第11話 時系列


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 あれから三日。

 相変わらず降り止まない雨の夜に、僕と燐と珪介さんの三人は、改めて大学の廃墟跡へとやって来ていた。

 あれから使い続けている小さな講義室は、もはや作戦会議室と言ったほうがいいくらいの様相を呈している。

 ホワイトボードには高校と大学の敷地の平面図が描かれ、当時、地震前後の細かな事件の起きた場所と時間、そしてそこに誰がいたのかがあらゆるところに記されている。

 これは、珪介さんの提案だった。

 珪介さんがいなければ、そうやって物事を可視化することさえ思い付かなかった。

 頭の中で分かっていたつもりのことでも、こうやって図にしてみると当時の光景がまた鮮明になった気がする。断然こちらのほうが分かりやすいし、全体を俯瞰して見ることができるのはとても重要に思える。

 当初は少し疑ってかかっていたが、いまでは珪介さんが協力してくれてよかったと素直に思える。珪介さんが来ていなかったら“分かっているつもり”のまま、まともなプランも無く実行しようとしていただろう。燐が珪介さんのことを「頭の回転が速い」と言っていたが、物事の可視化もそうだし、打ち合わせの最中の言動の端々からも、こういうところなのかと納得させられる。

 僕は学生服に着替え、最後のチェックにとホワイトボードを眺める。

 何度も何度も頭の中に叩き込んだタイムスケジュール。

 十三時七分、五号館前にてシュタイナー客員教授と白衣の男が戦闘開始。

 十三時十分、白衣の男の重力操作により、砲弾と化した瓦礫が南校舎を破砕。

 十三時十四分、斎藤美嘉覚醒。

 十三時十七分、五号館崩壊。

 十三時十八分、神稜地区局部地震発生。

 同刻、僕――葉巻和彦の覚醒。

 十三時二十一分、轟銀との戦闘開始。

 十三時二十五分、天原つかさと三峯燐、北校舎屋上から落下。

 ホワイトボードには他にもいろいろと書き込んでいるけれど、重要な時間経過はこれだ。

 今では見なくてもそらんじられる経過。それでもそれを改めて眺めているのは、やはり不安だからか。

 僕はなにがあろうと、どんな環境に現れることになろうと、十三時二十五分に北校舎の三階――落下するつかさの直下にいなければならない。

 それがこの三日、三人で出した結論だった。

 僕は腕を組んで、ホワイトボードをにらみつけるみたいに見やる。

 久しぶりに着た学生服はごわごわしていてなんだか着心地が悪い。こんな不自由な服を、よく当たり前のように毎日着ていたものだと思う。

「緊張し過ぎだ。リラックスしな」

「!」

 背後から背中をポンと軽く叩かれ、僕はビックリして振り返る。僕と同じように学生服を着た珪介さんだ。だが、ボタンを全部留めている僕と違って、珪介さんはボタンが全開だし、中に着ているのも柄物のTシャツだ。

 二人とも、これがあの日と同じ服装だった。

 タイムトラベルをした先で誰かと会っても、変に疑われないようにするために。

「これくらいでビックリしてんじゃねーよ。これからもっととんでもねーことやろーってんのに」

「すみません。頭では分かっている……つもりなんですけど」

 ホワイトボードをにらみつけていたのも、学生服に不満を抱いたのも、結局のところ緊張しすぎてイライラしていたから、なのだろう。

 分かってはいても……簡単にコントロールできはしない。

「ま、適度な緊張は確かに重要なことじゃある。けど、成し遂げたいなら何事にも動じない図太さだって重要だぜ」

「……はい。そうですね」

 “君にはあるかい?”

 “自らの命をかけてでも為し遂げるべきものがさ”

 いつだったか、そう言われた。そのあとに色々ありすぎてちゃんと覚えていないけれど、珪介さんからだったはずだ。

「行こう。向こうの吹き抜けで、燐が準備して俺たちを待ってる」

「わかりました」

 僕はうなずいて、珪介さんの後を追い作戦会議室を出る。

 大学の四号館三階の廊下は、歩けるところが限られている。下階の崩壊に合わせて崩れ落ち、途中から一メートルも下がって斜めに傾いているし、端部にいたっては壁もなくなっていて、雨音以外はなにも聞こえない廃墟の夜が伺える。

 かろうじて崩壊を免れた階段を登り、五階へ。そこは建物の中央が広い吹き抜けになっていて、テーブルやソファがいくつも設えてある。もともとはフリースペースだったんだろう。僕はこれまで来たことはなかったけれど、地震の前は休憩する学生や自習する学生なんかで賑わっていたのかもしれない。

 四号館は八階建てだ。三階上の吹き抜けの天井は壊れて雨が振り込んでいるし、このフリースペースの床もそこかしこが崩れていて、安心して歩き回れるような場所ではない。

 その端の方の雨に濡れていないソファに座っていた燐が、俺たちに気づいて立ち上がった。

「ここでやるのか」

 近づいてそう声をかけると、彼女は微笑んでうなずいて見せる。

「ここならワームホールを開いても周りから見えませんし、広いので建物に余計な負荷をかけないと思います」

「確かに、そうかもな」

 四号館がまるごと崩れるようなことさえなければ、だが。

「燐。そっちの準備は整ってるのかい?」

「ええ、兄さん。私はいつでも大丈夫です」

 お互いの顔を見てうなずき合うと、二人は揃って僕へと視線を向けてきた。

「さて、じゃあおさらいしようか」

「はい」

「今回の君の最終的な目標はなんだい?」

 珪介さんは人差し指を立てて問いかけてくる。

 解答は考えるまでもない。

「それはもちろん、つかさを……天原つかさの命を救うことです」

「その通り。俺たちが使うのは、燐の天使としての力である、同じ時空間へのワームホールによる擬似的なタイムスリップだ。この力にはいくつか注意点があるな?」

 僕はうなずく。

「ワームホールを開き続けることそのものが負担が大きく、いまの燐の力で安定させられて一時間。つまり制限時間が一時間」

「長くて、な。短くなってしまう可能性は無視しない方がいい」

「兄さん、私は――」

 珪介さんの言葉に反論しようとした燐を、珪介さんは視線だけで制する。

「燐が手を抜くとは思ってねーよ。お前が全力をもってこれに当たることも分かってる。けど、それでも不測の事態ってのは起きるもんさ」

「それでも、私は途中でやめたりしません」

 断固とした口調で言い切る燐にも、珪介さんは肩をすくめるだけだ。

「ワームホールによる何らかの影響で、この四号館が急に崩落を始めたら?」

「それは……」

「俺に任せるだけじゃやっぱり不安になって、五条のにーさんが途中で様子を見に来たら?」

「……」

「崩落に巻き込まれたら、お前に待ち受けるのは死だ。そうでなくても、意識を失うようなことになればワームホールは消失する。五条のにーさんは、あの人自身の天使の力でもって、お前の力を封じ込めることが可能だ。可能性自体は低いだろうが、ゼロじゃない。イレギュラーなことをやろうとしているんだ、想定外が起きても不思議じゃない。だから、想定外を想定することは無駄じゃないよ。本当にそんなイレギュラーが起きてしまったとき、焦らずに済むからな」

 珪介さんの言葉に、燐は反論をしぶしぶ引っ込める。

「さて、少し話が逸れたな。制限時間は長くても一時間。それまでに戻ってこれなかった場合、俺たちは二ヶ月前に取り残され、地震直後の混乱のなか、独力で生き残らなきゃならなくなる。……考えたくない状況だな」

「なんとしても避けるべき状況、というわけですね」

「ああ、その通りだ。それから……他にも燐の力には考慮するべきことがあるな?」

「はい。行き先を指定できないことです」

 僕の回答に、珪介さんがうなずく。

「その通り。……だな? 燐」

「……はい。私が空間に直接干渉できるのは、私が存在するこちら側の時空間だけです。行き先の、向こう側の時空間に干渉するには、向こう側の空間に、元からある程度の歪みが無いとワームホールを繋げられないんです。なので、ぴったりと狙った場所、時間に繋ぐというのは……ほとんど無理だと思います」

「本当にそうか?」

「え?」

 僕の問いに、燐が首をかしげる。

 僕は当時の時系列を思い出していた。

「あのとき、大学の方ではワームホールが顕現している。シュタイナー教授とかいう人の知り合いが現れたっていうやつ。そこに燐が割り込むことはできるんじゃないのか?」

「恐らく……できないと思います」

 燐は少し視線を伏せて首を振る。

「以前、試したことがあるんです。前に繋げたことのある場所にもう一度行きたいと願って。ですが……どう説明したらいいんでしょう。一度どこかと繋がったことのある場所は、私には二度と干渉することができなかったんです。まるで、行き先の決まったところだから干渉は受け付けない、とでも言うみたいに」

 そう言われても、いまいち納得がいかない。

「でも、試すことができないわけじゃないんだろ?」

 食い下がる僕に、燐はうなずく。

「それは、そうです。試すだけならやってはみますけれど――」

「――いや、やめておいた方がいいな」

「え?」

「はい?」

 僕と燐のやり取りを聞いていた珪介さんの急な言葉に、僕らは困惑する。

「なぜですか? 試すだけなら無駄じゃないはずです。もし……偶然でも繋げられたならすごいメリットですよ」

 言葉にはしないものの、燐も僕の言葉にうなずいてみせる。

「和彦君。そこに繋げられたなら確かに現地には一番近くなるかもしれない。けどな、時系列をよく考えてみなよ」

「えっ? いやでも……地震発生から北校舎屋上の崩壊までは七分の余裕がありますよ。だから……」

 そこまで言って、はたと気づく。

「思い出したかい? 特異点であった斎藤美嘉がワームホールを生成したのは、地震発生よりも後のこと……というか、山崎さんのレポートを見る限りじゃ、ワームホールの生成は北校舎崩落の後だ」

「え? いや、でも……」

 そうだっただろうか?

 そんな疑問が顔に出ていたんだろう。珪介さんは僕の目の前で人差し指を立てる。

「山崎さんのレポートによると、地震の原因となった天使の名は斎藤美嘉。彼女は大量の瓦礫が山崎さんに降り注ごうとした際に、彼の死を防ごうと覚醒間もない不安定な力をがむしゃらに使った。結果、降り注ごうとした瓦礫は粉砕されたが、同時に広範に及ぶ周囲の空間そのものに激しい振動を与えた。結果として、範囲内の物体にも同様の振動が加えられ、多くの建物が破壊された。それが神稜地区局部地震の真相だ。かなり強力な第四項の天使と言えるな。和彦君とどちらが上かはまだわからんが」

「はぁ」

 それは誉めているのか貶しているのか。それとも……恐れているのか。

「斎藤美嘉がワームホールを展開したのは、それからさらにあとの高校からの熱線……第三項の天使、轟銀の“炎の剣”が直接のトリガーのようだ。他の天使の力だから影響があったのか……その辺は俺にゃ分かんねーが、とにかく、それは和彦君と轟銀の戦闘において使用された、二度目の“炎の剣”だ」

 僕はうなずく。彼の言う通りだった。

「その後、山崎さんは高校の方を見て、もう一度“炎の剣”が薙ぐのを目視している。つまり、三度目の“炎の剣”だ」

「三度目……北校舎の屋上が崩落したときの攻撃だわ」

 そこで、つかさと燐が落下していった。僕が北校舎の三階にたどり着かなければならないタイミングだ。

「そう。そして実際にワームホールが顕現し、シュタイナー教授の知り合いが現れたのはそれから更にあとだ。だから、あのワームホールに繋がったとしても間に合わない。手遅れだ」

「それなら……ダメですね」

「ああ。だが……燐が以前繋げたことのある場所・時間に再度……割り込んで繋げられないというのはよくない情報だな」

 珪介さんは顎に手を当て、少し考え込む。

「……なにがですか?」

「いや、まだはっきり断定できる話じゃねーが……」

 そう言って珪介さんは考え込む。

「……やり直しが利かないってのは本当なんだろうな。そして、一時間以内に間に合わずにワームホールが閉じてしまった場合、再度開けてもらって帰ってくる、というのも望み薄だ」

「……」

 珪介さんは、燐が以前言っていたことを改めて告げる。

 なんとなくだが、言おうとしていたことは違うんじゃないかと……そう思った。

「……よし。考慮すべきことはだいたい出揃ったな?」

「はい。……制限時間が一時間、場所や時間の指定ができない。そして、やり直しが利かない」

 僕の答えに、珪介さんはうなずく。

「その上で、俺たちは時間内に……帰りを考慮すれば三十分程度の時間内に、どこに向かわなきゃならない?」

「轟銀による“炎の剣”で北校舎の屋上が崩落する際、その真下の一年三組の教室にたどり着くことです」

「その通りだ。やろうとすれば他にもいろいろ手段があるかもしれねーが、それが一番確実のハズだ」

「大学の戦闘に巻き込まれず、轟銀にも絡まれず、そして過去の自分たちにも邪魔されないから、ですね」

「ああ。天使たちにわざわざ自分から干渉しにいくよりも、直接天原つかさ自身を救いにいったほうが確実だ。天使の力には不確定要素が多すぎる。返り討ちにあったり違う問題を引き起こすくらいなら、極力干渉しないままに天原つかさだけを救いに行くべきだ」

 珪介さんの言葉に反論の余地なんて無かった。

 珪介さんの作戦は理屈だっていて、利にかなっていると納得できる。他の手段がないかいろいろ考えてみたけれど、これ以上の作戦は思い浮かばなかった。

「燐がワームホールを開き、俺と和彦君が二ヶ月前の地震直前にタイムスリップする。北校舎崩落前に一年三組の教室にたどり着いたら、崩落に合わせて天原つかさをキャッチ。轟銀が暴れまわる前にその場から離脱する。手順としてはこんなところだな。……俺は天使じゃねーから、そういう意味じゃ俺は保険だ。俺が一年三組の教室にたどり着いたところで、瓦礫に潰されちまって終わりだから……保険というより、いないよりマシ程度の補助要員か。最終的には和彦君の天使の力にかかってる」

「分かってます。絶対にやり遂げます」

「その意気だ。……燐、なにか補足することはあるか?」

「そうですね……」

 燐は少し考えてから、蚊の鳴くようなかすかな声で告げる。

「……どんな結果になっても、帰ってきてください」

「どんな、結果になっても?」

「はい。たとえつかささんを救えたとしても、それをその場で喜びたかったとしても、後のことは過去の和彦さん自身に任せて去らなければいけません」

「そんなことか。それなら――」

「――そして、私が危惧している通り、変えられなかったとしても……和彦さんは帰ってこなければならないんです。二ヶ月前に自分自身が取り残されないようにするために」

 うつむいて告げる燐の声音は、恐ろしいほどに空虚な響きだった。


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