二人の少女の休暇

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novel_id: 0a73bN-tp98hj-3RsW2i

author_id: kuwa

theme: innocent_love

genre: romance

auto_detected_motifs: book, glass, lake, mask

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 気になる同級生のお嬢様とお近付きになりたいなと思ってはいたけれど、まさか無人島に二人で漂着することになるなんて思ってもいなかった。

 目の前に広がっているのは、燦々と照りつける太陽の光を浴びた、エメラルドブルーの澄んだ海。粉砂糖みたいに細かく粒が揃った砂浜。寄せては引く白波をもろともせず、一匹のヤドカリが宛の無い旅を始めていた。砂浜に残された足跡は、次の波が通った後には綺麗さっぱり消え去っている。

 ヤシの木の大きな葉が日向から切り取った木陰で、私は足を抱えて座っていた。ジリジリと襲いかかってくる灼熱光線の向こう側、脚を五回くらい前に出せば届きそうな隣のヤシの木の下で、宮本礼禰は下着姿のままハードカバーの『十五少年漂流記』を読み耽っている。よりにもよってどうしてこんな時にそんな本を読んでいるのかは、とりあえず考えないでおく。腰まで届きそうな黒髪が風になびく度に、彼女は日本人形のような白い手でそれを押さえていた。

 そうしてこの無人島における最初の数時間は過ぎていった。

 私たちは、修学旅行で伊豆諸島へ向かうフェリーの上にいた。しかし突然の嵐に巻き込まれ、気が付けば砂浜の上に転がっていた。

 私が目を覚ました時には、もう宮本さんはこの状態だった。濡れた上下の制服は近くの岩の上に干されていたから、私もそれを真似して制服を脱いで、隣の岩の上に掛けた。風で飛びそうだったので、手頃な石を拾い、上に載せた。宮本さんの制服にも重石が無かったから、特に丸っこくて汚れのついていない石ころを選んで載せた。

 宮本さんは、校内でも指折りの優等生だ。クラスは同じだけど、彼女はあまり会話をしたがらないから、声を交わしたことは一度もない。

 それでも授業で教科書を読み上げる時の声の響きは、まるで精密に調律されたピアノの旋律のようだった。世界に産み落とされた一言一言は、まるでシルクのスカーフの上へと零れ落ちた水晶玉みたいだった。それでいてその息遣いは、どことなく憂いを帯びていた。世界を斜め後ろから眺めて溜め息をついているような。そういう私と似ている生き物のような気がしていた。


 太陽が傾いて影が長くなってきた頃、宮本さんは『十五少年漂流記』を読み終えた。それから本を抱えて立ち上がり、辺りを見回す。私を発見すると、私のいる場所とは逆の方へ歩き始めた。私は急いで後を追った。

 頭の切れる宮本さんのことだ。きっと助けを呼ぶアイディアとか食料を手に入れる名案があるに違いない。

 さっきまでいた場所が見えなくなった頃、ついに宮本さんは立ち止まると、私の方に向き直った。

「ついてこないで」

 突然、私と彼女の間の地面が割れて、巨大な溝が現れたかのようだった。私を突き放す言葉が、割れたガラス片のように胸に刺さった。強い意志を感じる視線。私は、この無人島で彼女と同じ時間を過ごすことさえ許されないというのだろうか。

 それから宮本さんは、静かに後ろを向いた。長い髪が浜風に舞った。

「お花を摘みに行ってくるから」

「あ……、うん」

 途端に私の顔が火照っていくのが分かった。私はなんて失礼なことをしてしまったのだろう。居場所のなさに堪らなくなって、私は木の枝を拾って海の中へと思いっきり投げ込んだ。うむ、ついでに私も用を足しておこう。

 元の場所へ戻って、二人とも制服に袖を通した。制服は太陽の匂いを吸って、十分に乾いていた。いつもよく見ていた宮本さんの姿に戻り、私は少し安心した。

 少しの間、宮本さんはそわそわしていたが、何かを決心したように私の前に立った。

「ここ、無人島」

 一切のためらいなく、あっさりと宮本さんは答えた。

「でも、もしかしたら他に人がいるかも」

「あなたが起きるまでに浜を歩いた。十五分で島を一周できる。港も人工物も無い。動物の足跡も無い。遠くに島影も無い。端的に言って、絶望的」

「……宮本さん、それは考えすぎ」

「?」

「もっと気楽にいこうよ。ここは無人島じゃなくって、湖の中の小島だと考えよう。ね?」

「でも水しょっぱい」

「落ち着いて。塩水湖かもしれない。こういうのは気持ちが大事だから」

 宮本さんは、空を指差す。

「カモメ」

「気持ちが大事だから! ここは湖! オッケー?」

「……分かった」

 私たちは理解を深めることができた。一歩前進である。

 その時、私の目に、波打ち際で光るものが見えた。

「何か打ち上がってる」

 近付いて拾い上げてみると、それはガラスの壜だった。中身は空っぽだったが、ヒビ一つ入っていない。何かに使えそうだ。

「これに手紙を入れよう。誰かが読んで、助けに来てくれるかも!」

「その頃には二人とも骨になってる」

「ならないよ。きっと速い海流が近くを通ってる」

 しかし宮本さんは、私の目を見てくれなかった。彼女は深い溜め息をついて、遥か彼方を見据えていた。

「あなたはガラス壜の中にいるみたい」

「どういうこと?」

「歪んだ現実が好きみたいだから」

 ガラス壜の中から見た世界。それはきっと現実よりも横に伸びたりしているのだろう。宮本さんには気に入らないのも分からなくはない。

「でもガラス壜の中に入って海を渡れたら、それは素敵じゃない?」

 それを聞いた宮本さんは小動物みたいにクスクスと笑った。こんなに近くで彼女の笑顔を見るのは、初めてかもしれない。

「これが海だということは認めるんだ?」

「あ……、前言撤回! 湖を渡ろう!」

 私の声は、きっとこの大きな湖の向こう岸まで届いたはずだ。 

 それから私たちは、食料を探すことにした。魚を獲れればいいのだが、あいにく私達には道具が無い。海辺で貝を探してみても、場所が悪いのか収穫はゼロだった。島を覆う森の中も散策してみた。道らしき道はなく、伸び放題の蔦が私たちの行き先をことごとく阻んだ。

 その途中、私は大きな葉を見つけた。

「見てこれ! 仮面だよ、仮面!」

 ちょうど虫食いの穴が目と口の部分に空いている。私の顔に合わせると、ちょうどぴったりだった。

「なんだか妖怪みたい」

「……バァッ!」

 私の不意打ちにすっかり驚いた宮本さんは、藪の中へ尻餅をついてしまった。ちょっと怖がらせすぎてしまったようだ。急いで宮本さんへ手を伸ばして、起きるのを手伝った。

「ごめん、そんなにびっくりするとは」

「私がボーッとしてただけだから、気にしないで」

 宮本さんは、ちょっと居心地が悪そうにしていた。

「じゃあ、お詫びにこの戦利品は宮本さんにあげるね」

「……ありがとう、ございます」

「貴重な品だ。丁重に扱ってくれたまえ」

 その言葉を真に受けたのかは分からないが、宮本さんはその葉っぱの仮面を大事そうに、ずっと胸に抱えていた。

 その後も探検隊は密林へ果敢に挑戦し続けたが、なかなか奥に進むことはできず、木の実を見つけることもできなかった。

 しかし私たちには、ヤシの実があった。砂浜にはいくつかヤシの木が生えており、その周りに実が落ちている。樹上の果実を落とすのには苦労しそうだが、ひとまず落ちているヤシの実が手に入るのはありがたい。硬い果皮が難敵で、非力な宮本さんではとうてい太刀打ちできなかった。ここは私の出番である。私に運動神経を授けてくれた両親に感謝の祈りを捧げながら、両手に持ったヤシの実を思いきり岩に打ち付けた。何度もそれを繰り返すと、果皮に割れ目ができて、そこから中身にありつくことができた。ココナッツジュースの太陽の光を吸った甘味が、爽やかな潮風のように口の中に広がる。果皮の内側の白いココナッツミルクの層も、鋭利な石で削り取って食べた。あまり味はしないけれど、私たちにとっては贅沢過ぎる食事だ。この瞬間だけは、ここが南国で良かったと思えた。余ったココナッツジュースは、さっき見つけたガラス壜の中に貯めておいた。

 そんなことをしているうちに、西の空が赤みを帯びてきた。火を起こす道具もないから、闇に包まれる前に寝床を確保した方が良さそうだった。

「他にできることもないし、ヤシの葉を集めて簡易ベッドを作ろっか?」

 宮本さんも頷いて、賛成の意思を示した。

 私はヤシの葉を何枚も集めて丁寧に重ね合わせ、無人島にしては立派なベッドを作り上げた。

「見て! いい感じに作れたよ!」

 そう言って宮本さんの作業を覗いてみると、私のベッドから五メートルくらい離れた位置に、ヤシの葉を一枚だけ敷いて寝転がろうとするところだった。結局、私は同じベッドをもう一個作ることになった。

 宮本さんのベッドが完成する頃には、もう西の空に夕焼けの面影はなく、闇に染まった天幕には痩せ細ったお月様と数多の星々が瞬いていた。

「じゃあ、おやすみ」

 薄い月明かりの下で、私たちはヤシの葉ベッドにそれぞれ横になった。寝ている間に何者かに襲われたりしないだろうかと考えたけれど、全身の疲れが不安に勝った。この地に人食い原住民がいないことを祈ろう。

 しばらくすると背筋に寒気を感じた。南国の島でも夜になると底冷えするらしい。

 するとすぐ近くで砂を踏み締める音が聞こえた。驚いて影を見上げると、

「寒い」

と宮本さんは呟いた。そのまま私の横に寝転がると、両手で私の体にしがみついた。暗くてよく分からなかったが、月明かりの中に一瞬、葉っぱの仮面を被った宮本さんの顔が見えた。

「ちょっ」

 私が抗議の声を上げる前に、宮本さんは顔を私の胸に埋め、片脚を私の両脚の間に割り込ませた。私が自由に動かせるのは両腕くらいで、あとは全て宮本さんに動きを封じられてしまった。まるで体が大きな猫みたいだ。

 私の目の前に、宮本さんの頭がある。こんなに近付いたのは初めてだ。シャンプーの甘いローズの香りと汗の匂いが混ざりあって、私の鼻先を掠める。私は、その誘惑に打ち勝たなければならないと思った。

 宮本さんの寝息が制服の隙間から私の首元へ入り込み、全身がくすぐったくなる。宮本さんの体温が私の中に入り込み、一つの生き物になっていく。

「ねぇ」

 私の心臓の一番近くで、宮本さんの声がした。

「何?」

「怖い。守って。桑山さん」

 もはや耐えられるはずがなかった。私の理性をかろうじて繋ぎ止めていた細い糸がプツンと切れて、カラスの濡れた翼のように艶やかな宮本さんの黒髪の中へ、私は顔を埋めた。肺の中がいっぱいになるまで、宮本さんを吸い続けた。

「うん」

 それが私たちの初めての夜だった。

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