第25話

 腹もくちくなったところで三人は店を出た。何故連れ立って出る必要があるのか、イリーナにはよくわかっていない。だが、リュウとアレハンドロの師―――エイブラハムと言うらしい―――は古くからの友人かのように振る舞っている。奇人と気が合うということは、相手も奇人なのだろう。イリーナはそう納得しておいた。

 三人はぶらぶらと町の中央を抜ける道を歩く。特段見るべきものはなく、少し前に立って歩くエイブラハムの後を着いて行くだけである。広めの道から徐々に道幅が狭くなった。裏道のような細く入り組んだ路地を抜けると、開けた場所に出た。少し先には、入ってきた時と同様の門がある。


「某の家は町の外にありましてな」

「なるほど、その方が都合が良いわけですか」

「何がなるほどなのかわからんし、何故ほいほい着いて行くのか」


 したり顔の親爺二人にイリーナが突っ込むも、完全に無視である。和やかに雑談しながらさっさと町の外へと出てしまった。このままエイブラハムの家で茶でも飲むのであれば良いが、どうせそうはならないだろう。若干胃が痛くなってきたイリーナだが、それと同時に楽しみでもあった。

 リュウの教えをまだ一か月しか学んでいないが、イリーナにも何となくどれだけ使えるのかがわかるようになった。

 エイブラハムには隙がない。えっちらおっちらと歩いているが、。普通は歩けば重心が移動する。鍛えていようとぶれが生じるものだ。しかし、イリーナの目の前にいる二人は一瞬の揺れも感じさせない。これが軸というものなのかもしれない。

 リュウは良く観察しろと事あるごとに口にする。修練の時だけではなく、普段の生活でも一挙手一投足を良く見ろと。長い時間を武に捧げたものは、いついかなる時であろうとも頭から指先まで教本になるのだ。これを盗めと、リュウは言う。

 なるほど、とイリーナは得心した。違いを比較すれば、どこを改善すれば良いのかがぼんやりと見えてくる。目を養うとはこういうことなのだろう。


「さあて、一手指しますか」

「応とも」


 イリーナは二人の歩く姿に夢中だったために気付かなかったが、いつの間にか広大な敷地を持つ邸宅に足を踏み入れていた。ここがエイブラハムの家なのだろう。茶でも飲んでからなのだろうと思っていたが、早速おっぱじめるつもりだ。イリーナは静かに後ろへと下がって十分に安全と思われる距離を取った。

 二人は十歩ほどの距離を開けて向かい合う。食堂で漏れ出た気配はどこへやら、ただただ向き合っているようにしか見えない。お互いを見つめる瞳は凪いでいた。

 示し合わせたように、二人は足を前に出す。何の気負いもない、散歩にでも出かけるように気軽な歩み。すぐに十歩の距離はなくなり、これもまた示し合わせたように二人は右手を差し出した。お互い右半身で、手首を辺りで右手を合わせる。


 そして、動きを止めた。


 イリーナは首を傾げた。一手指すとはどういうことなのか、というのもあるが、何故二人は手を合わせたまま身動き一つしないのか。呼吸すらしているか怪しい。ぴんと張り詰めた空気の中、微塵も動かずお互いが見つめ合っている。そういう稽古なのだろうか、とイリーナは考えていた。

 実際のところ。

 腕を触れ合わせただけで二人は戦っていた。接点があるということは、何か動きがあればすぐに相手に伝わるということだ。下手に動けば容易に対応されるという確信が二人にはあった。


(これはまた)

(強いなあ。強い)


 立ち居振る舞いを見ればどれだけ武に浸っていたかはすぐにわかる。お互いがお互いに尋常ならざる相手だと認めていた。そして、触れて確信する。欠片も油断が許されない相手だと。


 粘りつくような時が続くかと思われたその時、合わせた腕が微かに動いた。状況を動かしたのは、リュウだった。

 ほんの些細な切欠で、濁流の如く状況が動き出す。

 エイブラハムの前足がぴくりと動いたかと思えばリュウの右足もにじり寄る。

 押された腕がいつの間にか反対に押されている。

 一瞬手が離れた瞬間に互いの左手が霞んだ。

 静と動が絶え間なく交差している。

 虚と実が同居している。

 互いが互いの攻め手を捌き、起こりを潰しているのだ。

 瞬間に幾合も打ち合っているようなものだ。

 そう、二人は動かなかったのではなく、軽率に動けなかったのだ。

 それではつまらん、と軽く動き出せるのはリュウだからだ。

 イリーナはようやくその事に気付き、あまりの狂気に戦慄した。瞬間に命が散るかもしれない立ち合いで、何故迷いもなく動けるのか。命が惜しくはないのか。惜しくはないのだろうと思いなおす。そもそも、リュウは武にその命を捧げているのだから。


 ぱん。


 小さく軽い音が鳴った。何がどうなったのか、リュウが軽く上げた手でエイブラハムの両手が真上に弾かれている。リュウは上げていた手を押し出すようにしてエイブラハムの胸に触れた。


「やあ参った。無手ではやはりどうにもなりませんなあ」

「なに、無手でも十分と言えましょう」


 姿勢を正した二人は朗らかに笑った。一連の動きは鍛錬の一つなのである。お互いの動きを触れ合わせた一点で図り合い、互いに隙を打ち、それに対応する。甘ければ接点が途切れ、切られた方が隙を晒すことになるのだ。


「ううむ。まだお若いのにこの技の冴え。末恐ろしいですな」

「なんの、まだまだ道の途中なれば」

「はっは。確かに、お互い精進しなければ。さて」


 エイブラハムは近くの壁に立てかけてあった木の剣を手に取った。リュウはそれを見て笑みを浮かべる。本番は、これからなのだ。


「今度は得手でやりましょうか」

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