第17話 戦慄



17

 どういうことだ。

 どういう……ことだ?

 ……待て。まずは、冷静に事態を思い返せ。

 階段を駆け上がりながら自問する。

 轟銀の天使の力、“炎の剣”により北校舎の屋上が切り落とされ、ばかでかいコンクリートの塊が康介と谷口先輩の真上に落下してきた。

 僕はとっさに天使の力を行使して、二人を瓦礫から救おうとした。

 結果――けれど、僕は瓦礫の落下を完全にコントロールすることができなかった。重力で落下速度を殺すことはできず、瓦礫の軌道をほんの少し逸らした程度だった。直撃は免れたものの、瓦礫は谷口先輩を掠め、彼女は重症を負った。

 だけど、それでもやらないよりはよかったはずだ。僕が天使の力を使わなければ、二人とも怪我程度では済まなかったはずだから。突き飛ばされていた康介は怪我で済んだかもしれないが、谷口先輩の命は無かった。

 ……問題は、そこだ。

 僕が関与したから、谷口先輩は怪我で済んだ。

 けれど、その怪我の程度を僕はすでに知っている。下半身不随で、最低でも五年は車椅子生活を余儀なくされる、と僕はすでに聞かされているのだから。他ならぬ本人から。

 康介も言っていたじゃないか。心底不思議そうな顔をして“お前も目の前で見てたじゃねーか”なんて。

 あの時はなにを言っているんだと思っていた。なんでそんなあり得るはずのないことを、さも当たり前のように、と。

 けれど、ついさっきの出来事を踏まえて考えてみれば、彼らの言葉にはなにも嘘偽りなどない。

 僕は確かに“目の前で見てた”のだから。

 僕は今、過去を変えるためにここにやって来ているはずだった。それなのに……僕が変えたと思っていたことは、すでに変わっていたということになる。いや……僕が関与したからこそ、やっと本来の状態――元々の過去になっているっていうのか?

 それじゃあ、僕がやろうとしていることって――。

 そんな混乱と疑惑を抱えたまま二階まで上り、廊下に顔を出す。

 上級生の生徒達が何人か、廊下に伏せて地震が収まるのを待っていた。昼休みだったし、中庭の様子を見ようとしていたのか、結構な人数がそこには――。

 前触れなく、縦に延びた熱線が横切る。

「え?」

「あ……?」

 上級生たちから、呆けた声があがる。

 たまたまそこで伏せていた先輩たち。一人の胴が、もう一人の伸ばした左腕と頭蓋の一部が、その熱線により切断されて床に落ちる。

 なにが起きたのか理解できていない表情で、彼らは呆けた顔をしている。そんな彼らのそばにいる他の上級生たちも、あまりにも異常な光景に事態を飲み込めていないようで、誰もがなにかの冗談じゃないかと思っているように見えた。

 さっきの康介と谷口先輩の時のように、とっさに天使の力で助けようとする時間さえなかった。

 熱線が横切ったのだとちゃんと意識した頃には、それは床に赤熱したラインを引き終えていて、そのまま中庭を横断していた。南校舎を下から上へと両断するまで、一秒もなかったのだ。

 僕は想定より切羽詰まっていることにゾッとして、きびすを返して階段を駆け上がる。背後では少し遅れて上級生たちの悲鳴があがっていたが、それを気にしていられる余裕はない。

 さっきのは轟銀の二度目の攻撃だ。このときの攻撃は大学の方で山崎徹さんや斎藤美嘉の近くを通り、覚醒直後に地震を引き起こした斎藤美嘉の暴走を拡大させるのに一役買っている。

 そしてこのあと、銀の三度目の攻撃で北校舎の屋上は破壊され、つかさと燐が下階に落下していったのだ。

 上級生の無惨な光景は、つかさを助けるためのタイムリミットが迫っているというサインでもある。

 息を切らせながら三階の廊下に出る。

 一年の教室が並ぶ廊下では、下階と同様に何人もの同級生が伏せる中、一人の足首が切断されていた。彼はそのショックか、気を失っているようだ。

 だけど、今の僕には彼らさえ気にしていられない。廊下に倒れる彼を飛び越え、目的の教室――見慣れた自分の教室へ。

 室内は騒然としている。地震に、その後の熱線があったのだ。室内でも廊下と同じように、熱線……“炎の剣”で切断されたクラスメイトが何人もいて、無事だった何人かは彼らにすがりついて泣いていた。

 混乱のただ中にあった教室内に、時間軸的には二十分も前に出ていったはずの僕が戻ってきたことを疑問に思うクラスメイトなどいない。

 僕は室内のクラスメイトなど気にせず視界を蒼に染める。つかさを救うためなら、クラスメイトにこの力を見られることなど気にしていられない。

 視界を拡張して見上げると、天井の向こう側では、屋上で激昂する轟銀の姿が見えた。僕の立つ前方には彼に相対する当時の自分自身と、さらにその背後には燐とつかさの姿が見えた。

「つかさ……」

 もう会えないはずの幼なじみの姿をようやく視界にとらえ、僕は思わずつぶやいてしまう。

 が、それもつかの間。銀の目の前で空間が歪み、魔法陣が展開する。

 全身に悪寒が走った。

「みんな伏せろ!」

「?」

 叫ぶ僕に、教室内のクラスメイトたちが疑問符を浮かべる。

 天使の力を行使しようと空間へ干渉をかける。

 ……が、間に合わない。

 そんな彼ら、彼女らの頭蓋を、首を、胴を、腕を、脚を……頭上から放たれた熱線が容赦なくなぎ払った。

「――ッ!」

 戦慄する僕の前で、クラスメイトたちがそれを理解する余裕すらなく――天井が崩落し、まるごと落下してきた。


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