第11話
「よくぞおいでなすった」
小さな円筒形の小屋に入ると、胡座座りの老人がリュウを迎え入れた。
外見とは裏腹に、小屋の中は広く感じる。あまり物が置かれていないからだろうか。長の家の割には質素に過ぎた。
「お座りくだされ。茶を淹れさせております」
「忝ない。お心遣い、痛み入ります」
左の掌で右拳を包むようにしながら一礼し、ふわりと腰を下ろす。
腰を下ろすのを待っていたかのように茶がリュウの前におかれた。毒を疑っても良い状況だが、どうせ一度死んでいるのだ、とさしたる気負いもなく一口。途端に草木の、土の、山の香りが広がる。複雑な花々の息吹き、少しばかりの甘味すら感じた。清涼感のある、爽やかな茶だ。
「うまい」
「それは良かった。我らの数少ない自慢の品です」
人の良い笑みを浮かべる老婆は楚々と笑った。山奥の老人とは思えぬほどの気品を感じた。背中は丸くならず、背骨が立っている。武術のそれというよりも、礼法の賜物だろう。凛とした姿に柔らかな笑顔を見ると、人は自然と敬う気持ちになるものだ。
何とはなしに、少しの間仕えた王を思い出した。
「イリーナからお聞きしましたが、あなた様は己がどこから来たのかわからないとのこと。少しお話を伺っても?」
「構いませぬ」
リュウは訥々と語った。武を極めんとしていたこと。数多くの死線を潜り、数多くの者の命を奪ったこと。国を助ける仕事に就いていたこと。そして、余多作り出した死者の怨念により、命を落としたこと。
なるほど、これは確かに怨念に殺される人生だった。人の命を奪ったことを後悔はしていないが、若い頃の所業は宿業として確かに巡っていたのだ。多少丸くなった今だからこそ、苦笑と共に振り返ることができる。
(我ながら実に傲慢で、猛々しいことよな)
だが、そのおかげで武も一定の進展を見せたのだ。やはり、間違えてはいないのだろう、などと考えているあたり、イリーナが狂人と呼ぶのも理解できる。
どこまで行っても、武こそが友であり、恋人であり、神なのだ。
なるほど、これは狂信だ。
「濃い生涯だったのですね」
「ええ。濃く、長い旅路でした」
「ですが、まだ続いています。あなた様は、生き返った。いいえ、正確には時を越えた」
何の冗談かとリュウは胡乱げに老婆を見つめるが、その瞳に偽りの色は見えない。よく見ればリュウを通り越した、どこか遠くを観ているようにもみえる。
馬鹿げていると一笑に付すこともできる。が、どうにも笑えない。自身でも理解はしているのである。リュウの身に超常的な何かが起きているのは確かなのだ。
「どういうことか。何故そう言い切れるのか」
「あなた様には精霊様の加護がないのです。この世には加護なしは有り得ない。であれば、精霊様の存在しなかった世界に居たことになります」
「然り。信仰はあれど精霊や神など実在証明されたことはない」
「我々の世界では精霊様はおわすのです。触れることも、話すこともできる」
「………それで、何故生き返る事に繋がるのか」
「観念的な事を申し上げますが、世界は無数に存在する、というお話を聞いたことは御座いますか」
「触り程度は。極端な話をすれば、人の頭の中で一つの世界は完結している。目の前の光景が真であると説明できるのは己のみであるが故に」
「そうですね。その考え方も興味深いですが、時間ごとに世界は分岐しているという考え方です。例えば、道を行く時に右の道か左の道かという選択があったとします。私は右を選び、多少遠回りでも目的地にたどり着けたという結果を得ました。
では左を選んでいたら? 道半ばで山賊なり獣なりに殺されていたかもしれない。これが世界の分岐点となるのです」
「可能性の数だけ世界が存在すると仰るのか」
「はい。だからこそ世界の有り様は無限と言えます。あなた様が確かに生きた世界も存在するし、我々が生きるこの世界もまた存在する」
「な、るほど。だから貴殿は時を越えたと」
「あなた様が死を迎えたのであれば、その世界はそこで完結しているはず。意識が連続しているということは、世界は閉じていないということではないでしょうか。
しかし、あなた様は、記憶の最後から意識のみ連続している。肉体のみ若返っていることなど有り得ない。あなた様の記憶違いということであれば話は別になりますが」
「だがそれも貴殿の想像に過ぎぬのでは」
「そうですね。……ですが、わたくしは少しばかりずるをしておりますので。あなた様が異邦人であると、精霊様に教えて貰いました」
固まった空気を解かすように、長は茶目っ気たっぷりにばちりと片目を瞑って微笑んだ。その悪戯な笑みには、誰でも毒気を抜かれるだろう。リュウもまた、呆気に取られたように苦笑を見せた。
「異邦人、つまり異界の住人ということですか」
「はい。わたくしは歓迎致しますよ、魔槍どの」
「これは参った。精霊も口が軽いとみえる」
「精霊様との井戸端会議も楽しいものですよ
」
「敵わんな」
精霊の扱いが軽いのか、ただ気安いだけなのか、それともこの女性が凄いのか。少しばかりもてあそばれた気がしなくはないが、そう悪くもないと思ったリュウであった。
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