第23話
翌朝。
リュウは簡素な袋を肩に下げて里を出ようとしていた。必要最低限の生活用品だけを恵んでもらったのだ。特段欲しいものもなかったので、衣服や携帯食などしかない。後は野となれ山となれの心持ちである。
まだ朝も明けきらぬ早い時間。弟子たちが稽古を始めるよりも更に早く、リュウは村を去った。湿っぽくなるというよりかは、引き留められる可能性を失くしたかった。
予め覚えておいた森を抜けるルートで黙々と歩く。最初は西へ。森を抜けて少し行った先に小さな町があるという。見聞を広める第一歩としては妥当なところと言えよう。
静かな森の中をずいずいと進んでゆく。木々がひたすら続くだけの道だが、特段退屈もしない。見るもの全てが、とは言えないが、ほとんどが新鮮なのだ。村での生活でもそこまで動植物に注目はしていなかったが、一人で歩くと自然と目に入ってくるそれらはリュウの目を楽しませた。
一刻程度は歩いただろうか、少し先に人の気配を感じる。辺鄙なところにいるものだ、と訝しむも特段気にしないことにした。段々と距離が近づいて来る。果たしてそれは、見知った顔である。
「道案内が必要だろう」
大樹に背を預けて声をかけてきたのはイリーナだ。背負い袋を一つ持ち、どことなく得意げな顔をしていた。リュウはそれを認めると目を細めて苦笑した。
「いらんが」
「そうだろうそうだろ……は?」
「早く村に戻れよ」
「いやいやいや」
イリーナの言葉をすげなくかわすと目の前をさっさと歩いてゆく。一方のイリーナは肩透かしを食らったように慌てた。飛びついて来るとは思っていなかったが、半ば無視のように通り過ぎるとは思っていなかったのだ。
「待て、待って。師は地理に明るくないだろう?」
「目的があるわけでもなし、どうとでもなる」
「路銀は」
「長に貰った」
「ひ、ひとりでは寂しいのでは」
「儂はいつでも一人旅だったが」
「ぐ、ぐぬぬ」
イリーナはリュウを引き留めるように後から着いて行く。格好良く登場してこの先困るであろう事を解決するために同行しようとしたが、リュウが思いの外流してくる。イリーナとしては、もう少しすんなり行くと思っていたが、リュウの無関心さを甘く見ていた。
「手助けならいらん。帰りなさい」
「うぬぅ………手助けがしたい、というわけではないのだ。いや、手助けもしたいが、そうではなく…」
「そうではなく」
「う、う……ええい。同行したいのだ」
「何故」
「一つ。私はまだ強くなりたい。師の教え通りやっていればある程度は強くなれるのかもしれないが、貴方についていけばもっと濃く学べる。その環境を手放したくない」
「ふむ」
「二つ。師は西へ行くと言った。西の国には、アレハンドロがいる。あれを始末したい」
「そうか。励めよ」
「三つ! 私も、私も見聞を広めたい。私は狭い世界で天狗になっていた。世界にはアレハンドロや、師のような傑物がいるのだと知らなかった。無知は恥だ。私は、私の氏族を守るためにも強く、賢くあるべきなのだ。だから、だから、師に同行し、学びたい」
イリーナは井の中の蛙だった。外に出れば知らぬことが多い事はわかりきっていたが、覚悟が足りなかったのだ。知らぬという事は怖いことだが、同時に知るというのも怖いことだ。それでも、それでも。
彼女は知りたいと思ったのだ。アレハンドロという脅威を知った身として、一歩外に出れば荒れ狂う海だということはわかっている。だが、それと同時にリュウという師にも出会ったのだ。
高い青空を知ってしまったのだ。
「そうか」
リュウは返答するが歩く速度は変わらない。イリーナに興味がない、というよりは工程を消化している。
そもそもの話、リュウがどこへ行こうと勝手だし、イリーナがどうしようが勝手にすれば良い話なのだ。着いてきたければ着いてくれば良い。技を盗みたければ盗めば良い。教えて欲しいというのであれば、教えてやるのも良いだろう。好き勝手に生きるというのも、人間は選んで良いのだ。
「勝手に、着いて行く」
リュウのすぐ後ろから、そんな声が聞こえた。それでいい。勝手にすれば良いのだ。リュウは少しばかり苦笑し、聞こえてきた言葉には応えなかった。
また一刻ほど歩いた。ようやく森を抜け、小高い丘に出る。そこから見下ろせば、確かに小さな町があった。
「あの町には、確かアレハンドロの師がいるとか聞いた事が」
「ほう。それは良い。会えるだろうか」
「わからない。町民に聞いてみるしかない」
リュウとしては朗報である。かの者の師となれば、相当な使えるのだろう。徒手空拳ではないだろうが、武器術もまた一興。年甲斐もなく、沸き立つものを感じた。
二人は景色を眺めるのもそこそこにまた歩みを進める。
「イリーナ嬢、そういえば顔を出しても良いのか」
アレハンドロがいる国の町なのであれば、イリーナの種族は差別されているはずだ。通常の人の耳と比べれば長いそれは、晒しても問題ないとは思えない。
「え、ああ。時折ここには来ているから大丈夫だ。耳もほら、この通り」
フードを取ったイリーナの耳は、リュウのものと変わりはなかった。精霊術なのだろう。便利なものだ、とリュウは感心する。ならば特段問題はないか、と納得し、さっさと町へ入ることにした。
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