせて思わず苦笑していた。達人同士はいちいちいちゃつかなければならない病気にでも患っているのだろうか。


「戦場では無数の視線に晒される。それもただ見ているような茫洋としたものではなく、それこそ殺意の籠った視線だ。それは当然重圧として感じるように人はできている。そんな空気が蔓延している戦場は、とかく疲労が蓄積しやすい」

「目の前の敵を切り倒さねば死ぬ、しかし動けなくなれば間違いなく死ぬ。だからこそ、疲れない事が大事になるわけですな」

「いやしかし、戦場では駆け回って斬り合うわけだろう? どうあっても疲れるではないか」

「それはそうだ。だからこそ、加減が大事になる」


 歩兵の想定であっても、騎兵の想定であっても、移動をしながら攻撃をすれば疲れは蓄積する。親爺たちは、全力で戦うなということを言っているのだ。

 しかし、相手が殺しに来る状況では、己もまた全力で応じなければ死ぬ。それは自明のことだ。それでも、彼らは疲労を溜めるなと言うだろう。


「一番怖いのは、足が動かなくなることだ。常に全力を出していては、肝心な時に力が入らなくなる。全ては生き残るため、視野を広く、無駄な力を抜いて動かねばならん」

「良いところ一割、二割。力など、そんなもので十分ですよ」

「それは貴殿らだからでは……」


 イリーナとしては苦笑しか浮かばない。言っている事はわかるが、前提が間違っている気がしてならないのだ。技を修めているからこそ余裕が生まれるのだ。一割、二割と言うが、その程度の力で捌けるほどに己を高めなければ望むべくもない。

 だがしかし、本質はそこではないのだろう。推測するしかないが、彼らはきっと積み上げてきた経験から言っている。読み取れない己が悪いのか、理解できるように教示しない親爺どもが悪いのか。


「何にしろ、鍛錬を怠るなというところに行き着く」

「然り、然り。修練を積み、心技体を合一させる。一歩一歩が血肉となり、貴女を守ることでしょう」


 結局のところ、自分を鍛え続けろというところに落ち着いてしまうのは何故なのか。それは彼らが、真にその通りの生き方をしてきたからに違いない。一つの切欠で大きく技術が伸びる事は確かにあるだろう。だがそれ以上に、徹底した努力の積み重ねの方が遥かに重要なのだ。

 金言に違いないが、若いイリーナからすれば気が長い話に聞こえてしまう。


「文句を垂れるなら基礎ができてからだ」

「ぐぬう」


 不満そうな顔のイリーナを見て、リュウはぴしゃりと言い切った。重心移動も、脱力もまだまだできているとは言い難いイリーナには耳が痛い。続けていればそのうちできるようになる、というぼんやりとした言葉だけでは焦れるのも当然だろう。

 気を紛らわすように、イリーナは槍を振り回した。


 





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