第16話

翌朝。まだ夜も明けぬ早朝に起き出した。大の字で豪快に寝ているイリーナと姿勢良く寝ているウルとの対比が何とも言えない。

二人を起こさぬように家の外に忍び出る。まだまだ薄暗い中を記憶を便りに昨日の広場へと向かう。

ほどなくして辿り着いたそこは、木々が生い茂っているだけに暗闇に近い。大きめの木の下辺りで立ち止まると、いつも通りに腰を落とした。


泰然と真っ直ぐに立つことの難しいことよ。己の淀みを感じながら最新の注意を払って身体を調整する。力は滞っていないか、りきみはないか、爪先から頭頂まで確認作業を行うのだ。

地から伸びて頭まで一直線に伸びる軸。星をも貫通して宇宙のどこまでも伸びてゆくと想像するのである。これが強くなければ技には何の意味もない。体幹とは、体軸とは、それほどに重要なものなのだ。

今までに出会った強者は軸がしっかりしていた。意識もしていたことだろう。打撃の通り方、重さも違った。立ち会う時は毎回死を意識したものだ。

しかし、イリーナも、あのアレハンドロですら軸がない。嘆かわしい、と言えば良いのか。身体の使い方すら満足に知らずにあれだけ動けるのを褒めれば良いのか。まだまだ伸び代があるというのは羨ましいことではある。


一刻ほどで日が昇った。木々の隙間から木漏れ陽が届いてきている。リュウはようやく姿勢をゆっくりと動かした。ゆっくりと時間をかけて右足を踏み出し、両の掌を前へと伸ばす。徐々に重心を前に移動させ、右足に乗せた。中腰のまま左足を右足に寄せ、肘をゆっくりと曲げる。す、と右足を擦らせて左足が持ち上がった。

両の腕で球を抱くイメージ。するすると動かしながらも体幹は揺らがない。左足を持ち上げたまま徐々に腰が落ちてゆく。左の掌を右の拳で叩くと同時に震脚。

鉄球でも落としたかのような重低音。

木々も堪らずざわざわと葉を擦れさせて声を上げる。


ぱんっ


柏手を打ったような音。

リュウを見れば拳を突き出していた。

破裂音はリュウの拳によって産み出されていた。

またも一拍遅れて空気が動く。

そのままの体勢で、リュウはゆっくりと残りの息を吐き出した。


(なかなか力が抜けんな)


改めて姿勢を戻し、ため息混じりに苦笑いをひとつ。

身体が若すぎて、つい肩に力が入ってしまう。りきみは澱みである。身体も心も柔らかく、流れを止めてはいけない。

さて、と思ったところで遠くにウルの姿を認めた。リュウがいなかったから探しにきたのだろう。と思えば、その後ろにはイリーナの姿も見える。連れてこられたのか、はたまた弟を心配してついてきたのか。


「リュウ様!」

「おはよう」

「おはようございますっ!」


元気に挨拶を返すウルに、心底気だるげに手を上げただけのイリーナである。まだ夢現といったところだ。少しばかり、意地悪をしてみようか。

想像する。

左の抜き手がイリーナの喉を貫く光景を。

ほんの一歩踏み出し、左手を放り投げるだけ。

絹を抜くよりも容易く、穴を穿つだろう。

イリーナの反応は劇的だった。

半分閉じていた目を見開き、弾けるようにリュウから距離を取る。


「ーーーなんッ…!」

「常在戦場とは言わんが、弛みすぎも良くないだろう」

「………最悪の目覚ましだ」


射殺すようなイリーナの視線を笑って受け流す。一人わかっていないのはウルである。二人を交互に見て小首を傾げていた。



イリーナは改めてリュウの底知れぬ武威を感じていた。あれが殺気とでも言うのだろうか。。アレハンドロに斬られる寸前でもここまではっきりと幻視しなかったというのに。

心臓が激しく鼓動を刻み、血液が逆流するかのよう。冷や汗が止まらない。全く笑えないお遊びだ。を御しきれるとは、とても思えない。

イリーナは早くも後悔し始めていた。

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