第21話 帰結
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それからどんな経路をたどったのかはあまり覚えていない。
ただ珪介さんに腕を引かれるままに歩き続け、気づけばこの……白いタイル張りの建物へと戻って来ていた。燐がワームホールを繋げている春日総合病院だ。
「やっとついたな。帰るぞ」
「……」
「和彦君」
珪介さんが不意に振り向いて、僕を直視する。
「君の絶望も呆然としてしまう気持ちも分かるつもりだ。“失敗するかもしれない”という想定も当然あったはずだと責めるつもりもない。けどな、それも向こうに帰ってからだ。燐がワームホールを開き続けるのももう限界だろう。二ヶ月前のここに取り残される羽目になるんだぞ」
「……珪介さんには分かりませんよ。それにそんなこと、もう――」
「俺は三年後に死ぬそうだ。交通事故って話だ」
「は?」
唐突に、平然といい放つ珪介さんに、僕は目を丸くする。
珪介さんはもうこちらを見ていない。感情の見られない無機質な表情で。ただ遠くを見つめている。
「俺はね、和彦君。俺自身のために君の手助けをしたんだ。“過去が変えられるなら、未来もまた変えられるはず”だと思ったからな」
「……。それは――」
「言いたいことは分かるよ。過去は変えられない。だけど、未来はまだ決まっていないから、変えられるって理屈だろ」
「……はい」
珪介さんは肩をすくめる。
「俺はその……SF映画でよくある理屈には懐疑的だね」
「……」
「ボールを空中に投げるとする。どれくらいの重量でどんな形状のボールか、投げたときの加速度がどれくらいか、地球の重力加速度がいくつか。風が吹いているとしたら、どの方角にどれくらいの強さか。それが分かっていれば、その後何秒間滞空し、どんな軌道を描き、どの地点に落ちるかが分かる。古典力学だろうと、素粒子物理学だろうと、物理学的には、過去と現在の物質の状態が分かれば、これからどうなるかは予測できる。それは未来が分かるってことで、未来は確定しているって言ってもさほど変わらないことなんじゃないかと俺は思っている。……ただ単に観測できていないから、確定されていない感じがするだけなんじゃないかってな」
「で、でも……僕たちには意思がある」
「人間なら特別だってか? バカ言うなよ。広大な宇宙の辺境の、たったひとつの星から出られもしない知的生命体のためだけに物理学がねじ曲がるってか。そりゃちょっとごう慢な考えだと思うね」
「けど」
反論にも耳を貸さず、珪介さんは自分の頭を指差す。
「俺たちの意思ってやつは脳の働きだ。脳で考えてることってのはニューロンとグリア細胞による神経伝達物質と電気信号のやりとりなわけで……要するに化学で説明できる話だ。だから、人間の動きだって、化学と物理学で説明できなきゃおかしい。俺たちの“選択”だって、化学と物理学で説明できるはずなんだよ。脳内の細胞や化学物質、原子や分子の状態がなにもかも把握できたなら……ンなこと実際には無理だとしても、少なくとも理屈の上ではシミュレーション可能のハズだ」
「そうは言いますけど」
「だから、未来が変えられるなら……過去も変えられなきゃいけないんだよ……!」
強い意思のこもった声に、息をのむ。
珪介さんがなんで僕の「死んだつかさを救う」なんていう所業を手伝おうとしたのか、やっと理解する。
僕がつかさを救えないのなら、自らの死も避けられないのだと……そう思っているのだ。
だから僕の手伝いを申し出た。
過去を変えることで、自らの運命に抗うために。
それもこれも、“過去が変えられるなら、未来もまた変えられる”という珪介さんの仮定が正しいことと、三年後に交通事故で死んでしまう、ということが事実だとして、ではあるけれど。
「……だけど、和彦君が失敗したってことは――」
「――葉巻。帰ってきたな」
建物を回り込んでワームホールのある場所へ向かう珪介さんの声をさえぎり、新たな声。
「福住……朔也」
彼の名前を絞り出す。
朔也はワームホールのある一角の手前で待ち構えていた。
「三峯先輩から話は聞いたぞ」
「……なにをだ」
「過去を変えようとしたんだって?」
「だからなんだよ」
「ごう慢な考え方だぞ、それは」
朔也は眼鏡の位置を直しながら、強い口調で言う。
「は?」
「過去を変えるっていうのは、それまでの自分や他の人の選択のすべてを否定するってことだろう。お前はそんなことをしたっていうのか」
「僕は……つかさを救おうとしたんだ。ただそれだけ――」
「――それがごう慢だと言っているんだ」
「朔也に、なにがわかる」
「過去をやり直したいと思ってもできない人がどれだけいると思う。お前はそんなに特別な存在だって言うのか?」
なぜ、朔也に責められなきゃならない?
つかさを救おうとすることがごう慢だって?
じゃあ、つかさは死んでいるべきだって言ってるのか、こいつは。
「ふざけたこと言ってんじゃねーぞ、朔也」
「和彦君。落ち着くんだ」
制止する珪介さんを振り払い、朔也に詰め寄る。
「僕が、どんな思いでここにいるのか知りもしないくせに……」
言葉に詰まる。
どれほどつかさの死がつらかったか。
それを変えるために、どれほどの覚悟をしてきたのか。
そして、つかさの二度目の死がどれだけうちひしがれたのか。
……それを、知らないくせに。
「知らないさ」
眼鏡の奥の朔也の目は、ひどく冷たかった。
「けど、お前だって知らないだろうよ。どうしても変えたい過去があるっていうのに、目の前でそのチャンスを持った卑怯なやつを見せつけられる人の気持ちなんてな」
「……」
「だから俺は言うさ、葉巻。お前はごう慢だってな」
「朔也!」
激昂と同時に視界が紅く染まる。
「和彦君! ダメだ!」
珪介さんの制止が耳に届きはするが、止まらない。止められない。
まずいと思ったものの、見えた世界は僕に制御できる蒼とは違う、紅の力だった。気づいたときには空間の力に引きずられ、なかば強制的に紅の魔法陣が顕現してしまう。
波打つ蒼の魔法陣とは違う、幾何学模様の紅い魔法陣が僕と朔也の間できらめく。
「あああああっ!」
「なんだこれは……葉巻?」
超常的な現象に顔が恐怖にひきつり、数歩下がる朔也。
しかし、彼は逃げられなかった。
魔法陣がかき消え、急速に空間が歪む。
「あ」
朔也の呆けた声。
空間の歪みにより、僕から見える朔也の姿も歪んでいて、ぐるぐるとした渦を巻いているようにさえ見える。
「……え?」
それだけしか言えなかった。
歪んだと思った空間はすぐに収縮し、何事もなく元に戻る。
紅い視界の中、目の前にいたはずの福住朔也の姿はすでに消えてしまっていた。
「そんな……」
まさか、僕がやったのか?
――行方不明者は二名となっており、神稜大学の大学生、斎藤美嘉さんと神稜大学附属神稜高校一年、福住朔也さんで――。
地震後に延々とラジオで聞かされたせいで、一字一句を覚えてしまったその言葉が脳裏をかすめる。
「和彦君、ちょっと乱暴に行くぜ」
朔也のことをそれ以上なにか考える余裕もなく、珪介さんは有無を言わせずに僕の身体をひっつかみ、白いタイル張りの壁の影へと引っ張りこむ。
そこには、燐が展開していたままのワームホールが揺らめきながらも存在していた。
「燐! 和彦君を抑えろ!」
そう叫ぶと、僕は為すすべなく珪介さんにワームホールへと投げ込まれる。
「うわっ!」
覚悟していなかった酩酊感と浮遊感に加え、吐き気と――強力な力の干渉を受けながら、ワームホールの向こう側で倒れる。
昼間から夜中に変わり、急に視界が暗くなった。
「ぐっ……ああっ!」
元々僕には操ることのできない紅の天使の力。そこにワームホールを通過したことが影響したのかわからないが……抑えようとしていた力を無理矢理引きずり出される感覚が僕を襲う。
うまく説明できないが、蒼の世界の時とは違うそれを、同じように“空間の深さ”と表現するのはどこか違う気がする。
これは空間の……なんだ?
また僕の眼前で紅い魔法陣が展開しようとする――その直前で、別の力にコントロールを奪われ、霧散する。
燐だ。
「和彦さん!」
視線を上げると、瞳を紅く輝かせたまま立ち尽くしている燐が、僕を見下ろして叫ぶ。
「燐、もういいぞ!」
次いでワームホールから転がり込んできた珪介さんが叫ぶ。
「はい」
燐は瞳をいっそう強く輝かせ、僕の暴走を抑えつつワームホールを閉じるという離れ業をやってのけた。ワームホールはあっという間に蒸発し、かすかな揺らめきだけを残して消える。
「う、ああ……」
「和彦さん、落ち着いてください。私がいる限り……和彦さんに暴走なんてさせません」
燐の言葉と同時に、彼女から更なる力の干渉を受ける。僕の視界からは紅い色が徐々に薄れていき……。
「……今はとりあえず、休んでください。心配は要りませんから」
燐は膝をつくと、手を僕のまぶたへ伸ばし、視界をさえぎる。
視界から紅い色が完全に抜け落ち、暗闇へと置き換わった。
「つかさ……」
終わったのだ。
そう、失敗に終わった。
僕は成し遂げられなかった。
「ああ……」
緊張の糸が途切れると同時に、僕はその場で気を失った。
ただ、絶望だけを抱えて。
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