第5話
あまりにもあまりな質問に、女は毒気を抜かれた。こんなところで迷ったなど、有り得ぬ話だ。しかし、リュウの瞳に嘘はない。嘘があれば、女にはわかる。
詰めていた気を漏らすように、女はため息を吐き出した。
「ここはアラヤ平原ということは知っているだろう? もう少し西に向かえばオルトゥカーンに着く」
「ふむ?」
「……わからんのか?」
「うむ。見当もつかん」
「どこの田舎者だ…」
死後の世界にも地名があるのか、などと考えているリュウである。
「田舎も何も、ここは死後の世界ではないのか」
「なるほど、気狂いか」
「耄碌はしているかもしれんが、まだ呆けてはおらんよ」
「呆けるほどの歳でもなさそうに見えるが」
「うむ。三十といったところだろう」
「若くして狂ったわけか」
「その発想から一旦離れてはくれまいか」
「おかしなことを言う貴様が悪いのだろうがっ」
からかっているとでも思われたのか、女は憤慨したようである。しかしリュウは悪びれる素振りもない。それはそうだ。リュウからすれば何もわからないのだから。
「袖振り合うも多生の縁とも言う。少しばかり爺に教えくれぬか」
「爺ではなかろうが。はあ、まあいいだろう。移動しながらでも良いか?」
「構わないとも。骸を眺めながらというのも風情がない」
「まったくだ」
踵を返して歩き始めた女を追うようにリュウも歩き始める。なかなかどうして、女は面倒見が良いようだ。
「気付いたらここにいた? 夢遊病の類いか?」
「可能性がないとは言えぬが。違うとは思いたい」
「ならばどういうことだ」
「ふむ。儂の最後の記憶は、己の死だ」
「………はあ?」
「然もありなん。確かに儂は死んだはずだ。腕も足も捥がれ、自分の血で溺れるほどの血を流した」
「嘘……ではないの、か」
「うむ。それに、儂はその時六十を越えていた。それが何故若返っているのか。死後の世界であればそのようなこともあるかと思ったのだが」
「嘘だと言いたいところだが、貴様は嘘を吐いていない。狂言というのが一番しっくりくる」
「荒唐無稽よなあ」
「何故他人事のように語れるのかがわからんが、そうか」
「うん? 何故嘘ではないと確信を持った」
「私は嘘を見破れる。そういう精霊の加護を持っているからな」
「精霊。なんだねそれは」
「………流石に冗談だと思いたい」
女は頭痛を堪えるようにこめかみを押さえた。
女の常識では精霊を知らないものはいない。何故ならば、人は生まれながらにして必ず何かしらの精霊の加護を得ているからだ。力の強弱はあれど、精霊の加護を持たないものなどいない。
それに、子供は親に精霊の加護を教わるし、自身でも精霊を感じることができる。生きている限り、精霊というものは人の身近に存在するものなのだ。
その精霊を、目の前の男は知らないと言う。少し話しただけではあるが、この理知的な話し方を聞く限り狂っているとも思えない。何がなにやら。
「それで、精霊とは?」
「え? あ、ああ、そうだな。何と言えば良いのか…。見えないが、我々を守ってくれる存在、とでも言えばいいのか」
「随分とふんわりしているが」
「常識だから改めて言葉にするのが難しいのだ」
「神と同じようなものか。儂の知る神は人を守りも救いはしなかったが」
「とんだ精霊もいたものだな」
「お嬢さんが殺した男どもも精霊が守っていたのか?」
「お嬢…。精霊もまた、加護は与えるがその後は基本的に放置だ。加護の使い方はその個人に委ねられる」
「それは守っていると言えるのか」
「さて。それは信仰の教義による」
「いつの世も、そんなものか」
ぷつりと会話が途切れた。
微妙な内容だった、というのもあるが、二人を囲むように近づく気配に気付いたのだ。
話しているうちに小さな森に入っていたが、そこに住む何かが二人を補足していた。
「使えるのだろう? 少しばかり手伝って貰えるか」
「構わんよ。情報の対価としよう」
「今更だが、名は? 私はイリーナだ」
「リュウと。よろしく頼むよ、お嬢さん」
「イリーナだ!」
呵呵と笑うリュウと、槍を構えたイリーナが背中合わせに立つ。
囲まれているにも関わらず、二人には余裕すら感じられた。
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