第24話

 丘から見えた町に程なく辿り着いた。大きすぎず、小さすぎず。門から真っ直ぐに引かれた道は街道なのだろう。立地的に要衝というわけではないが、なだらかな地形が続く地域のため、徐々に人が集まったとイリーナが解説していた。

 二人は特段何事もなく町に入った。門番こそいたものの、さらりと内に入れてしまうあたりはこの辺りの気風なのだろうか。それとも、ただ呑気なだけなのか。身分証明など求められても困るだけなリュウにとっては楽ができて良いだけではあるが。


「昼時だ。食事をしないか?」

「任せる。どこに何があるかもわからん」

「任されよう」


 朝早くに村を出たが、陽は既に中天まで昇っていた。言われれば少し腹が減っているようだ、とリュウは思う。リュウはあまり食事に思い入れがないのだ。対するイリーナは健啖家である。

 少し行くと安くてうまい店がある、とイリーナが先に立って歩き出した。どことなく楽しそうなイリーナを見て、やれやれと苦笑する。これはこれで、旅というものなのだろう。見聞を広めるのだから、何にでも好奇心を持って接しなければ損である。そう思いなおしたリュウはイリーナの後に続いた。


「ここだ。串焼きがやたらうまくて安い。量も多いから最の高だ」

「興奮しているのは伝わった。もう少し落ち着きを持てお嬢さん」

「食こそが生き甲斐だろうが。ここで昂ぶらずいつ昂ぶる」


 もはや何を言っても無駄である。意気揚々と店内に突入し、空いている席に座るイリーナに苦笑が漏れた。身体はまだ若いが、精神的には老人のリュウには少しばかり眩すぎる。だが、若い者はこれくらいでなければ、とも思うのだった。

 店内はいくつかのテーブル席と焼き場の目の前の席、二つに分かれていた。テーブル席も空いているにも関わらず、イリーナは迷うことなく焼き場の前である。料理人が串焼きを調理する様をかぶり付きで見たいらしい。生き甲斐というだけあって、今までに見たことがない程瞳が輝いている。黙っていれば美しい宝石だが、一皮むけばそこらの親爺と変わらない。残念美人、という言葉がリュウの脳裏をよぎった。

 慣れているのか、矢継ぎ早に注文しているイリーナの横に腰を下ろす。自然と炎と戦う職人の姿が目に入った。確かに、これはこれで面白く、食欲も沸く。自身もそこまで熱心に料理などしないからか、職人の動きは感心するほどに見応えがあった。


「こちら失礼しますよ」


 串が次々と焼き上がる様を眺めていると、リュウの隣に客が座った。少しばかり熱中しすぎたか、と姿勢を正すと共に隣に黙礼したところで、掌が目に入った。

 節々が太くごつごつとした指。

 幾度となく豆ができ、潰れた証拠でもある分厚い皮膚。

 掌とあまり変わらないほどに太い手首。

 鍛錬に鍛錬を重ねた、見事な手だ。


「この手が珍しいですか?」

「いや、良い手だ、と」

「はは。驚かれることはあれど、褒められたことなどありませんなあ」


 リュウはここで初めて隣の客の顔を見た。少しばかり皺が深く刻まれた初老の男。頭髪の八割ほどは白くなっており、その顎に蓄えた髭もまた白い。柔和な笑みを見る限り、もう少し若ければ美丈夫で通ると思える顔貌である。眉間に深く刻まれた皺が柔和なだけではないと告げているが、落ち着いた男に見えた。


「貴殿の手も相当なものだ」

「なに、まだ虐め足りぬひよっ子の手だ」

「それは謙遜というものでしょう」


 はっは、と二人で笑う。料理が到着して歓声を上げながら両手で串を持ったイリーナが、ようやく二人の様子に気付いた。訝し気に首を傾げながら、とりあえず串焼きを頬張るあたり食い意地が張っている。


「んぐ。師よ、そちらは?」

「アレハンドロ殿のお師匠だ」

「んぐふ」

「おや、弟子をご存知でしたか」

「ええ。良い弟子をお持ちになりましたな」


 あまりの急展開に肉を喉に詰まらせたイリーナを脇に、二人はジョッキを合わせた。どんどん、と胸を叩いてようやく嚥下したイリーナが慌てて立ち上がる。が、すぐにリュウに手を引かれて着席を果たす。


「大人しく座って食え。何が起こるわけでもない」

「しかし…!」

「この方はアレハンドロではない。その人を見よ」

「弟子と何かあるのですなあ。若いうちはそれで良いでしょう」

「忝い」


 イリーナは口を開けたり閉じたりと忙しなかったが、やがてどうにもならぬと悟ったのか黙って串焼き攻略を再開した。うむ、と一つ頷き、リュウも串焼きを摘まむ。


「後姿を見てすぐにわかりました。若輩のあれでは勝てますまい」

「恐縮です」

「はは。肝も太い。こちらはには何を?」

「旅の途中でふらりと。貴方に会いたいとも思っていましたが」

「ほう?」

「我が武、見聞を広めなければこれ以上の広がりは難しいとも思いましてな」

「なるほど、なるほど。技術交流を図りたいと」

「それが出来れば有難く。

「………某ももう少し若ければ。とも思わなくもないが、なかなか血を騒がせますなあ」


 びり、と空気が揺れた。同時に重苦しい空気が立ち込める。何のことはない町の料理屋に、鬼が二匹。あれだけ騒がしかった店内に静寂が満ちた。何もわからぬ他の客も、二人の鬼気に当てられているのだ。

 一方でイリーナは急展開に目を白黒させながらも串を口に詰め込んでいる。普段からリュウの気を感じていただけに他のものよりも耐性があったらしい。静かな笑みを浮かべる男二人に、ひたすら食い続ける女。二呼吸ほど置いたところで、ひりついた空気が霧散した。


「どちらにしろ、ここではただの迷惑でしょう」

「違いない。では仕切り直しましょうぞ。出会いを祝して」

「乾杯」


 炭が弾ける音だけが響く店内に、ジョッキを軽く打ち合わせた音が響いた。

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