第27話
「このあたりで止めておきますか」
「ええ。これ以上は生き死にになりましょう」
リュウもエイブラハムも思いの外あっさりと構えを解いた。リュウが言った通り、熱くなりすぎればどちらかが死ぬことになる。どちらも負ける気がないとなれば、加減をする余裕もなくなるだろう。木刀であろうと、素手であろうと、技があれば人はあっさりと殺せてしまうものだ。
「それにしても、あれはどういったもので?」
「ああ、目付けですな」
「目付けだけでああはなりますまい。変わった術と見ますが」
「ふっふ。お目が高い。あれなるは”合気”と名付けております」
「合気…?」
「左様。気を合わせるということです」
「字面の想像はできますが、はて」
「気とは呼吸、我々は息遣いにこそ最も気を向けますでしょう」
「ええ、ええ。起こりは全て呼吸からですから」
吸って、吐く。この動作が難しい。特に相争う場にあっては、この動作が生死を分ける。人は息を吸う時力は抜ける。逆に吐く時に力が入る。これを見切れば仕掛けてくる機は読めるようになる。呼吸を読めるようになって初めて一人前。しかし、そこで終わりではないのがまた、武の奥深いところである。
身体操作において、呼吸という動作は密接に関わってくる。先述した通り、吸って、吐く、という動作でも意味合いが違う。屈筋、伸筋と用途に合わせて身体操作を行うことで、効率良く動くことができる。これは長い時間をかけて己と対話をしていくしかない。感覚として身につくまで、ただひたすらに修練をするのだ。
その果てが、合気という技術なのだろう。
「これがなかなか面白いものでしてね、気を合わせると相手もまた合わせてくれるのです」
「つまり、呼吸を合わせると動きも合ってしまう、と」
「ざっくりと言えばそういうことでしょう」
「なるほど」
「何を言っているのか全然わからんのだが?」
感想戦というか、技術交流が始まって安堵したのか、イリーナが近づいてきた。リュウもエイブラハムも顔を見合わせてさもありなんと頷く。ちょいちょいとエイブラハムが手招きするのに応じてイリーナは移動した。
「槍を出しておけ」
「あ、ああ」
さっと出した槍を構えるとエイブラハムがイリーナの前に立った。
「正面から打ちます。受け止めてくださいね。ああ、軽くやるので大丈夫」
エイブラハムは言葉通り、ゆっくりと正面から木刀を打ち下ろしてきた。金属製の槍を横にしてそれを受ける。かつん、と音が鳴った。
「普通にやればこうなりますね。打とうという動作があれば、子供でも受けられる」
正面打ち、斬り下ろし、再度正面打ち。確かに、あっさりと受け止められる。わかりやすく打つ時に息を吐き出しているらしい。時折吐き出すタイミングを変えているためか、受け止める時に重さがかなり変わる事もイリーナにはわかった。リュウに呼吸の重要性を説かれてはいたが、こうして危なくない実技で教わると理解が進む。
「さて、呼吸が合ってきました。ではもう一度」
同じように振り下ろされる木刀を受けようとしたところで、動きが止まる。こつん、と木刀で頭を叩かれた。全く痛くはないが、理解ができず目を白黒させる。
「もう一度」
「―――え?」
また叩かれた。イリーナは受けようとしている。受けようとしているが、受けられない。身体を制御されているかのように、受けようとした瞬間に力が抜けるのだ。実際に受けても意味がわからない。
「合わせてくれるのだからできることですよ」
事もなげにのたまうエイブラハムである。
イリーナからしたら、何をどうしたらこの境地に至れるのかがわからない。リュウもまた意味のわからない技術を多数持っているが、エイブラハムの”合気”が一番意味がわからない。自分で相手の呼吸を合わせる。意味合いは理解できるが、どうやって合わせるのか。合ったとして、それがどう相手を操作する技術に結び付くのか。
意味不明だが、それゆえに面白い。
「これは一朝一夕には身につかないでしょうな。目付け、呼吸、重心移動、全て必要でしょう」
「やあこれは参った。貴殿であれば、二、三年もあれば会得してしまいそうです」
ハッハッハ、と元気に笑う親爺ども。イリーナとしては基礎から教わりたいとも思っている。剣を振るうつもりはないが、アレハンドロが師事した剣術なのだ。習っておいて損はない。
「少し見ましょうか」
苦笑したエイブラハムがイリーナに声をかけた。こくこくと頷いたイリーナは元気よく彼の前に立ったのだった。
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