第182話 後味のいい敗北もあるんだな

 負けた。その事実をすんなりと受け入れている自分がいる。あれほど準備を整え、戦略を巡らせ、終いにはアイナにいろいろ言わされた挙句の敗北だが、意外と悪くない気分だ。


 俺はニコニコとしながら旅の想像を膨らませているアイナを前に、自分の目をそっと腕で隠した。




「どうしたの?」


「なにも……」


「泣いてるの?」


「泣いてない」




 泣いてない。目から汗が出ているだけだ。何で泣いているのかって? そもそも泣いていないから質問の意図が分からないが、別に負けたからではない。他人に、アイナにこれほどまでに必要としてもらえることが嬉しくてたまらないことと、内心で安堵している俺のあまりの情けなさに汗が出ているのだ。




「ねぇ」


「泣いてない」


「何も言ってないわよ」




 ねぇって言ったじゃん。年甲斐もなく幼女の前で汗をかいているのは男のプライドを著しく刺激する。少なくともアイナの前ではハリボテと見抜かれていても強くいたいんだ。俺のなけなしのプライドだぞ? 尊重してくれ。


 人生において赤ちゃん時代の次くらい大汗を流した後、俺はしっかりと目元を回復させてからアイナに向き直った。




「もういいの?」


「何がだ? 俺はアイナと違って泣いてないぞ。目元も赤くないし」


「え? あ……」




 アイナの目元は真っ赤だ。ずっと泣いていたもんな。まだまだ子供だぜ。


 俺はアイナの目元を回復魔法で癒す。昔もこんなことをした気がする。その後、アイナを俺の上からどかして立ち上がった。




「時間も遅いし、疲れたからあの建物に帰るか」


「懐かしいわね」




 久しぶりにアイナとゆっくり話ながら歩いていると、森の向こうから見慣れた姿が現れた。




「オイ、戦いが終わったんなら言えよ! ずっと傲慢の野郎に追っかけ回されてたんだぞ!」


「いや、知らん」


「オイ!」


「そういえばルシファーはどうしたのかしら?」


「ルシファー? 傲慢の野郎のことか。それならぐちょぐちょと戦ってるぞ」




 レヴィアタンの言葉を聞いてアイナは頭にクエスチョンマークを浮かべて首を傾げている。俺は何かわかっているので引き気味な顔をした。




「ねぇ、あなた。ぐちょぐちょって何かしら?」


「ゴーレムの失敗作、かな?」


「懲りずにまた作ったの?」


「作った」




 マネキンモドキからゴーレムも進化したんだよ。いろいろ考えた結果、相手を拘束することに特化させることにしたのだ。それなら攻防ともに対応できて戦略の幅が広がると思ってさ。で、そう考えた時に人型である必要がないことに気がついて、それならいっそのことムカデワニに寄生していた触手にトリモチの特徴をつけたら無敵じゃね? と思って作ったのだ。そして、レヴィアタンで試したけれど絵面がいかがわしいことになっちゃった。レヴィアタン相手なら気にならないけど、アイナに使うのは気が引けたから没にした。




「嫉妬ッ! 貴様ァ!」


「お呼びだぞ」


「知らねーな」




 あ、精神世界に逃げた。それで、傲慢ことルシファー君はなんかベトベトしてない? ドッキリにでもあったのかな? アイナも笑いを堪えているじゃん。




「うふ、ふふ……その、ルシファー?」


「主! 勝ったのか!?」


「ええ、勝ったわ」


「なら良いのだ。我は嫉妬を滅ぼさねばならぬ」


「あいつは精神世界に逃げ込んだぞ」


「嫉妬の主か。ヤツを売る気か?」


「たまには痛い目を見てもいいかなって」


「そうか。情報は受け取っておく」




 あ、消えた。ま、いいか。


 そんな一幕もありながら、俺とアイナはあの建物に到着した。二人そろって戻ってくることになろうとは夢にも思わなかった。




『嘘つけ。心から望んだことだろーが』




 そんな声が聞こえた気がしたが気のせいだろう。その後の悲鳴も気のせいだ。ルシファー君やってお仕舞なさい。




「ねぇ、そう言えばあなたのことを教えてもらっていないわ。嫌ならいいのだけれど、少しくらいは聞きたいの。邪魔な2人もいないのだし」


「あいつらはどうせ聞いていると思うが、そうだな……。じゃ、1つだけ」




 そんな期待を込めた目で見られてもなぁ。クッソつまらないことなんだが?


 俺はアイナのキラキラした視線に気後れしながらも口を開いた。この世界に来てからノリで言って、ずっと隠してきたことを。




「俺の名前、神崎じゃない」


「え……? えぇっ!?」


「この世界で俺の本名を知っている人間はいない。レヴィアタンはよくわからないけど」


「じゃあ、あなたの本名はなんて言うのよ!?」




 そんなに勢い勇んで聞くことかね? 俺みたいな人間の名前なんて聞いても一銭の価値もないぞ? 




「あー、俺の本名は――」




 アイナにだけ聞こえるようにこっそりと耳打ちをして教える。たぶん魔王二人には筒向けだろうが、少しでも反抗したかった。




「ま、この世界では神崎でよろしく。それで慣れちゃったし」


「あなたがそう望むならそうするわ。うふふ、これでこの世界であなたの名前を知っているのはわたくしだけよ」


「そうだな」




 何でそんなに嬉しそうなの? 秘密の共有ができたから? まだまだそういうところは子どもだな。大人になると守秘義務とか、上司の悪癖とか、情報商材詐欺とかで秘密なんぞ知りたくなくなるんだよ。


 こうして俺たちの戦いは終わりを告げたのだった。

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