第14話 転移
14
ぐらりと視界が揺れ、視界がちらつく。
光の奔流。
輝く天蓋と、そこにたたずむ一人の男。
『まだ、早いよ』
声が聞こえたわけじゃない。
なのに、なのに……男がそう言ったのだとわかった。
『自らがなにを成し遂げるべきか、覚悟を決めてからまたおいで――』
男が、光輝く天蓋のたもとでそう笑って、手を振る。
「な――」
頭痛に顔をしかめ、頭を押さえる。
「おい、大丈夫か?」
珪介さんが肩に手をおいて声をかけてくるが、その声すらがんがん頭に響いてうっとうしい。
珪介さんの手を払いのけ、うつむく。
酩酊感と吐き気にうずくまりそうになるのをなんとかこらえ、数歩歩いて顔を上げる。
「……」
建物の白いタイル張りの壁面が目の前にある。
見上げると青い空。
真っ昼間のようだ。
先ほどの光の天蓋は影も形もない。
もちろん、そこにいた男の姿も。
単なる男だったことしかわからなかった。青年だったのか、老人だったのか……それすらも。
あれはなんだ?
夢か……幻覚?
意味がわからない。けど、そもそもそんなことを気にしている場合じゃない。
周囲は三方を白いタイル張りの壁に囲われていた。残りの一方には細い路地が見えていて、その向こうにもまた似たような外壁の建物がある。
そんな建物のデッドスペースに、僕と珪介さんは現れていた。そこには当然のようにワームホールが浮遊していて、向こう側の……真夜中の四号館の吹き抜けと、瞳を紅く輝かせる燐の姿が見える。
周囲を囲むこの建物は、そんなに小さいわけじゃなく、そこそこ大きな施設のようだ。ぱっと見てどこかわからないのがすでにちょっとした問題だ。それはこの施設が神稜大学でも附属高校でもないということを示していて、また大学と高校の付近にそこまで大きな施設があった記憶などない。つまりここは、高校から距離のある場所の可能性が高いということだ。
頭上の青空に奇妙な気分になる。なんというか……その光景に、本当にタイムスリップなんていうことを成し遂げたのだと告げられたような気分になる。
単純な話、ついさっきまでは深夜だったのだから。
「しっかし、意外にあっけねーんだな。タイムスリップっつってもよ」
珪介さんの言葉に、確かに、なんて思う。
酩酊感、頭痛、吐き気。
そんなのがつきまといはしているが……逆に、それくらいしかないとも言える。
「そうですね、兄さん」
当たり前のようにワームホールの向こうにいる燐が返事をしてきて、目を丸くする。
「会話、できるのか」
「はい。その……気分が悪くなったりしているかもしれませんが――」
「――分かってる。のんびりしてられない」
「その通りで――」
「――これ、は……まさか、葉巻?」
聞き覚えのある声に振り返ると、目の前の路地に見覚えのある人物が立っていた。
高校の制服のボタンを一番上まできっちり留め、細身の長身と眼鏡の奥の切れ長の瞳でこちらを見てくる男――。
「え、お前……さ、くや?」
ひゅっと息をのむ。
朔也。福住朔也。
僕と同じクラスの男子生徒で、成績優秀の癖に異常なまでの遅刻魔。そして、神稜地区局部地震における唯一の……行方不明者。
もう会えないはずのそいつが、なんでここに。
「葉巻、なんでこんなところにいる? というより、背後のそれはなんだ。常軌を……逸してるぞ」
「それは、その……」
いきなりの遭遇に思考が止まり、しどろもどろになってしまう。
と、そこで珪介さんが僕の前に出た。
「君が福住朔也君かい?」
「ええ、まあ、そうですが」
「俺は三峯珪介。和彦君の先輩になるわけだから、君の先輩にもなるかな」
「はあ」
出鼻をくじかれたのか、朔也は怪訝な表情をしながらも追及できない。
「君がいろいろ訊きたいのは分かる。だけど、俺たちには……というか和彦君には時間がない」
「しかし――」
「――君の知りたいことに関して、俺が理解している範囲でならなんでも答えよう。ただし、こちらの質問に答えてくれたら、だ」
珪介さんの提案に、朔也はようやく首肯する。
「……なんですか?」
「ここがどこか。それと、今が何時何分なのか、だ」
「? それは――」
「――だから、言ってるだろう。質問は後からいくらでも答えるし、彼にはそもそも時間がない、ってな。早くしてくれないか」
「……。ここは春日総合病院。神稜高校から歩いて三十分くらいのところだ。それから今は……十二時五十二分だな」
僕は瞬時にタイムラインを思い出す。
十三時七分、五号館前にてシュタイナー客員教授と白衣の男が戦闘開始。
そして、十三時二十五分に天原つかさと三峯燐が北校舎屋上から落下、だ。
つまり、惨事の始まりまで、あと十五分。
「やってくれるぜ、燐。ドンピシャじゃねーか。和彦、行け。時間がない」
「はい。でも――」
「俺は福住君とお話だな。約束通り説明しなきゃならんし、見られたからにゃ、俺たちの味方になってもらわなきゃな。済んだら追いかけるからほら、行け行け」
珪介さんが手をヒラヒラと振り、僕を追い払う。
うろたえていたままだった僕は、そうやってうまく朔也を誘導し、道すじをつけていく珪介さんを見ていることしかできなかった。
珪介さんのように、僕もイレギュラーに対してそうできるようにと考えていたはずなのに……初手から僕はつまずいてしまっている。
僕はここや朔也のことは珪介さんに任せ、ここから離れることにする。珪介さんの言う通り、時間がない。それにここからはそういう出来事に強い珪介さんもいなくなる。
ちゃんと、覚悟を決めろ。
「よし……」
両ほほを手のひらで叩いて気合いを入れ直すと、建物のデッドスペースから路地へ出て、周囲を見回す。
元々人通りは全然ない場所のようだ。とりあえず正面玄関を探そう。総合病院ならタクシーくらいいるはずだ。朔也は、高校からここまで歩いて三十分と言っていた。走っても間に合うかもしれないが、今後のことを考えると余計な体力消耗はなるべく避けたい。
これから、僕はすでに知っている災害を目の当たりにすることになる。けれどそれでも、なにがあるか分からない。
気合いを入れ直し、僕は路地を走り出した。
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