第10話 兄


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「よ。燐ももう和彦君のパートナーって感じだな。兄としては……ちょいと複雑な気持ちだが」

 珪介さんは髪をかき上げ、乾いた笑い声を上げる。いつも通りの軽薄な言い回しだが……どこか空虚さみたいなものを感じるのは気のせいだろうか。

「兄さん。いつから、そこに」

「ん? ああ、ホントついさっきだよ。来たとたん、和彦君のためならなんでもするって、燐が啖呵を切るのが聞こえたから、思わず口出ししちまっただけさ」

「それ、は……」

 さっきの言葉を思い出して、急に恥ずかしくなったのか、燐がうつむいて縮こまる。

 だけど僕は燐と違って、それほど彼に心を許している訳じゃない。

「はは。いーじゃねーか。誰かのために、なにかのために、自分の全力を出すってのも悪くねーんじゃねーか? ま、ちょいと特殊な手段かもしれねーけど」

「はぁ。それで、どうやってここに居るって分かったんですか?」

 警戒を解かないまま、僕は珪介さんを見据える。珪介さんはおどけた態度で人差し指を立てて口元に当てる。

「企業秘密」

「いや別に冗談で聞いてるんじゃなくて――」

「――企業秘密、という言い方しかできない、と言えば理解してもらえるかい? ……まあ、企業というのは不正確だけど」

 おどけた仕草のまま、視線だけが鋭くなる。僕は黙るしかなかった。

「……」

 内閣府多次元時空保全委員会第四項対策室。

 僕という新たに見つかった天使を監視している機関。そこが何らかの手段で僕と燐の動向をチェックしているということか。

 ……で、僕と燐が大学の廃墟でコソコソしているのを確認しに来たってわけだ。

「俺も色々と……やんないといけないことがあってね。燐と和彦君がいかがわしいことしてるんじゃなくてよかったよ」

「兄さん! なに言って……」

「いやだって、燐と和彦君が半裸でイチャイチャしてるところに急に俺が現れてみろ。……すげぇ気まずいだろ」

 真顔でそう言い放つ珪介さんに、僕と燐は顔を赤くする。

 それは確かにそうだけれども。

 表現がストレート過ぎる。

「燐も年頃の女の子だし、和彦君と一つ屋根の下なわけだし、そういう関係になっててもおかしくないだろ? そこで、あの仮設住宅じゃ狭くて和彦君のお母さんにバレかねないし、下手すると外にまで音が駄々漏れだし……わざわざひと気の無いところに二人で行く理由となると、やっぱそれが筆頭じゃねーか。な?」

 な? じゃない。

 まくし立てる珪介さんを前に、僕は燐と顔を見合わせ、なぜかお互いに苦笑してしまった。

「……そんなわけないでしょう」

「……そうですよ、兄さん」

 口を揃える僕らに、珪介さんが眉根を寄せる。

「そーか? そんなあっさり否定されたらされたで、二人の今後に不安を覚えるんだが」

「ええと」

「まあそれはいいか。……でだ。過去を変えんのなら、二人よりも三人の方が楽なんじゃねーのか? 実質、向こうに行くのは和彦君一人の予定なんだろ」

 その言葉の意味を、一瞬図りかねた。

「……? 止めに来た……訳じゃないんですか?」

 少ししてようやく理解が追い付いたところで、僕はそう問う。

 彼は両手を広げて肩をすくめる。

「仮にそうだったとして、できると思うか? 燐と違って俺は平凡な人間なんだぜ。天使二人と人間一人じゃ、勝ち目なんてねーよ」

「それは……そうかもしれませんけど」

「そもそも、本気で止めようと思ってたら一人じゃ来ねーよ。沃太郎にーさんを連れてくるさ」

 つまり、この人は本心から過去改変に協力しようとしてる、と。

「じゃあ……珪介さんはどう思ってるんですか?」

「どうって……なにをだ?」

「もちろん、本当に過去が変えられるのかどうか、ですよ」

「ふむ」

 珪介さんは考え込むように宙を見上げ、一度教室の端へと歩いていき、椅子を一脚つかんで僕ら二人の元へとやってくる。

「そうだな……よっと」

 珪介さんは椅子に腰を降ろし、足を組むと髪をかき上げる。

「これは俺の意見だが……これから過去に干渉できるとするなら、変えられるのが当然だと思う」

「本当ですか!」

 僕は意気込んでそう言うが、変えられると言った当の珪介さんは眉根を寄せる。

「本当かどうかは分からん。やったことがある訳じゃねーし、いままでの燐の様子からして変えたことがある訳じゃなさそうだしな」

 ちらりと燐の顔を伺うが、彼女は彼女でなにかを考え込んでいる様子だ。珪介さんの話が聞こえている感じはしない。

「だが、過去にこれから行けるって言うなら、それは……過去のことかもしれねーが、同時に俺たちにとって未来の出来事でもあるわけだろ? 過去と未来に違いがない。つまり過去と未来は同義となるわけだ。俺の個人的な意見としては……未来の出来事なら、関与できない方がおかしいと思うけどな」

「ですよね。でも、燐は……変えられないだろうって言ってるんです」

「一応、我が妹が唯一の経験者な訳だから、燐の意見にはかなりの信憑性があるハズだよな。俺には過去が変えられるのかどうか分からねーが、その真偽は重要な問題だと思ってんだ。過去と未来が同義だとすると、未来が変えられるなら過去もまた変えられるものであり、過去が変えられないなら同時に未来も変えられやしねーってことになる。それは……俺にはとても重要なことになるんでね」

「……ッ!」

 押し黙っていた燐が、珪介さんの言葉に息を呑む。

「……に、兄さんはどうして知っているんですか」

「言っただろ? 俺も“知ってる”んだってな」

「だから!」

 燐は立ち上がって珪介さんに叫ぶ。

 わなわなと身体を震わせ……怒っているんじゃなくて、怯えているのか?

「どうして……兄さんが知ってるんですか」

 対する珪介さんは、どこか穏やかな表情を浮かべている。

「俺はお前の兄貴だよ。お前が何を隠したがっていて、何を伝えられないか分からなくてどーする」

「それは、答えになっていません」

「妹の隠し事に兄は気づくもんさ。だが、兄の隠し事に妹は気づかなかったみたいだな?」

「……」

「どうしても知りたいなら、突き止めて見せろよ」

 余裕の態度を崩さない珪介さんに、燐は反論できないまま怒りの視線を向けていたが……やがて降参したのか、肩を落として椅子に座り直す。

「分かりました。……はぁ。これだか兄さんは……」

「ええと、どういうことですか?」

 二人のやり取りは、僕にはまったく意味が分からない。

「ちょっとした兄妹喧嘩ってとこ。あんまり気にしなくていい」

「はぁ……」

 これはきっと、なにを言っても教えてくれないやつだ。

「さ、それで二人の作戦は決まってるのか? 過去を変えるために、何を成し遂げなければならないのか。成し遂げるために、いつ、どこで、何をしなければならないのか」

 珪介さんは大仰な仕草で両手を広げ、僕たちへ告げる。

「まだ、そこまで確定しているわけでじゃ……」

「でも、この数日色々調べたんだろ? 教えろよ。でもって、何をどうするべきか……決まってないなら方針を決めよう」

「……」

「……」

 さっと仕切り始めた珪介さんに、僕と燐は顔を見合わせる。が、燐はどこかほっとしたような笑みを浮かべていた。

「兄さんはこういう人なんです。見た目はこんなですけど、頭の回転が速いので、きっと私たちの助けになりますよ」

「見た目はこんなとはなんだ。もっと兄を敬えよな。……せめて、聞こえないところで言ってくれねーと」

「兄さんがだらしない格好ばかりしているからです」

「だらしないとはなんだ。ファッションだろこれは。お洒落に気を遣っているって言うんだよ」

「でも校則違反ですよ。制服もちゃんと着ていないし、髪の色だって……」

「相変わらず規則に細かい奴だなぁ、燐は」

 手をひらひらと振り、やれやれ、という態度をとると、珪介さんは僕を見て困ったもんだな、という視線を向けてきた。

「はは……」

 当然、苦笑いしかできない。

「だいたい兄さんは――」

「――それはもういいだろ。お小言は沃太郎にーさんだけで十分だ。さ、いいから本題に入ろうぜ」

「むぅ。……仕方ないですね」

 珪介さんのおかげだろう。二人の時の陰うつな雰囲気とは違い、それからはややフランクなやり取りを三人で交わした。

 それはまるで、暗くなりすぎても、切羽詰まりすぎてもいけないと諭されたみたいだった。

 つかさを救わなければならないのだと、自分を追い込みすぎていたのかもしれない。

 それに、周囲の雰囲気も……災害の後、悲しみと苦境に耐え、先へ進まなければならないという……どこか笑ったり楽しんだりしてはいけないような暗黙の了解や、無言の圧力をひしひしと感じる。

 ……だが、仮にそうだとしても、単純に笑うことも必要だと、笑ったり楽しんだりしてもいいんだと、そんなごく当たり前のことを珪介さんに教えられたような気がした。


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