第22話 エピローグ
22
それからどれくらいの時間が経ったのかは分からない。きっと数時間だとは思うが……気がついたときには、僕は自宅の――仮設のプレハブ住宅の――布団に寝かされていた。
目を覚まして視線を巡らせると、すぐとなりで燐が座椅子で眠りこけているのが視界に入る。
彼女と珪介さんが僕をここまで運んだのだろう。
僕は布団からはい出て、座椅子でやや寝苦しそうにしている燐を見る。
「……」
彼女の細い首へと手を伸ばし……ギリギリで止める。
燐のせいで、つかさは死んだ。
燐を瓦礫から救おうと極小ブラックホールを召喚しなければ、つかさは死ななかった。
燐が……いなければよかったのに。
そんな考えが頭をよぎる。
そうしたら、僕は失敗することなく……つかさも死ななかった。
それに、燐は知っていたのだ。
全部知らないフリをしておきながら、本当は全部知っていた。
僕がつかさを救おうと未来からやってきて、そして……失敗することを。彼女は目の前で見たその光景を黙ったまま、僕に「やり直せたら、って思いますか?」なんて聞いてきたのだ。
「……」
そこまで考えてから、僕は燐の首もとから手を引っ込めて彼女の身体を抱えると、布団に寝かせる。
「んん……かず、ひこさん……」
「……っ!」
あどけない寝顔を浮かべて、そう寝言をこぼす燐。怒りを爆発させてしまいそうになる自分をなんとか抑え、努めて冷静さを保つ。
毛布をかけてやってから、僕は家を出る。
星空など望むべくもない曇天だった。地面はまだぬかるんでいるが、やっと雨が止んだみたいだ。
「……」
部屋着のままでは少し肌寒いが、冷静さを取り戻すにはむしろちょうどいい。
燐のせいで、つかさは死んだ。
……いいや、そんなのは言い訳だ。
言い訳で、八つ当たりで……ひどく醜い責任転嫁だ。
燐は言った。
「私には、天原つかささんの運命を変えられると確信を持って言えはしません。変えられないんじゃないかとさえ思っています」
「私は……こんな力を持っていてさえ、過去を変えられないと思っています」
「私は、うまく行くと思っていません」
「つかささんの死を変えられなかったときに、和彦さんはそれを受け入れなければならないんです」
燐は、そう何度も繰り返した。
つまるところ、誰のせいかと問われたら、さんざん言われてもかたくなに信じようとしなかった、僕のせいだ。
銀の“炎の剣”の軌道を変えたのも僕の力で、燐を助けようとしたとはいえ、明確に僕の意思で展開した極小ブラックホールだった。
だから、燐のせいじゃない。
つかさが死んだのは、僕のせい。
それを認めたくなくて、燐のせいにしようとした。
……なんてヤツだ、僕は。
だいたい、つかさのために代わりに燐に死ねって言うのか?
いくらつかさを救いたいからって、燐を犠牲にするだって?
そんなの、馬鹿げてる。
……いや、本当に馬鹿げているのだろうか。事実、ぼくはつかさを救うためにと多くの人を見捨てたじゃないか。
「最低だ」
ポツリとつぶやいたところで、背後で物音。燐が起きたのかもしれない。
……これじゃ確かに、ごう慢なんて言われても仕方が――。
――だから俺は言うさ、葉巻。お前はごう慢だってな――。
「うっ」
ついさっきのことをやっと思い出して、吐き気がこみ上げてくる。
僕は口元を手で押さえ、その場にうずくまって吐くのをこらえる。
「……」
朔也。
僕は、朔也を――。
がららら、と音を立てて背後の玄関の扉が開く。
――殺したのだ。
「か……和彦さん!」
僕の姿にびっくりして声をあげる燐。だけど僕は、彼女に返事をする余裕なんてなかった。
福住朔也を、僕は殺したのだ。
二人目だ。
轟銀は、彼の暴走を止めるために手を下した。ある意味で、そこに選択の余地はなかった。彼を殺さなければ、高校と大学の生存者は今の半分以下になっていただろう。
だけど、朔也は……完全に僕のみの責任だ。
僕が紅の魔法陣で展開したのが果たして極小ブラックホールだったのか、燐の展開するようなワームホールだったのかはよくわからない。けれど、どっちにしたって結果は残酷なものだろう。
仮にあれがワームホールだったとしても、なにも考えずに開通したワームホールの向こう側が、たまたま人が生きていられる環境にはなっているなんて、そんな都合のいいことがあるわけがない。なにもない宇宙空間に放り出されて終わりだ。
そして極小ブラックホールだとしたら、限界まで圧縮されて押し潰される。
つまるところ、殺す必要のない友人を、僕は激情に任せて殺したのだ。
「和彦さん。落ち着いて……ください」
燐が背中をさすってくる。
僕は落ち着くまでされるがままになっていた。
「お水……持ってきますね」
少ししてから、燐はそう言っていったん家の中に引っ込む。彼女はすぐに水の入ったコップを手に戻ってきた。
「どうぞ」
「ああ……ありがとう」
すぐ隣で、僕と同じようにしゃがみこんでコップを差し出す燐。僕はコップを受け取り、そのまま水を流し込む。
一口で水をのみ干して、ため息をついた。
「だ、いじょうぶ、ですか?」
背中に当てられた燐の手のひらが、安心と……同時に不安を掻き立てる。
「そうだね。……ごめん」
「いいえ、いいんです。和彦さんが大丈夫なら、それで」
「……」
「……」
ごめん、ではなく、ありがとうと言うべきだったのかも、とは思ったけれど、続けられなかった。
あれから――タイムスリップ後から――初めての会話だったこともあり、どこか気まずい感じがぬぐえずに会話が止まってしまう。
「燐」
「はい」
「燐は、知ってたんだな」
「……え?」
「つかさを救えないって、分かってたんだろ?」
「ッ!」
背中に当たっている手のひらが硬直する。
燐は口端を噛んで悩んだあと、ようやく口を開く。
「……私は、確かに黙っていました。あの時に未来から和彦さんがやってきて、つかささんを救おうとして……失敗してしまうのを見ていたのに。けれど、私の見た過去と同じようになる、という確証もまた、ありませんでした。和彦さんなら……いいえ、私以外の誰かであればもしかしたら、未来を、そして過去を変えて、私の見た光景とは違うものを産み出せるんじゃないかって……そう、思っていたのは本当です」
「……そうか」
彼女の考えも、今の僕には今さらに近い。
「もう一度……あの時に繋げることはできるか?」
隣でしゃがんでいる燐の横顔を見る。
彼女はうつむいて視線を下げると、顔を左右に振った。
「あのあと、和彦さんを兄さんに運んでもらっている間に一度試してみたんです。けれど、同じところに繋ぐことも、他に近い場所もどうしても見つからなくて……」
「繋げられたとして、違う時間になるかひどく遠いところか……ってことか?」
「……その通りです」
「本当に、ごう慢な考え、だったんだろうな」
「そんなことは。和彦さんは……」
僕は首を振って燐の言葉をさえぎる。
朔也に言われたことを思い出す。
みんなのためと言い訳をして銀を殺した。
つかさを救えなかった八つ当たりで朔也を殺した。
これがごう慢でなくてなんなのだろうか?
だけど……それが僕ということなのかもしれない。
「……ははは」
ごう慢に人の命を左右する。なんだか本物の天使みたいじゃないか。
……いや、待てよ?
違うところ、違う時間になら、燐のワームホールで別の過去に関与できるってことは……。
「そもそも、あの事件が起きなかったことにできるんじゃないのか……?」
「え? どういう、ことですか?」
僕は燐を見る。
「あの、神稜地区局部地震のときに繋げることはできなくても、別の時間、別の場所に繋げることはできるんだよな?」
「ええ……そうです」
「なら、地震の発生した時間よりも前に銀を殺せば……あの地震は止められなくても、高校での被害はそもそも起きなくなるんじゃないか?」
「ッ! それ、は……」
燐は言葉につまるものの、それでもうなずいた。
「なら、まだつかさを救うチャンスはあるはずだ。あの災害のほとんど全てを無かったことにさえできる」
神稜地区局部地震が起きたときに高校に轟銀がいないなら、高校が崩壊することはない。……考えてみれば、銀の“炎の剣”が斎藤美嘉に影響を与えていたはずだ。それが事実なら、地震発生さえ防げるかもしれない。
救えるのはつかさだけにとどまらないはずだ。
「でも、その……そうするということは……」
言いよどむ燐に、僕は眉根を寄せる。
「なんだよ?」
「……和彦さんは、轟銀をもう一度手にかける、ということなんですよ?」
その通りだ。
だけど、考えてみろよ。
天原つかさと轟銀。どちらか選べるとしたら、僕はどちら選ぶ?
……いや、あの災害を結果として止められるなら、そんな二択じゃない。天原つかさの他にも高校で被害にあった先生、生徒たちや、大学とその周辺で地震の被害にあった人たちもだ。つまり、死者三百十七名、負傷者八千六百十名、そこに行方不明者である斎藤美嘉と福住朔也まで含めた全員と、轟銀の一人との二択なのだ。
死んだクラスメイトや武ちゃん先生も死ななかったことになるし、谷口先輩の怪我だって無かったことになる。
轟銀が本来よりもっと早く死ねば、それだけ多くの人が助かる。誰もが喜ぶ選択じゃないか?
「……分かってるさ」
僕の暗い声音に、燐がひゅっと息をのみ、顔をひきつらせる。
すでに僕は銀を殺し、朔也をも殺したんだ。今さら……銀をもう一度殺したって、なんだっていうんだ。
世の中は理不尽にできている。
つかさや、つかさの親父さん。それから武ちゃん先生。死ぬ必要なんて無かったはずの人たちが、なんの意味もなく死んだのだ。
それに比べれば、僕が銀に少々理不尽な振る舞いをすることのどこが悪いって言うんだ?
「では、私も覚悟を決めます」
やがて彼女は静かにそう告げる。
「私はあなたについていきます。和彦さんが……たとえどんな道を行こうと」
僕たちはそうしてお互いにうなずき合うと、新たな覚悟と共に狂気の道へと歩むことを決めたのだった。
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