第7話

アレハンドロは微かに怯んだ。妙な気配の男だとは思っていた。動きも戦士のそれだとは思っていた。だが、この妙な圧迫感は何だ。気迫に呑まれているとでも言うのか。

イリーナから離れると同時に、イリーナへ割いていた意識も捨てる。集中しなければ、あの男は殺れない。

アレハンドロは一つ息を吐き出しだ。仕切り直し


「…!」


刹那のことだった。

手癖で構えた盾の表面を槍が削る。

アレハンドロの前には、既にリュウが居た。

いや、気付けなかったと言うべきか。アレハンドロは、仕切り直しなどと生温い思考を挟んだことを恥じる。そう、相対して読みきれぬ程の手練れなのだと、改めて認識しなければ。


一呼吸に三度、上中下段と打ち込まれる刺突。下段も槍が中段からの変化。ぎりぎりで足を引くが残りの二つは盾で受け止める。起こりも見えなければ引き手すらも霞むほどの速度。

盾で弾いた硬質な音すら置き去りに、中段の突きが迫った。


「ぐう…!」


数多の戦場を走ったアレハンドロだからこそ、その一撃は避けられた。いや、避けきれてはいない。横に飛ぶように動いた瞬間、盾の左端を掠めていたのだ。

思わずアレハンドロから苦笑が漏れでる。


(盾の硬さには自信があったが…。まともに受ければ貫かれるか。信じられん。力…いや、技、か?)


リュウを見据えればゆったりとした動作で、また中段に槍を構えていた。ようやく仕切り直しということらしい。だがしかし、一欠片も油断してはならない。あの男は瞬時に攻勢に転じることができる。

一秒に満たぬ間で呼吸を整えた。同時に盾を投げ付ける。避ける、受ける、弾く、どれでも良かった。それで取れる首とは思わないが、一つの切っ掛けにさえなればと。

リュウの槍が僅かに動く。盾を真下に叩き落とすべく。しかしそれも槍を振り上げたりはしない。持ち手が僅かにぶれたかと思えば、槍がしなり、中段の構えのまま盾が叩き落とされた。

駆け出したアレハンドロは既に後一歩の距離。一手で攻守が切り替わる。

はずだった。

地面に叩きつけられたはずの盾が、アレハンドロの眼前に迫っていた。リュウは叩き落とした盾をその爪先でふわりと蹴り上げていたのだ。


(なんという! 誘い込まれたッ!)


大上段に振り上げた剣はまだ止められる。しかし、勢いづいた蹴り足は止まらない。アレハンドロは激しく舌打つと、大声を張り上げた。


「大地よッッッ!!」


何の冗談か、大地が突如として隆起した。呆気に取られたリュウだが、そのお陰で槍を失うことはなかった。

あまりにも常識の埒外。思わず笑ってしまう程度に意味がわからなかった。すわ幻術の類いか、とも思ったが土の匂いがその考えを否定する。流石は死後の世界よ、とリュウは再度笑った。

面白い。ああ、面白いとも。

たったひとつ、見知らぬ業が混じるだけでぐんと難易度が増す。それに加えて腕もたつ。どう出てくるのか、それをどう捌くか、考えるだけで楽しいではないか。


「穿て!」


頭上から聞こえた声と同時に、目の前の壁から鋭く尖った土が剣山の如く突き出た。


(槍衾とな)


と、とん、と即座に壁から離れながら得物を振るう。行動を阻害せぬ程度の余白を作るための迎撃だ。突き、払い、斬り、数多の土くれを捌いてゆく。

そんな中、リュウはちらりと頭上を見上げた。来るならここだ。ここだが、それではつまらない。

ちらりと影が見えた。それはアレハンドロではない。リュウを悠々と隠せるほどの影は果たして、巨石だった。


(無難ではある、が)


割るのも良いが、わざわざ隙を晒してやることもない。後ろへ下がる、と同時。


「おお!」


思わずリュウは歓喜の声をあげる。下がるのを見越していたようにアレハンドロの剣が迫っていた。使い手はいない。そう、

未だリュウの足は片方が宙にあり、槍を振るうには遅い。誰が見ても必死。


しかし、だがしかし。


万夫不当の名を欲しいままにした烈士は尚も嗤う。

ひゅっ、と、音が鳴った。

それは追い縋る剣の風切り音にあらず。

地に振り下ろした蹴撃の音にあらず。

それは秘奥のひとつ。

鋭く吐ききった呼気である。


ずしん、と重苦しい音が響き渡った。

耐えかねた地面が爆ぜる。

巻き上げられた土が、石が、飛来する剣を押し流した。

そこに。

金色の閃光が砂塵を切り裂いた。


「取ったァ!」


砂塵の中にあってさえ黄金に輝く大剣が、首を刈り取らんと迫る。

その剣、その体捌き、その戦術のなんと美しいことか。一つ二つでは仕留めきれぬと読みきっての三段構え。

だが。


槍を斜に構え、横薙ぎの一撃を迎え入れる。接触した瞬間に僅かに力を緩め、槍を撓ませた。じわりと足を進め、槍と剣との接触面を厚く取ってゆく。刹那のうちに削られゆく槍を徐々に傾け、槍を手放すと同時にほんの少し上へと押し出した。


「なんーーー」


必殺の一撃が断ち切ったのは槍一本のみ。首を狙った剣はリュウの頭上を通り抜けていた。揺れる瞳と、凪いだ瞳が交錯する。

じわりと進んでいた足を軸にリュウの体勢がくるりと弧を描いた。

アレハンドロの胸に軽く背が触れた。


どずん、と。

先程よりも更に鈍い地響きがあった。

リュウが軸足で踏み締めた地面から四方八方に亀裂が走る。

さながら、それは爆発だった。

アレハンドロは吹き飛んだ。

放物線などと生易しいものではない。

真っ直ぐに、直線的に、文字通り吹き飛んだ。


「がっア…ッ!」


優に百歩ほどは吹き飛ばされたアレハンドロだが、その命は繋いでいた。攻撃を貰う直前に、薄い岩を差し込むことができたのだ。紙のように頼りなくとも、幾ばくかの衝撃は逃せたらしい。

内蔵を掻き回されるような激痛に耐えながらアレハンドロは立ち上がる。


(継続戦闘など無理に決まっている。イリーナを仕留められなかったのは痛いが、生きているだけ儲けものか)


あの男が追ってくる前に離脱しなければならない。毛ほどの油断もなかったが、純粋に力負けだった。

生き残れたことは純粋に喜ぶべきことだが、それ以上に忸怩たる思いがある。

己の強さには自信があり、誇りがあった。

それを一瞬で叩き壊されたのだ。

唇を噛みきり、地を操って離脱を開始した。

この敗戦を糧にするのだ。

アレハンドロは、名も知らぬ鬼神の姿をその胸に刻み込んだ。

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