第9話 疑問
09
星など望むべくもない雨雲におおわれた夜空から、雨が降っている。
数日降り止まない雨のせいか、空気も肌にベタつく不快さを伴っていて、あまり気持ちのいいものではない。
大学の四号館の教室で、僕と燐は割れた窓の隙間から暗い空を見上げている。
「確認できることは、したかな?」
「そう、思います」
燐の言葉に、僕は内心でため息をつく。
あれから四日。山崎さんからもらったデータは、何度読み返したかわからない。自分の知っている事実をそこに書き足しもした。
けれど、一番重要なことを僕はまだ確認していないままなのだ。
「燐。……教えてくれる?」
「なに、を……ですか?」
「本当に、言わなきゃ分からない?」
「……」
僕の言葉に、燐は黙ってうつむく。
やはり、彼女は僕が指摘しなくても分かっているのだ。
……そう。あの時――銀の“炎の剣”で北校舎の屋上が崩落した時――つかさは一人で落ちていったわけじゃない。つかさと燐の二人で落ちていったのだ。
僕が銀を……殺したあとに二人を見つけた時にはもう、つかさは死んでいて燐がその身体を抱えていた。
だから、燐が知らないはずがないのだ。
屋上から二人が落ちて、つかさが死ぬまでになにがあったのかを。
それは僕にとって一番重要な情報で、どうしても燐から聞いておかなければならないことだ。
僕がそれを聞きたいと思っていることを、分かっていないはずがない。
僕は燐から話してくれるだろうからと、今まで自分から聞きはしなかった。けれど、燐は一度として自分から話してはくれなかった。
「なあ。りん――」
「――すみません。少しだけ……時間をください。あの時のことは……うまく、説明できないんです」
「……」
燐は窓際を離れ、部屋の中央に置いたままの椅子に座る。
少しだけ、というのが、数日ではなく、数十分の話のことだと察せられた。
僕は色々と言いたくなるのをなんとかこらえ、燐と同じように目の前の椅子に座り、黙って彼女を待つ。
話し出したのは、しばらく経ってからだった。
「和彦さんに話せること……、そんなに……多くないんです」
そんなわけ無いだろう。
「……それでもいい」
内心のイラつきを表には出さず、努めて静かに、優しく聞こえるように告げる。
顔を伏せうつむいたままの燐は、弱々しく続きを口にする。
「私とつかささんが屋上から落ちて……すぐ、衝撃がありました。あのときは混乱しててなにがなんだか分からなかったんですけれど、破壊された屋上の床が三階に落ちた衝撃だったんだと思います。それで……土煙があっという間に辺りに立ち込めて、なにも見えなくなってしまったんです」
「……」
それは、確かにそうだった。
そのせいで階下の様子がなにも分からず、安否を確認するために飛び降りようとした僕を、銀が制止してきたのだ。
「そのあと、三階から二階、一階と崩落が続いていきました。土煙に覆われたままで、すぐそばにいるはずのつかささんも、階下にいたはずの他の人たちもどこにいるか分かりませんでした。その中を、彼の……“炎の剣”が駆け抜けていくのが時折視界に映りもしましたけれど……私にできたのはただ、その場にうずくまって被害が収まるのを待っていることだけでした」
「……」
なにが第四項“対策室”なんだよ、と言いそうになった。
けれど、考えてみれば燐もまた、こんな事件を何度も経験していたわけではないだろう。そんな事件が起きていたら、今回みたいに報道されて僕も知っていたはずだ。そう考えれば、彼女にとっても今回が初めての出来事かもしれない。恐怖に身がすくんで動けなくなったとしても、仕方の無いこと……だろうか。
「少しして……つかささんの声が聞こえました」
「! なんて……言ってたんだ」
立ち上がって燐に詰め寄ろうとした僕に、彼女は悲しそうに首を振る。
「和彦さんの名前を呼んでいたのは……覚えています。カズ……と。でも、それ以外は……私には聞き取れなくて」
膝の上に置いていた拳を強く握りしめる燐。その手の甲にポタリと水滴が落ちる。
見れば、うつむいたままの彼女のほほには、一筋の涙の跡が延びていた。
「……」
「私、どうしたらいいか分からなくて……周りも土煙でなにも見えなかったんです。それで、気づいた時には目の前につかささんが倒れていて……」
言葉を切り、続けられなくなってしまう燐。
あの時のつかさの光景を思い出してしまい、僕は燐にそれ以上追及できなくなってしまう。
「……そ……そう、か……」
僕はよろめくように下がり、椅子に座り直す。
「……それから、どれくらい時間が経ったのか、どんな風にしていたか覚えていません。気づいたら土煙も晴れていて、目の前に和彦さんがいて……」
燐は鼻をすすり、目元をぬぐってから顔を上げる。暗い部屋の中では分からないが、その瞳はおそらく赤く腫れているのだろう。
「後は……和彦さんの知る通りです」
「……」
なんと返事をすればいいかわからず、黙って彼女を見返すことしかできなかった。
燐の話から分かったのは、ただ、彼女はつかさの死の真相をほとんど知らないということだけ。
話せることは多くないと言った燐の言葉は、事実その通りだったのだ。
「だから……和彦さん」
「……?」
「私とつかささんが落ちたあの時に、和彦さんはその真下で待ち受けないといけないんです」
燐はまだ泣きそうなまま、悲愴な顔でそう言う。
「前にも言った通りです。私は……こんな力を持っていてさえ、過去を変えられないと思っています。これは無茶で、無謀なお願いで……だからこそ私にとって、よすがとも言える希望です」
「……」
「正直に言います。今回のこと……私は、うまく行くと思っていません。和彦さんを傷つけることになるだけじゃないか、とも思っています。けれど……それでも、やるのでしょう?」
「当たり前だ」
燐の言葉に、僕はハッキリとうなずいて見せる。
彼女の言う通りかもしれない。
過去は変えられないのかもしれない。僕は、つかさの死を二度も経験する羽目になるかもしれない。
けれど、それは確定している訳じゃないはずだ。
可能性が低くても、過去に戻って干渉できるって言うんなら、変えられる可能性だって確かにあるはずなんだ。
だから、僕はあきらめない。
つかさをあきらめるわけにはいかない。
じゃないと、もう――。
「……なら、私もできる限りのことをします。和彦さんのためになるなら、なんだって――」
「――だから、たった二人で過去を変えようって?」
「!」
「!」
急に響いた男の声に、僕たちはゾッとする。
知った声だ。
廊下との出入口の扉を見れば、細身の男性のシルエットが。薄暗くてわからないが、その髪はやけに明るい金髪だろう。端正な顔には、いまでも軽薄そうな笑みを浮かべているかもしれない。
「に、兄さん……」
いつからか燐の兄、三峯珪介が僕たち二人を静かに見ていた。
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