第三幕 そのあやかし、恋う

 その【あやかし】が恋に落ちたのは一度ではない。そして、何度めかの恋の終わりに、【あやかし】は変わってしまった。――【人に害をなす存在】へと。


 呪詛を吐きながら町から町を移動する【あやかし】がこの町にやって来たのは偶然だ。ただただ次の町にしかすぎず、ここでも変わらずに呪詛を撒き散らしていた。一目見て危険だと判断した拝み屋は、数人がかりで強固な〈怨み〉を持つ【あやかし】を弱らせることに成功する。どうにか――が頭につくのが必至であるが、やり遂げた拝み屋たちはおのおので自画自賛した。


 唸り声を上げながら、文字どおり地を這うように移動する【あやかし】のあとを誰も追おうとしなかったのには、ちゃんとした理由がある。拝み屋たちも負傷したためだ。それに、自分たちがこれ以上の労力をかけぬとも、なにせこの先は拝み屋が集う魔の八丁目と呼ばれる場所でもあったのだった――。




【 そのあやかし、う 】




 昨夜の天気予報で冷え込むと言われていた早朝、冷たい空気を切り裂くように「かなちゃん、おはよー」と日菜乃がキッチンへと顔を出した。ちょうど味噌汁の味見をしているときである。


「おう、おはよう、日菜乃。今日は日菜乃が一番乗りだな」

「うん、目が覚めたんだ! 朝の空気は気持ちいいねっ」

「そうかー。ほら」


 笑みで返す古川は日菜乃にお椀とティースプーン――小さいサイズのスプーンを渡した。それはいわば、一番乗りした【あやかし】の特権である『第二の味見役』を勝ち取った瞬間でもある。人参、大根、油揚げが具材の味噌汁は湯気を立ち上らせては消えていく。「いい匂い」と日菜乃は顔を綻ばせ、ひとくちふたくちと汁を飲んで、具材を口に運んでいった。


「んー、おいしい」

「よし、サバも焼けたことだし、盛りつけるか」


 お盆の上に並べられた平皿に塩で味をつけた切り身のサバとだし巻き玉子の盛りつけが終われば、「稚児ー!」と慌てながら二匹の【あやかし】が顔を出す。とたん、悔しそうに顔を歪めたが、「うむ」と納得した顔になった。――これはしかたがないと。


「今日は日菜乃が一番乗りか」

「布団におらんことから想像はついたが、トイレの可能性もあったからな」


 納得はしたようだが、未だに残念そうな声音の二匹に対し、古川は「はい、運ぶ」と四角いお盆を差し出した。「あい、解った」と素直に受け取るのは、その後を思ってだ。こたつテーブルを囲む楽しさは何物にも代えがたい。


 日菜乃も加わったのちに終えた配膳に、みなが「いただきます」と手を合わせた。


「稚児が焼いた魚は極上としか言えんな」

「仕事をしたのは俺じゃなくて魚焼きグリルだけどな」

「稚児の手が加わればそれだけでご馳走だ」

「今日のご飯もおいしいねー」


 焼きサバを口に運んだ日咲は顔を綻ばせ、だし巻き玉子を箸で割る雅盛の方はしっぽを揺らし、日菜乃は味噌汁で一息つく。古川は古川で愛らしい幼児たちを眺め、口元を緩ませる。今日はいったいどんな日になるのだろうか。そう思いを馳せながら。




    ★




「よし、行くか」


 朝食を片し、身支度を整えてから【あやかし】たちの頭を撫でた古川は、引き戸に手をかけた。本日は見回りの日でもあるのだ。持ち回りで月に二回ほどあるが、学生の身であるために配慮されており、講義のない日――休日の水曜日が古川に割り当てられている。


 見回りという名がついていてもなんら仰々しさはなく、言ってしまえばただの散歩なのだ。近所を歩くだけという簡単なもの。古川とあとに続く【あやかし】には道行く人々から陽気な声が掛けられていく。この時間は登校中の学生が多く、元気がいい。元気がいいのはご近所さんもそうであるのだが。


「よう、ようちゃん、おはよう。元気かー?」

「おはようございます、今日も元気ですよー」

「かなちゃん、おはよー」

「はよー、気をつけてなー」

「【あやかし】ちゃんたちも元気がいいねー」

「うむ、稚児が元気だからな」


 日咲が胸を張ると、「あははは、そっか。またねー」と女子生徒たちは小さく手を振りながら過ぎていく。日がな寒さが厳しくなってきているが、和やかな光景に対して、古川は無意識に「今日も平和だなあ」とこぼしていた。


「おはよう、要一」

「白波さん、おはようございます」

「なんだ、白波。朝っぱらからなんの用だ」

「用があるのなら昼からにしてくれ。朝から顔を会わせたくないんだ」


 前方から軽く片手を上げた白波を発見した二匹の【あやかし】はひしと古川の足に抱きつく。残された日菜乃は日菜乃で、「わたしも!」と残る足に手を伸ばした。


「今日はこれからどうするんだい?」

「診療所に行きますね。そのあとは自由時間です。依頼でしたら、診療所のあとになりますよ?」

「ああ、依頼ではないから安心してほしい。どうせなら診療所に着いていこうかなと考えているところだよ」

「やめてくれ!」


 日咲と雅盛の嘆き声が重なると、白波は「ははは」と軽く笑う。愉快そうなその声にも【あやかし】たちは顔を顰めており、もはや愛らしい幼児の姿はなくなっていた。いくら今日が休校日――創立記念日で休みであろうとも、理事長は理事長らしく仕事に勤しんでいてほしいとさえ思っていたりもするが、古川の手前もちろん口には出さない。


「お前がいると稚児が迷惑なんだ」

「そのふてぶてしさは変わらないのか、白波は」

「いや、ふてぶてしさなら日咲も雅盛も変わらないと思うぞ」

「白波と一緒にするな!」


 ふたたび重なる悲痛な声を「はいはい」とあしらった古川だが、頭を撫でることは忘れない。難しい顔をしていた【あやかし】たちはもうけろりとしている。


「稚児に頭を撫でられるのなら、白波がいるのも悪くはないな」

「白波さんとかなちゃんたちは顔見知りなんだよね?」


 雅盛が気持ちよさそうに目を細めたらば、日菜乃が思いきったという感じに声を上げる。白波が屈んで「そう、昔馴染みだね。日菜乃に話すと長くなるかな」と答えれば、「そうなんですか」と目を逸らした。日菜乃と白波は初めて対面したときからいまもって、未だによそよそしさがある。それでも白波の方はたいして気にしていないようだが、日菜乃はおどおどしているのだ。おそらく威圧感からだろう。【あやかし】としては、日菜乃はまだまだ若いと言っていい。威圧に飲まれるのも仕方がないことであるし、対等には遠いのだ。お互いに名乗ったあとだといっても、顔を合わせたのはそう多くはないのでよそよそしいのも道理かも解らないが。


「でも、わたしは、知りたいです。わたしに、教えてください。かなちゃんとみんなのこと、もっと知りたいの!」

「僕は構わないけれど、要一はどうする?」

「追い追いとは思っていたんですが――、日菜乃が知りたいと言うのに、わざわざ止めたりはしませんよ」

「交渉成立、と言っていいかな?」

「わっ!」


 奮起した日菜乃を抱えながら立ち上がった白波は柔らかな笑みを浮かべている。優しそうな雰囲気と中性的な顔立ちとが相まっているからか、それだけ見れば無害そうだ。【あやかし】だと解っていなければが頭につくが。


「おい、白波。わしらの意見は聞かんのか?」

「そうは言っても、君たちも止めたりはしないだろう?」

「危険ではない限りは――な」

「考えが変わらないうちは聞く必要はないからね」


 肩を竦めた白波に日咲と雅盛は当然だという顔をする。危険から遠ざけるのが先代からの約束だからだ。亡くなる前に【あやかし】たちはおもいを受けた。契約は破棄されること。古川と契約をし直すこと。そして――遺してしまった古川を守ることを言い渡された。たとえそうされなくとも、古川を守ることに心血を注ぐのは先代のころからなにも変わりはしないのだが。


「立ち話もなんだから、深い話は診察のあとにしよう」

「そうですね」


 【あやかし】たちを引き連れた拝み屋は、診療所を目指した。




    ★




「いらっしゃい、かなちゃん」

「お世話様です」


 烏の診療所の受付では微笑む藤に出迎えられた。広尾は日菜乃を抱き抱えて診察室へと直行する。


 道すがら日菜乃にどんな診察をしているのかと聞いた古川だが、答えたのは日菜乃ではなく白波であった。曰く、催眠療法らしい。過去の記憶を手繰り寄せ、念を吐き出させるようだ。毒素を持つ言葉を羽団扇で浄化する。回りくどいやり方でもあるが、吐き出す場所は必要だ。もちろん、一度にというわけではなく何度かに別けて行うのである。それを知っているのは、〈怨み〉を吐き出すために体験済みだからであろう。


「今日も頑張りましたよ」

「頑張ったよ!」


 広尾に抱えられながら診察室をあとにした日菜乃は、古川の腕のなかでゆるくしっぽを振っている。左右を陣取る日咲や雅盛も然りだ。


「上手くいけばあと三、四回といったところですね」

「了解しました。それと、いまさらなんですが、広尾さんは大丈夫ですか? 白波さんから聞きましたよ、診察の内容」

「なに、問題はありませんよ。慣れていますから」

「無理はしないでくださいね」

「かなちゃん、かなちゃん。広尾だけじゃなくて私も労ってくださいな!」

「わしもだ!」

「おれも!」

「わたしもっ!」


 藤だけではなく【妖狐】たちも混ざりながら、古川に詰め寄る。苦笑しつつも「あー、みんなお疲れ様です」とそれぞれの頭を撫でてやると、みんながみんな顔を綻ばせた。藤なんかはもう蕩けきっている。「幸せ~」と。端から見れば怪しいことこの上ない。それも古川であるからだけれど。


 白波だけは平然としており、「診察も終わったことだし、約束どおり昔話をしよう」と紡いだ。遠くて近い過ぎ去った日々は、〈怨み〉に支配されていた【あやかし】を優しく包んでいた。救われなければ自分はきっと、いまだに【人に害をなす存在】であっただろう。すずみ屋という屋号を持つ拝み屋に――古川に出会わなければ。




    ★




 ――その【あやかし】が八丁目に辿り着いたときには、辛うじて息があったと言っていいほどに弱っていた。路地裏で身を休めていた【あやかし】は【同胞】の気配を察知したが、この躯にはこれ以上動く力も残っていない。ここで朽ち果てるのも悪くはない。そう思った刹那、【あやかし】は意識を手離した。霞む視界に人影を捕らえて。


 次に目が覚めたときに、【あやかし】――白波は、すずみ屋の居住区にいた。どういうわけか〈人型〉で。なにが起きたのかまったく解らない状況であったが、答えはすぐに解った。使役された【あやかし】たちの言葉によって。


「お前を救ったのは稚児だ」

「稚児?」

「うむ。昨日から養子となった童子だ。泣き腫らして大変だったぞ」

「ああ……、それでふたりは怒っているのか」

「これは稚児の意思だ。噛み殺されないだけありがたいと思え」

「はは、それはどうも」

「感謝が足りんぞ、小童こわっぱ

「……君たちにそう言われる謂れはないはずだよ」


 ぶつかり合う妖力の違いに「これは勝てそうにないね」と白波の方が白旗を上げる。「当然だろう」と日咲は満足げに鼻を鳴らすが、すぐさま「お前はまだ、一命をとりとめただけにすぎんからな」と忠告する。


「まあ、健康体だろうが、わしらには勝てんが」

「そうだろうね。格が違うようだし」


 生きた年月が違う。それを理解した白波は嘆息を吐く。死ぬべきところを救われたのには、なんらかの意味があるのだろうと気がついて。


「助けてくれたという稚児は、その子かな?」

「んにゃ!?」


 指し示した先、襖の隙間から覗く瞳に【あやかし】は慌てふためいた。「まだ寝ていないとダメだぞ!」と。




    ★




 白波が語る話に「うん」と相槌を打っていた日菜乃だが、「かなちゃんは養子だったんだね」と口を開いた。


「そう。生みの親というのは父さんの妹でね、大型トラックのスリップ事故に巻き込まれて亡くなった。結構大きな事故でさ、当時はニュースにもなってたな。それでまあ、慌ただしくて、一時預かりということで施設にいたんだ。話がいったらしい父さんは文字通り飛んで来て、俺を引き取ったというわけ。飛んできたというのは、日咲と雅盛に乗って来たってことだ」

「うん、理解しました」


 頷く日菜乃の頭を撫でたのを見届けたあと、白波はふたたび口を開いた。


「――続きはご希望で?」

「お願いします」


 見上げる日菜乃に対し、白波は小さく頷いた。




    ★




 疲労が強い古川を寝かせていたらしい【あやかし】たちであるが、起きてしまったことで計画が崩れてしまったようだ。渋々といった感じに白波と対面させた【あやかし】たちはいまも敵意を剥き出しである。


「大丈夫、ですか?」

「ああ、これといった支障はないよ」

「それはよかったです」


 見た目でいえば六歳ほどか。古川を眺めていた白波はそう理解しつつも、霊力に気圧されそうになる。どうやら力を持つのに、年齢は関係ないようだ。


「君が僕を助けてくれたんだってね。お礼を言うよ、ありがとう」


 古川は小さく頷いたきり、なにかを言いたげに白波を見る。【あやかし】たちは「どうした?」と声をかけるが、「なんでもない……」と首を横に振るだけだった。言いたいような、しかし、言ってはいけないような――。古川は小さいなりにも考えている。これはいま、言ってもいいものなのかと。


 白波のなかを巡る〈怨み〉はそうそう消えてはいないのだ。古川には〈見えて〉しまったから解る。


 考えあぐねているうちに、「要一、起きて大丈夫なのか?」と当主が現れた。三十代といった男は「おじさん!」と呼ばれて「ちがーう!」と手でばってんを作る。白波にとっての第一印象は、なんだこの男はであった。正直に言っても、なんだこの男はというのは変わらない。


「いいか、要一。パパだ、パパ」

「なら私はママね! この際だから、おじさんおばさんは禁止しましょうか」


 男の背中からひょっこり現れた女性も三十代と思しき容姿をしている。ひとつにまとめた髪を、肩から流していた。


 「いきなり禁止はないだろう」と【あやかし】たちから抗議が入るが、「早いうちがいいのよ」と聞く耳を持たない。「おおう……」と呆れた【あやかし】たちだが、空気を読んで「お父さん」「お母さん」と紡いだ古川に「ならわしらは日咲に雅盛だ」と主張した。そうして「日咲に雅盛」と紡いだあとは、「ふわああああ!」と感極まった者たちに揉みくちゃにされる。「はしゃぎすぎですよ」と白波の言葉によってようやく止まったが。


 当主たる男は古川葉陽はようと言い、その妻である女性は古川涼美すずみと名乗った。この店――すずみ屋は妻の名前をいただいたのだとのろけるが、一拍置いてからは真面目な顔つきとなり、葉陽の一族は〈癒す力〉を持ち、甥であり養子たる古川要一に継がれているという。その力が人並み以上だということを大人たちは理解していたが、小さな古川には解らない。


「まあ、そこは追々だよなー」

「そうねえ、難しいことはもう少し大きくなってからよねえ」


 難なく話はまとまり、手を差し出した【妖狐】と一緒の生活が始まりを告げる。




    ★




 「こんなところかな」と話に一区切りをつけた白波は、「解りづらいところがあったら教えてほしい」と日菜乃を見る。話を振られた日菜乃はといえば、「大丈夫です。白波さんはかなちゃんに助けられていたんですね」と紡いだ。


「そう。日菜乃と同じだよ。要一がいてくれたからいまがある」

「はい。かなちゃんはかっこいいです!」


 かっこいいという言葉に照れる古川に悶える【あやかし】たちを他所に日菜乃は続けていく。「それにしても、日咲と雅盛は、かなちゃんが引き取られる前からいたんだね」と――。


 その言葉に対し、言われた二匹はといえば「古株と言うやつだな」と、顔を見合わせて口端を上げた。余裕の笑みというやつだ。


「わしらは祀られた側でなあ、土地開発での祝詞を上げる前段階の調査時に出会ったんだ。使役か違う場所での鎮座か選べと言われ、退屈しのぎで使役を取ったわけだ。お蔭で稚児に出会えたのだから、選択は間違っていなかったと言える。わしらは強運であるな!」


 腕にしっぽを絡めながら機嫌よさげに語る日咲に、「へえー、祓うというか、退治は神主さんの役目じゃないんだな」と古川はひとつ賢くなった。


「おれらと土地神では類が違うし、あくまでも神主は神主だ。怪我がつきまとうものは嫌っている」


 雅盛がそう答えると、「怪我はそうか。そうだよなあ」とひとり納得する。「誰だって痛いのは願い下げだよな」と。


「日咲さんと雅盛さんは暴れ狐だったんですね。昔から」

「藤はひとことよけいだ。言っておくが、そんなに暴れとらんよ。まあ、わしと雅盛は一対であるから、被害としては二倍だろうが」

「日咲さんは他人事すぎますからね」

「そうは言っても覚えとらんしなー。雅盛もそうであろう?」

「そうだな。昔のことは忘れた」


 ふたたび顔を見合わせる一対の【妖狐】はといえば、周りを呆れさせていた。しかし、遥か過去となれば、忘却も道理であろう。




    ★




 目を覚ました次の日から、白波は烏の診療所で毒を吐き出す作業に入った。恋に敗れた日から溜まっていた〈怨みおもい〉は、古川が大きくなるにつれて薄れ、そしてとある日に決断をする。――この恩を返そうと。


 白波はこの町の改革を決意したのだ。手始めに長になり、役所から変える。〈あやかし課〉という案内板の到着を見たときには実に感慨深かった。人間と【あやかし】の共存はここから始まったのだ。いまから十七年ほど前になるか。ここ十年ほどで半妖の存在も珍しくないほどに時代は様変わりした。いや、変わりすぎていた。恋に敗れた白波が〈怨み〉を溜めたのはなんだったのかと思うぐらいに。しかし、幸せな日々は唐突に終わりを告げる。


 ――古川夫妻が病院に運ばれたとの一報で。




    ★




「白波さんが【人に害をなす存在】になったのは、恋に敗れたからだったんですね。まだ使い方も解らない頃の力で得たのは、〈怨み〉だけだったので原因までは解らなかったんですよ」


 またひとつ新しい発見をしたのは、日菜乃のお蔭だろう。腕のなかで躯を預けている温もりと出会わなければ、きっと白波は語らなかったはずだ。


「アホらしいと思うかもしれないけれど、失恋はけっこうくるよ。大好きだった人に罵られるのはね。特に、『アンタなんかいなくなればいい』はきつかったな。当時は【あやかし】と交わることも半妖の存在も公ではなかったし、思うところがあったのかも解らないけど」

「それは精神的にきますね」

「まあ、未熟者だったってことだよ」


 微笑む白波は遠い昔を懐かしんでいるようだ。「出会いは本物だから、いまは大切な思い出だ」とも紡ぐ。


「かなちゃんのお父さんとお母さんが亡くなったのはいつ頃?」

「んー、そうだなあ。中学二年の半ばだな」

「原因は?」

「あの阿呆垂れは自損事故を起こしたのだ。飛び出した猫を避けようとしてハンドル操作を誤った。電柱にぶつかり止まったということだ。二十キロの速度超過でな。いくら夜道で人の通りがないといっても、危険なのは変わらん。全身を強く打ったようだしな。まあ、根本にあるのは稚児のもとへ帰りたいという想いであるのだから、気持ちは解らんでもないが」


 急な呼び出しがあったその日も、古川とともにいた日咲と雅盛であるが、使役のお蔭で現状を知っていた。それを古川に伝えたのは病院に着いてからだ。もちろん、伝えない選択もあったのだが、古川本人はそれを望んでいないことは解っている。だから【あやかし】たちはありのままを伝えた。――もう助からないのだと。


 「ああ……」とどこか渋い顔をする日菜乃だが、はたと気がついたように口を開いた。


「拝み屋のお仕事は大丈夫だったの?」

「ああ、それはな。中学の入学式の日に話してもらったんだ。『理解できる年になったから話すね』ってさ。拝み屋のことも受け継がれている力のこともちゃんと聞いたよ。いまにして思えば、成人してからじゃなくてよかったなあ」

「そうだな」


 同意する【妖狐】たちは、「早いうちに力を使ってほしかったんだろう」との見解を出す。「この町には傷を持つ【あやかし】がたくさんいるからな」と。


「花野町だからな」

「ああ、雅盛の言うとおり、花野町だからだ」


 【あやかし】賑わう花野町は、今日も【あやかし】で賑わっている。そしてそのなかでも、忘れることができないなにかを背負った【あやかし】もいる。人間と変わらずに。しかし、なにかを失ってもなお、新しい出会いがあった。忘れ去った温もりを知れた。


 それは花野町だから。ここで生きているから成せたのだ。


 自身は拝み屋であるのだから、この町で生涯を終えることだろう。しかしそれも悪くはない人生だと思う。そう思わせるのもまた、【あやかし】たちが自分を愛してくれているからだ。全身全霊で。


 恩を返すにはまだまだ時間がかかりそうだ――。


 古川はそうごちて、【あやかし】たちを眺めた。【あやかし】たちは明日も同じように、しっぽを揺らすことだろう。悶えるのもそうだ。


 明日とはいわず、明後日も変わらずに構ってくれと暴れることだろう。家族であるから解る。行動はお見通しなのだ。


 へらりと笑みを返した【あやかし】たちは、小さな手を伸ばして裾や袖を引っ張った。


「どうした?」

「今日はなにを作る気だ? わしはホットケーキが食いたくなった」

「ああ、それはいいな。ふわふわのホットケーキはご褒美だ」

「シロップたっぷりの!」


 両手を頬に宛がいながら恍惚な顔をする【妖狐】たちの言葉に、湿っぽい空気はどこかへいってしまったようである。


「え、やだ、私も食べたい!」

「それじゃあ、自分も」

「白波はどうするんだ?」

「それはもちろん――」


 【烏天狗】たちも加勢して盛り上がるなか、雅盛の問いに白波は答えた。解りきったことを聞くなとでもいうように。


 この日の臨時顧問は気合いが入ったのは、言わなくてもいいだろう。ちなみに、鹿田の手首の捻挫はきちんと治ったのだが、古川は引き留められた。「もう少しの間お願いします」と。理由は簡単。治ってもまだ不安なようであり、料理部の人間も胃袋を掴まされてしまったからである。


 おいしい料理には何人も勝てないわけだ。至極当然に――。




 

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