第15話 遭遇
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「ここで止めてください!」
「え、ああ、分かり――」
料金メーターを一瞥し、僕は千円札を置いてタクシーから飛び出す。
「ちょっと! お客さん、おつり!」
そんな声に耳を貸している暇なんかない。つかさの命と比べたら、千円なんて安いもんだ。
タクシーが止まったのは大学側の正門近くだ。確かに運転手には高校までと言ったが、ここからなら大学内を突っ切って走っていった方が早い。
重々しい鉄柵の扉の正門をくぐり、これからなにが起きるか知りもしない大学生たちが行き交う並木の道を走る。
あたりはまだ平穏そのものだ。ということは、まだ安心していいわけではないけれど、第一関門である“間に合うかどうか”という点は達成できたのだろう。
何号館か忘れたが、並木道の右手側の建物が事務棟で、その向こうにグラウンド、さらに向こうが高校だ。
「……?」
道の先で、大学生のカップルが別の建物から出てきた教授らしき人と話しているのが遠目に見えた。はっきりしないが、教授はどうやら日本人じゃなさそうだ。
あの人たちが誰か察して、僕は手前で事務棟を回り込み、グラウンドをななめに突っ切ることにする。周囲に不審な視線を向けられたところで、気にしてなどいられない。
燐は言っていた。
大学で起きていたのは、天使の力を自在に使いこなせる者たち同士の……殺し合いだ、と。
今まさにそれが起きようとしているところへ、うかつに通りがかって巻き込まれるくらいなら、グラウンドで奇行をさらす方がまだマシだ。
グラウンドでは、大学生が何人か集まってフットサルをしていた。……これからなにが起きるのかも知らないまま。あの中にも死んでしまう人がいるはずだ。
あの人たちに「これからここは危険になるから離れろ」と伝えたら、死ぬはずだった人は生き残ることができるだろうか。
……いや、どうせ誰も信じてくれない。
高校生がなんか変なこと言ってるぞ、と笑われるだけだ。そんな無駄なことに時間を費やしていられない。
……気にするな。彼らのことなんて。
でも、それって……つかさのために、僕はその他の大勢を見殺しにするってことだよな。
そう考えると、なにかとんでもないことをしでかしているような錯覚に陥る。いや、タイムスリップしている事実がとんでもないこととも言えるが、そうじゃなくて……これは、間接的に人殺しに荷担しているような感覚、とでも言うのだろうか。救えるはずの人を、救わない選択をしたのは間違いなく自分なのだ。
ダメだ。そんなことを考えてたら、これからのことに集中できない。
暗い考えを頭から振り払い、グラウンドを小走りに渡りきる。
と、そこで一人の男性とすれ違う。
「葉巻……和彦?」
「!」
名前を呼ばれるとは思っていなくて、びっくりして振り返る。
そこにいたのは、長身痩躯にフレームレスのメガネをかけていて、大学生というより、大学の職員だと言われた方が納得してしまいそうな人だった。
「……五条さん」
五条沃太郎。燐が兄さまと呼び、珪介さんと同じ家に住んでいる。そして内閣府多次元時空保全委員会第四項対策室のメンバーで、彼もまた天使。第一項の天使だそうだ。
「……?」
名前を呼ばれたことに、五条さんはかすかに眉根を上げる。
……そういえば、当時はまだちゃんと話をしたことはなかったかもしれない。
「葉巻和彦。燐はどうした?」
まずい、と思ったものの、五条さんの疑問はそっちだったらしい。
僕はため息をつく。
彼に呼び止められたのは単なる時間の浪費だ。
「……あんたには関係ないでしょう」
「いや、そんなことは――」
「時間がないんです。僕は行かなきゃならない」
そう言って、腕時計を見る。
――しまった。この腕時計は“現在”の時刻を指していない。指しているのは、ワームホールの向こう側の現在時刻だ。
朔也から聞いた十二時五十二分から、いったいどれだけ経過したのか。
「……くそっ、そうだった。五条さん、今何時ですか?」
「……? なにをそんなに焦って――」
「いいから! 早く!」
いま、詳しく彼に説明している時間はない。
それに、燐は五条さんの他、多次元時空保全委員会に自らの力の特質を説明していない。むしろ、隠そうとしている。彼女のためであれば、説明するべきでもない。
「別に構わないが……」
五条さんは不承不承ではあるもののうなずいて視線を落とすと、革ベルトのシンプルな腕時計を確認する。
「今……そうだな。十三時七分だ」
ぞわっと怖気が走る。
十三時七分、シュタイナー客員教授と白衣の男が戦闘開始する時刻だ。やはりあの道から離れていてよかった。
そして、十三時二十五分の、天原つかさと三峯燐が北校舎屋上から落下するまでは――。
「あと……十八分! いや、まだ間に合う」
「葉巻和彦。いったいなんの話をしている?」
五条さんが困惑した様子で尋ねてくるが、僕には聞いている暇なんかない。
「僕は、あっちでやらなきゃいけないことがある。五条さん、あんたがやらなきゃいけないことは、向こうのはずだ」
僕はそうまくし立て、背後の――グラウンドの向こうにある事務棟なんかの建物を指差す。
現在、すでに十三時七分。大学での戦闘開始時刻だ。指差すとほぼ同時に蒼い光の奔流が建物の合間から溢れだし、それを見た五条さんが目を見開いて驚愕する。
天使の力による光の発露。次元光放射だ。
「なっ!」
「だから言っただろ!」
「あ、おい!」
五条さんがその光景に釘づけになっているのを見て、僕は高校の方へと走り出す。
五条さんの声に振り返らず、前だけを見る。
あと十八分で、三階の教室へ。
大丈夫だ。間に合う。
これでつかさを――救える。
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