第18話 救出


18

 不謹慎な考えかもしれない。

 けれど、それでもクラスメイトたちはまだマシなんじゃなんかと思えてしまう。

 轟銀の“炎の剣”で慈悲なく断ち切られたクラスメイトは、すぐに天井の落下、もとい屋上の床の崩落により、瓦礫に押し潰された。

 だから彼らは……頭蓋が、首が、胴が、腕が、脚が切断された痛みや苦しみを感じずに済んだんじゃないか、なんて思えてしまうのだ。

 またも、僕の重力操作は間に合わなかった。

 ――が、それも副次的な要素にすぎず、これからやろうとしているのは、彼らを見捨ててでも……成し遂げなきゃいけないことなんだ。

 この一瞬のために、僕はここにやって来たのだから。

 計画通り、この時間にこの場所にたどり着くことができた。

 ここで天原つかさを救う。

 あとは、それだけだ。

 そのためなら、たとえ誰を見捨て、犠牲にしたとしても構わないと……そう覚悟したはずだ。

 瓦礫が三階の床に積み重なり、粉じんが舞い上がって視界が遮られる。が、四次元空間を視認できる今の僕にはその程度の障害は問題ならない。

 直後に僕は魔法陣を展開。

 天井から一瞬遅れて落下してくるつかさと燐の二人に、上向きの重力を発生させて減速。粉じんを振り払いながら教室の床に積み重なった瓦礫に飛び乗り、落下してきたつかさを受け止める。

「え、なに!」

 その、彼女の驚いた声だけで泣きそうになる。

 聞きなれた、けれどもう聞けなかったはずの懐かしい声。

「つかさ!」

 まだ混乱したままのつかさを名を呼ぶが、さらなる破壊音にかき消される。

 足元が不安定になり、つかさを抱えたままの僕はバランスを崩す。瓦礫によって三階の床もまた崩落したのだ。

「おっと――」

 が、僕はもうそれにうろたりはしない。

 つかさを救ったのだ。

 もう誰にも、なにも邪魔などさせない。

 先ほどの重力の方向を調節し、バランスを取り直すと、改めて空間を支配し、コントロールする。

 晴れやかな気分だった。

 今なら、これまで以上のことができる気がする。

 頭上で過去の僕と銀が戦っているのはむしろ好都合だ。彼らは階下の空間など気にしていないし、気にしている余裕もない。今の僕がどれだけ力を行使しようと、彼らには露見しないだろう。事実、当時の僕は気づきもしなかったのだし。

 空間の深さを操り、これまでにないほどに深く。

 紅の世界には足を踏み入れない。

 さすがに、今の僕でも紅の世界にまで足を踏み入れたら、暴走は免れないだろう。

 蒼の世界で、僕は空間の一点を深淵に突き落とす。

 瞬間、蒼い光が吹き荒れ、これまででももっとも大きな――直径四メートルはありそうな――魔法陣を展開させる。

 蒼い魔法陣は粉じんに隠れていて、まともに見えたのは僕だけだ。

 魔法陣の光は一瞬でかき消え、中心から空間が歪んでいく。

 それはすぐに円状に――球状に広がり、中心に漆黒の球体が顕現した。

 瓦礫の落下は止められない。谷口先輩を襲ったコンクリート塊やついさっきの天井の崩落と同じで、質量が大きいし、すでにある程度の加速度がかかっている。それを殺すには魔法陣の展開が遅すぎる。

 だが、僕らくらいの質量ならまだなんとかなる。

 漆黒の球体――極小ブラックホールを召喚した僕は、その重力でもって僕らの落下速度を落とし、同時に周囲の粉じんを吸い込ませる。

 再度の轟音。

 瓦礫が二階を粉砕し、そのまま一階へと落ちる。

 そうやって新たに舞い上がる粉じんや、粉砕されて小さくなった瓦礫なんかが、僕の召喚した極小ブラックホールに吸い込まれていく。

 ほんの数秒で北校舎の半分が瓦礫と化した。その上で不自然なほどゆっくりと下へ降りるつかさを抱えた僕と燐の三人。

「え、え……カズ? あれ? さっきまで上にいたんじゃ……」

 粉じんが急速に晴れたおかげでようやく僕の姿に気付き、つかさが両目をぱちぱちさせながら困惑の声をあげる。が、僕もつかさにうまく説明することができない。ただ、改めて彼女の姿を見て安堵する。

 油断したら涙が溢れてしまいそうだった。

「よかった。よかった……つかさ、怪我はないか?」

「それは、うん。カズが受け止めてくれたから――」

「――ああ、よかった!」

「か、カズ!」

 僕はつかさの手をとって身体を離すと、ふわりと浮く彼女を空中で正面から抱きしめる。

 つかさ自身は、僕の態度と今の異常な状況に、まだ混乱している。

 視線を横に向けると、僕と同じようにゆっくりと落下する燐が視線を一瞬上に向けてからこちらを見る。

「和彦さん。もしかして……」

 燐はそれ以上は続けなかったが、なにを言おうとしているのかは分かった。

 上を見たのは、もう一人の……過去の僕の姿を見ようとしたのだろう。僕が、燐の天使の力で未来からやって来たのではないかと、そう感づいたのだ。確かに、それを直接問うのは難しそうだ。どんな問い方をしても意味不明になりかねない。

 僕は燐に見えるように少しだけあごを引いて、彼女の疑惑を肯定する。

 燐は、そんな僕の態度に唇を引き結んで、うなずき返してきた。

「これ……カズがやってるの?」

「ああ。そう――」

 つかさの疑問に答えようとするのとほぼ同時に、頭上を熱線が凪ぐ。……過去の僕と戦う銀の攻撃だ。校舎の一部がまた切断され、落下してくる。それは僕たちに干渉する方向ではなかったが、油断していたらこっちにも二次被害が来るかもしれない。用心しておくべきか。

「轟君、どうしちゃったんだろ……」

 呆然とつぶやくつかさに、僕はどう説明したらいいか悩みながらも答えようとする。

「あいつは……道を踏み外したんだ。我を忘れて、周りに被害が及ぶことを気に留めなくなっちまった。他人なんてどうでもよくなったんだよ」

「あの……超能力のせいで?」

「……。それもあるだろうけど、たぶん、それは原因っていうより結果の方だ」

「……?」

 僕らは地上まで降りてきて、瓦礫の山の上に足を下ろす。

「銀は……こんな力なんてなくても道を踏み外したんだと思う。でも、力があったから、他人のことを気にしなかったから……周りの被害がここまで大きくなっているんだよ。止めるには……もう手段はそんなに残っていない」

「今からでも、どうにかできないのかな」

 僕はつかさの身体を離し、その勝ち気な瞳を見る。

「銀は頑なだ。聞いてただろ? あいつが――」

「――そうだけどさ! でも、轟君は友だちなんだよ……」

「……そうだな」

 その友だちが、クラスメイトや他の生徒たちを殺したんだ。そしてその友だちを僕が殺した。つかさの望む通り、被害を抑えるために。

 ……それを、つかさは受け入れてくれるだろうか。

 頭上で再度熱線がまたたく。

 校舎の向こうの並木が断ち切られ、落下していく。

 そんな光景を見ながら、僕らは瓦礫に遅れること十数秒して地上の瓦礫の山に――もう半分ほどしか残っていない北校舎の残骸の上にゆっくりと着地する。

 名残惜しさを感じながらもつかさの身体を離し、上を見上げる。

 そこにまだ浮かぶ極小ブラックホールに干渉し、空間の深さを通常に戻す。たったそれだけで極小ブラックホールはあっという間に蒸発し、空間の歪みがもとに戻っていく。

 ……この力、思っていたより神経を使う。ちゃんとコントロールできるようにならないとダメだな。

 そう思って視線を下げると、ポカンとしたままのつかさと目があった。

「本当に……カズ、なの?」

「ああ。そうだ」

「……そっか。それで、なんだかよくわかんない超能力で、あたしを助けてくれたんだ」

「まあ、そんな感じかな」

「その力、ずっとあたしに隠してたってわけ?」

「まさか。ついさっきまで僕だって知らなかった」

 これはまあ、嘘じゃないだろう。僕が天使として覚醒したのは銀との戦闘開始直前だったのだし。

 手を伸ばして僕のほほに触れるつかさ。お互い埃まみれでボロボロで、ロマンチックさの欠片もない。

 でもなんだか安心してしまって笑みがこぼれる。そんな僕を見てか、つかさもちょっとだけ笑った。

「あの……」

 背後からの声に、僕らは一瞬硬直する。燐のことを忘れていた。

「あっはは……」

「あ、ああ。ごめん、燐」

「……! い、いえ。それよりも早くここから離れた方が――」

 燐は一瞬きょとんとして、照れをごまかすように早口で言う。

 そういえば、この頃の僕はまだ彼女を「三峯さん」と呼んでいたな、なんてことを思い出す。

「確かに、まだここは危ない。早く逃げ――」

 肌をチリチリと静電気がはい回る感覚に、頭上を振り仰ぐ。

 もう半分も残っていない北校舎の屋上で銀と過去の僕が戦っているのが、蒼い視界の中ではコンクリート越しに見える。

 瞬間、銀の周囲の空間が揺らめき、無数の小さな蒼の魔法陣がまたたくのが見えた。

「くそっ」

 僕はとっさに魔法陣を展開し、極小ブラックホールを召喚しようとする。が、文字通り光速で振るわれる“炎の剣”のように即座にできるわけではない。

 頭上で空間が歪み始めると同時に、過去の僕が銀の“炎の剣”の一部を曲げ、銀に体当たりを仕掛けているのが見えた。

 そして、僕が曲げた“炎の剣”が、かろうじて残っている北校舎をさらに削り取る。

「……くそっ!」

 なにやってるんだ、過去の僕は!

 そう叫びたくなるのを呑み込んで、僕は新たに落下してくる瓦礫に舌打ちする。

「燐!」

「え?」

 その真下にいるのは燐だった。

 何本もの“炎の剣”のせいで新たにできた瓦礫は無数にある。中には康介と谷口先輩を襲ったものよりも大きいものさえ。

 しかし、さっきと違うのは間に合ったということだ。僕はもう魔法陣の展開を終え、極小ブラックホールの召喚を始めている。

 燐と降ってくる瓦礫との間の空間が急速に歪み、中心が深淵に落ち込む。

 瓦礫を浮かせたり落下軌道を逸らしたりなんていうまどろっこしいことをする必要はない。

 僕はつかさに背を向けて、燐の頭上に浮かぶ極小ブラックホールへと手を伸ばし、その力を制御する。

 力の制御を誤れば、燐や僕たち自身に被害を及ぼすだけにとどまらず、余計な被害を増やしかねない。極小ブラックホールによって吸い込み、消失させるのは上から落下してくる瓦礫のみだ。

 ――とはいえ、さすがにそれだけというわけにはいかない。周囲の空気がかき乱されて発生した乱気流が僕らをもみくちゃにする。

「きゃっ」

「ちょ、ちょっとカズ」

「もう……少しだから我慢してくれ!」

 驚く二人に叫ぶ。

 一度目は観察する隙もなかったが、今度は改めて極小ブラックホールをよく観察してみる。

 乱気流はともかく、頭上の瓦礫は僕の目論見通り極小ブラックホールに吸い寄せられ、姿を消していくように見える。

 実際には少し違うはずだ。

 重力が空間を形作るのだから、瓦礫はブラックホールによって空間の形が変わった中をまっすぐに落下し、ブラックホールへと到達する、というのが正解だろうか。

 ……いや、実際に到達するかどうかもわからない。

 確か、重力が強くなれば強くなるほどに時間の進みは遅くなるんじゃなかったか。そしてブラックホールに近づき、重力が強くなりすぎて光さえも逃げ出せなくなる“事象の地平面”までやってくると、時間の進みが止まってしまうんだとか。

 ブラックホールの“事象の地平面”はあくまで光が逃げ出せなくなる距離だから、その更に奥、というのも存在するんじゃないかと思う。

 とはいえ、時間が止まるわけだから落下していった瓦礫はその“事象の地平面”の表面で止まっているのかもしれないし、“事象の地平面”なんて関係なくその奥へと落ち込んでいったのかもしれない。

 そんな物理学者の思考実験を目の前で確認できる機会なのかもしれないが、実際のところは空間が歪みすぎてなにがなんだかわからないっていうのが実情だ。いまはただ「吸い込まれた」で済んでいるってことで十分だよな。

「……こんなところか」

 瓦礫なんかの落下物があらかた片づいてから、僕は息をつくとそう漏らす。

「カズ……ホント、とんでもない人になったわね」

 背後から、つかさがそう声をかけてくる。

「なんだよそれ」

「だって……こんな力、マンガとかアニメの話だよ。あたしの思ってた現実が崩れ去っちゃってる」

「いやまあ、それは僕も同感なんだけどさ」

「カズ、正義のヒーローになるってわけだね」

 冗談めかしたつかさの声音に、僕は極小ブラックホールに手を伸ばしたまま半眼になる。

 なんだか懐かしい、くだらないやりとり。失われたと思っていたそれが、やっと帰ってきたんだなんて思って。

「バカ言ってんじゃ……」

 言いながら極小ブラックホールを蒸発させたところで、頭上で再度の“炎の剣”が振るわれたのを感じて口をつぐむ。それはまたも過去の僕によって曲げられ、北校舎を切り裂く。だが、それでもこっちとはまったく違う方向で――。

「――え?」

 背後のつかさが呆けた声をあげる。

 銀の“炎の剣”は、僕が蒸発させたブラックホールの後に残る空間の歪みに、再度軌道を変える。

 そして、銀の“炎の剣”。あらゆる波長の光子を揃えた指向性のレーザーは、僕のすぐ背後をあっけなくなぎ払った。


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