第16話 衝撃
16
背後で天使の力が荒れ狂うのを感じながら、僕は通用口を通り抜ける。
やっと高校だ。
見慣れた――けれど今や違和感がぬぐえない――破壊前の校舎。……いや、この時すでにバルコニーは破壊されていたから、完全に破壊前とまでは言えないかもしれないけれど。
とはいえ、そう安心していられない。大学の瓦礫が南校舎を破砕するのは十三時十分。あと二、三分もあればその時刻だ。
通用口から植栽沿いに少し進めば、すぐ南校舎が見えてくる。
そしてそこの角に――。
「――ちょ、ちょちょちょっと静佳さん? そのえっと周りから見えてるってば」
「大丈夫大丈夫。愛さえあれば周りなんて気にならないから」
「なわけないでしょ! ほらあれ、大学の方から誰か――」
「――細かいこと気にしなーいの。あ、こーすけったら、もしかして障害があった方が燃えるタイプ?」
「そーゆーことじゃなくて。……ってあれ葉巻じゃねーか! ほら見られてるからダメだって」
……。
いつも通りの、イチャイチャしている室生康介と谷口静佳先輩だった。
緊張が一瞬抜けてしまうくらいの、いつも通りの二人とばっちり目が合ってしまう。
「あー……。僕はすぐいなくなるので、どうぞ続きをしていただいて結構です」
「ほら、葉巻君も大丈夫だって。だから気にしなくていいわよ。さあ」
「なわけない! そんなわけがないから。さあってなにさあって」
「そりゃ――」
「――言わなくていい。言わなくていいから!」
「……はは」
……と、そうだ。そんな悠長にやり取りを見物している場合じゃ――。
瞬間、風切り音と共に左側から轟音。予期せぬ音に僕らは絶句し、そろって音のした方を見る。
もうもうと砂ぼこりが舞い上がる南校舎の向こう側。
一瞬の静けさの後、中庭から悲鳴が爆発する。
「……」
「……」
僕は気を引き締め直し、彼らを見る。
「……逃げてください、谷口先輩。康介も」
「なに、今の……」
谷口先輩に悠長に説明している時間などない。
「僕にも分かりませんけど……だからこそ逃げるべきです。これからなにがどうなるかも予測がつきません」
「その通り……みたいね。冗談、言ってられる感じじゃなさそう。ほらこーすけ。さっさと逃げましょ」
意外にも取り乱したりしない谷口先輩は、驚きと恐怖で固まっている康介の腕を引く。
「え、あ、いやでも、教室に荷物が――」
「――バカね。そんなのより貴方の命の方が大事よ」
「そ……そっか。そうだよね……?」
困惑したままの康介を丸め込み、谷口先輩は悲鳴から遠ざかろうと……南校舎から離れ、僕が通ってきた大学への通用口に向かおうとする。
「ちょっと待ってください。あっちはもっと危な――」
引き留めようとして背後を振り返り、言葉を続けられなくなる。
植栽の向こうのグラウンドでは、すでに紅い次元光放射が放たれているのが視界に入ったからだ。荒れ狂う光に追従するように周囲の瓦礫は舞い上がり、一点を中心に渦を巻いて回転している。
「なに、あそこ……」
「谷口先輩。まず――」
グラウンドの向こうの建物が轟音と共に崩れ落ちる。そしてその瓦礫がグラウンドの渦に巻き込まれ、紅い光が爆発する。
――神稜地区局部地震の発生だ。
深い重低音。
振動と呼ぶ他ない揺れ。
一度経験した災害――人災。
「うわっ」
「きゃあっ」
悲鳴を上げる二人をよそに、僕はただ吐き気をこらえて膝をつく。
分かっているつもりだった。この神稜地区局部地震を再度体験することになる、と。だが、この行為にここまでショックを受けるとは思っていなかった。
覚悟が足りなかった、ということなの だろう。
すでに知っていることを体験するだけだと、そう思っていた。けれどこれは……単なる体験という程度の出来事じゃない。同じ地獄を、二度味わうということだった。それを今、僕はまざまざと思い知らされている。
全身の悪寒を抑えるように自分を抱きしめる。けど、それくらいでどうにかなるわけもない。
ただ、地震がある程度収まるまでその場で震えていることしかできなかった。
時間がないと頭では分かっていても、体が動こうとしない。けれど時間は非情に過ぎていく。当時の僕と銀の戦闘開始は、地震の数分後だ。
動け。
動けよ。
がくがくと震える脚を抑え立ち上がると二人の方を見る。
先輩はしゃがみこんで康介を抱き寄せている。康介は呆然としたままのようだった。
「谷口、先輩。早く……逃げてください」
「葉巻君。でも、これじゃ……」
「早く。じゃないと二人とも……」
僕の言葉に、谷口先輩は覚悟を決めてうなずく。
こんな時には、谷口先輩の即断即決が頼もしいし、ありがたい。
「……。分かったわ。ええ、分かったわよ。それにしても、今日の葉巻君はやけに冷静ね」
「それは……」
口ごもる。
やっぱり谷口先輩は感が鋭い。
「別に疑ってるんじゃないのよ。むしろ、それだけ冷静だから葉巻君の言葉を信じようと思えるんだし。……こーすけ、立って。逃げましょ」
まだ地震――斎藤美嘉による空間の共振は続いている。が、そんな中でもなんとか二人は立ち上がり、僕らは三人一緒になって逃げる。
南校舎を回り込み、悲惨な状態の中庭で皆が伏せているのを横目に通りすぎる。
目の前の北校舎を見上げると、屋上では蒼い光が渦巻いている。恐らくは、当時の僕が覚醒した時の次元光放射。
こうして改めて見せつけられると、当時は常軌を逸していたのだと思い知らされる。これじゃ、大災害が二つも三つも重なって起きているようなものじゃないか。
北校舎を通りすぎ、谷口先輩と康介を見送ったら北校舎の三階へ向かおう。ここからならもう二分もいらない。間に合ったと思っていいはず――。
ぞわりとした悪寒が背筋をはう。
とっさにまた北校舎を見上げる。瞬間、僕のものではない蒼い次元光放射がきらめき、熱線が――大天使ウリエルの炎の剣が――宙を薙ぐ。
あれは……そうだ。轟銀が僕を脅すために放った指向性レーザー。炎の剣。
それを振るい、銀はうそぶいたのだ。
“和彦。あんな風になりたくはないだろ?”
「おい……」
思わず口にした目の前で、炎の剣に凪ぎ払われたものたちが切り落とされていく。敷地内の木々や植栽はもちろん、僕が以前見た通りに……屋上の角さえも。
そしてその真下には、逃げようとする谷口先輩と康介の二人。
「嘘だろ……危ない!」
結果は考えるまでもない。叫んだところで無駄だ。位置的に……二人は――。
「こーすけ!」
「え、うわっ」
僕が叫んだからか、とっさに谷口先輩が康介を突き飛ばす。けれど、それくらいでなんとかなるとは思えない。
「おぉぉっ!」
反射的な動作だった。
意識を集中し、視野を拡大。視界が蒼く染まり、空間の深さが――四次元空間が――見渡せるようになる。
屋上から落下する瓦礫に手を伸ばす。
ここからではまだ距離がある。今の僕には、あれの落下速度を殺して浮かせられるほどの力はないだろう。だけど――。
空間に干渉し、その形を歪める。
つまり、重力を操るということだ。
空間の深度が落ちこみ、三次元空間ではわからない空間の深さに合わせて、流線型の紋様が魔法陣のようにきらめく。
空間を曲げ――重力を操り、落下する瓦礫の軌道を変える。それが今の僕にできる最大限の天使の力だった。
瓦礫が落下するまで、長く見てもせいぜい一秒。
あっという間に落下した瓦礫は、かすかにその落下軌道を変えたものの――谷口先輩の背中を掠めて地面に落ちた。
「あぐっ……」
掠めた、といっても二メートルはありそうな巨大なコンクリートの塊。相当な衝撃のはずだ。谷口先輩は声をあげて、力なく倒れる。
「静佳さん!」
「せ、先輩!」
突き飛ばされたお陰で難を逃れた康介が、すぐに立ち上がって谷口先輩に駆け寄る。
僕も視界を元に戻して二人に近づく。
……瓦礫は、僕が思っていたよりも重く、そして落下速度も早かった。谷口先輩を救うには、僕の力が足りなかった。
「静佳さん、静佳さん!」
康介が泣き叫びながら先輩の身体をゆする。が、先輩が苦しそうにうめき声を上げる。息はあるということか。
「康介、落ち着け」
「はあ? てめぇ、これで落ち着いてられるわけ――」
「――身体をゆするな。悪化したらどうする」
「!」
僕に言われるまでそこに頭が回らなかったんだろう。康介はハッとして両手を谷口先輩から離す。
うつぶせに倒れる谷口先輩が出血している様子はない。打撲で済んでいるのだろうか。いや、場所が背中だし、辺りどころが悪ければ脊椎損傷してて、もおかしくは――。
「……まさか」
嘘だ。
そんなはずがない。
そんなわけがない。
はたと気づいて、僕は二人から二、三歩後ずさる。
周囲を見回し、北校舎の階段を見つけると、いても立ってもいられずに駆け出す。
「おい、葉巻! 待てよ!」
「待てねーよ!」
怒鳴り返して、階段の手前で一度だけ振り返る。
倒れたままの谷口先輩に、まるですがり付くみたいに座り込んでいる康介。
「つかさが……」
「天原さん?」
「つかさが危ねーんだよ!」
二人の姿に震え上がるほどの恐怖を抱き、僕は彼らに背を向けて階段を駆け上がった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます