第8話 違和感
08
「やっほー! 燐ちゃんに葉巻君!」
「静佳先輩」
「どうも、谷口先輩。康介もな」
「よぉ」
翌日、僕と燐は神稜地区から少し離れた総合病院にやって来ていた。
道中、昨日の帰り道にもさんざん読んだ、山崎さんからもらった神稜地区局部地震前後のタイムラインを携帯端末で見返していた。
過去に戻れたとしても……向こうで起きていた“重力嵐”――そうとしか呼びようがなかった――に巻き込まれたら、ひとたまりもない。彼らを止めるなんて、僕には到底できそうもなかった。
つかさを助けるためには、大学の出来事に巻き込まれないようにしなければならない。
携帯端末で文面を追うだけでも、あのときに大学で起きていたことが常軌を逸しているのがわかる。そして……高校の出来事もまた、大学での出来事に影響を及ぼしているのだということも。
銀の“炎の剣”は、地震の元凶である斎藤美嘉の……暴走に一役買っているようだった。
それは……僕のミスだろうか。
僕が銀を止めるのが……殺すのが早ければ、防げた事態なのだろうか。
……。
そんな考えを振り払い、僕は総合病院の中庭で元気そうに手を振る先輩を見る。
谷口先輩はまだ入院中の身だ。先日のつかさの葬儀は、特別に一時外出が認められたにすぎない。康介に聞いた話では、ようやくリハビリを始めたばかりだという。
「谷口先輩、康介が来てくれるのはどれくらいの頻度なんですか?」
「おい。まず聞くのがそれかよ」
「そりゃー毎日に決まってるじゃない! こーすけったら一日あたしと離れてたらもう体調悪くなっちゃうんだから。愛が重いわぁ」
そう言うわりに、谷口先輩はめちゃくちゃ嬉しそうに康介のほほをすりすりしている。
「あの日は風邪引いて来れなかっただけだから。順序が逆だから。会えなかったから風邪引いたんじゃなくて、風邪引いたから会えなかったの。俺が依存してるみたいな言いかたは良くない」
言い訳がましい康介は仏頂面だが、予想通りほほが赤くなっているので説得力は皆無だ。
「え、依存してくれないの……?」
「なんでがっかりされるのか、全然分かんないんだけど!」
「あたしはこーすけが必要なのに、こーすけはあたしのこと必要としてくれないの……?」
「“必要”と“依存”の間にはかなりの差があるから。静佳さん、分かってて言ってるでしょ。恣意的な混同だ」
「まあまあいいじゃない。あたしに依存したってさ」
「重要なところで雑!」
「でも、重度の依存に応えられるくらいの愛はあるわよ」
「……それ、すげーリアクションに困るから」
康介と谷口先輩はいつも通りだった。
……いや、康介のツッコミスキルは向上している気もするけど。
「リハビリは始めてるんですか?」
「ちょっとしたことは始まったけど、本格的なのはまだまだ先よ。背中には強化プラスチック入れたばかりだし、安定するまではおあずけ」
「でも、中庭に来るのは平気なんですね」
「車椅子に乗せてくれる誰かがいたらね」
その“誰か”が誰なのかは考えるまでもない。つまり、康介が病院に来るのは単に谷口先輩に会うためだけではなくて、彼女の外出の機会を増やすためという側面もあるのだろう。
「お二人はいつも通りラブラブですね。お互いがお互いを想い合うって素敵です」
「そぉーでしょー」
「いやその、そーゆー言い方されるとちょっと……」
「照れないの、こーすけ」
にひひ、と屈託のない笑みを浮かべて、実に嬉しそうにしている谷口先輩。僕と康介は苦笑いするしかないが、燐は本当にうらやましそうにしている。
「はぁ……。ったくこの人はさぁ。ええと、それで……二人はわざわざ静佳さんの顔を見に?」
「いや……まあ、それもないわけじゃないけど。ちょっと二人に聞いて……確認したいことがあってさ」
「聞きたいこと?」
「こーすけ、鈍いわねぇ。察しなさいよ。あれから確認したいことって言ったら、地震のことしかないじゃない」
「!」
「!」
察しの良すぎる谷口先輩に、僕と康介が驚く。
「なんで……」
「今のあたしたちに確認したいことなんて、他にないでしょう? つかさちゃんのことだったら、誰よりもあなたがよく知ってるんだしね」
「それは……そうか」
「あ、それともあたしたちの結婚式の日取りが知りたいとか?」
「なわけないでしょ、静佳さん!」
「まあ、もう決めてるんなら……確かに教えてもらいたいことではありますけど」
谷口先輩の自由過ぎる言動に、僕も苦笑してしまう。
「はあ? 和彦、お前な――」
「――あたしはねぇ、こーすけの誕生日がいいと思ってるのよ」
「静佳さん。それ、俺が結婚できる年齢になった日に挙げるつもりでしょ……」
康介のあきれた言葉に、谷口先輩は衝撃を受けたような顔をする。
「え、嫌なの……?」
「そーじゃなくて。なんていうか色々と急ぎすぎって話」
「いいじゃない。あたしはこーすけと早く結婚したいもの」
「お、おおう」
「で、嫌なの?」
「それは……嫌じゃないけどさ」
「へー。それだけなんだ」
顔を赤くしてボソボソとつぶやく康介を、谷口先輩はがっかりした表情で見つめる。
「そっかー。結婚したいって思ってたのはあたしだけかー」
「そんな目で見なくたって……ああクソッ! 嬉しいって! 嬉しいって思ってるからそんな顔しなくてもいいじゃん!」
「ふへへ。さすがこーすけ。愛してるわよ」
「分かってる! 分かってるから! 十分に伝わってるから、もうちよっと俺の羞恥心を考慮してくれるかな!」
「分かってるなら、こーすけもちゃんと言って――」
「――羞恥心を考慮してって言葉を聞き流さないで? 和彦たちが帰ってからじゃないとなにも言わないからな!」
「けちー」
口を尖らせる谷口先輩に、燐も苦笑いを浮かべる。
「まあまあ、静佳先輩。室生君も静佳先輩とおんなじ気持ちですから」
「分かってるわよーう。でもさあ」
「静佳さん……。お願いだからこの話は和彦たちが帰ってからにしようよ……後からならいくらでも……あ」
泣きそうな顔で懇願していた康介は、自分の失言にまた顔を赤くする。そんな康介に谷口先輩は心底嬉しそうににんまりと笑った。
「いくらでも言ってくれるんなら仕方ないわねぇ。こーすけにはあとでたっぷり愛の言葉をささやいてもらいましょ」
「ハードル高くなりすぎじゃない?」
「あたしとこーすけの幸せのためなら、ためらわないわよ」
「そーですか」
瞳をキラキラさせて断言する谷口先輩に、康介はあきらめように天を仰ぐ。
「それで……地震のときのことだったわよね」
「え、ええ」
急に話が戻り、困惑してしまう。
「でもまあ……あんまり話せるようなこともないのよね」
「二人には、つらいことを思い出させてしまうとは思います。でも……とても大事なことなんです」
「……」
「分かったわ、葉巻君。じゃー……どこから話したらいいかしら?」
よいしょ、と車椅子に座り直して、谷口先輩はこちらに向き直る。
「そうですね。じゃあ……あの日、昼休みが始まってから、どうしていましたか?」
「あたしあの日、授業終わる五分前くらいに教室抜け出したのよね」
「え、なにそれ初耳なんだけど……いや、そりゃそうか。じゃなきゃチャイムと同時に俺を拉致しに来たりできないもんな……」
「拉致とはなによ拉致とは。愛の為せる業ってやつよ」
「それはわざって言わないやつ。ごうって読むやつ」
「漢字は一緒だから大丈夫よ」
確かに、業という字なら、愛の為せる「わざ」とも読めるし、愛の為せる「ごう」とも読める。
「……最近の静佳さんのボケ、どんどんツッコミが難しくなっていくんですけど。会話しててそこに気づいた俺を誉めてほしい」
「評価してるわよ。だからこそやってるんだもの。これもまた、こーすけの愛が為せる業ってものね……」
「あーはいはい。じゃーもーそれでいいです。遠い目でアンニュイにならなくていいです」
康介ががっくりと肩を落とす。
「それでー。あなたたちの教室の前に向かったわけよ」
急に、何事もなかったみたいに話を戻す谷口先輩に、僕は一瞬だが返答に窮してしまう。
「そ……の時はまだ、なにもなかったですよね」
授業が終わる直前なら、大学のほうでもまだなにも起きていないはずだ。
その予測通り、谷口先輩はうなずく。
「そうよ。それでチャイムと同時に扉開けて……あ、つかさちゃんとすれ違ったっけ」
「ああ、それは僕も覚えています」
あの時はまだ、こんなことが起きるなんて思ってもいなかった。
「それからこーすけを教室から連れ出して校舎裏に行ったの。隠れてイチャイチャしようと思って」
「もっと言葉を選んで。お願いだから」
「お互いの身体をまさぐろうと思って?」
「言葉を選んだ結果が逆だよ! ひどくなってる! しかも校舎裏なんて言ってるけどさ、あれ南校舎だったから大学側の運動場に面してたし! 隠れるもなにもまる見えだった」
「ん……? そのとき、大学のほうは見ました?」
タイムラインを確認した限りでは、向こうでの事態発生――シュタイナー客員教授と白衣の男の戦闘開始――は十三時七分。高校の四限終了が十二時四十五分なので、校舎裏に着いてまもなく戦闘が始まったと言ってもいいんじゃないか。だとしたら、二人が大学の惨状を見ていてもおかしくはない。
「見もしなかったよ。あれが起きるまでは」
「そうね。あの……なんて言ったらいいのかしら。砲撃、みたいなのがあるまでは」
「砲撃……?」
二人の言葉に、僕と燐は顔を見合わせる。
そこで二人の声のトーンも少し落ち着く。そして康介は少し言いにくそうに口を開いた。
「あれだよ。急に……南校舎の職員室が吹き飛んだやつ。砲撃で建物が崩れ落ちるなんて映画でしか見たことなかったけど……あれは、本当にそんな感じだった。あれでも何人か……やられたんだよな」
「……あれか。大学から巨大な瓦礫が飛んできたやつ」
僕らが屋上にいた時に、南校舎の一階から中庭に向けて爆発したみたいに吹き飛んだやつ。
合点がいく。
南校舎の中庭側でなく、大学側にいたなら瓦礫を目にすることもなかっただろう。砲撃だと思ってもおかしくはない。
同時にあの時の光景を思い出す。南校舎から転がり出てくるコンクリート槐。それはところどころ赤黒い血に染まっていて――。
「……」
僕は口元を押さえる。
「和彦さん。大丈夫ですか?」
「大丈夫。大丈夫だから」
僕は深く息を吸ってから、改めて康介たちに視線を向ける。
「あのあと……地震が起きたよな?」
二人はうなずく。
「てか、その前に逃げようとしたんだよ」
「そう。とりあえず大学の方に逃げようと思って。そしたら引き留められて……でも確かに大学の方はめちゃくちゃになってたのよね。地震が起きたのは……それを見てどうしようって思った時ね、確か」
「ああ……そうだったと思う」
「うーん。ってことは、やっぱり地震の前からなにか起きてたのよね。なんでか全部地震の被害ってことになってるけど……ちょっとおかしくない?」
「それは……」
僕は返答に困り、ちらりと燐を窺う。
分かっていたリアクションだったが、彼女は彼らには気づかれない程度に、ほんの微かに首を横に振った。
まあ、そうだろうな。
僕らの知っている真実を伝えたところで、彼らが信じられる話ではない。
「まあ、いま生きてるんだし、もう気にしても仕方のないことかもしれないけれど」
「はは……」
僕らの葛藤を知ってか知らずか、車椅子の上で谷口先輩はそうつぶやいて肩をすくめる。
「でも、地震って……はじめてだったけど、あんな感じなのね。小さい頃に地震が体験できる車に乗ったことあるけど、アレとは全然違ったわ」
「確かに、揺れっていうより振動って感じだったよな」
二人の言葉に、僕もうなずく。
けれど、これが普通の地震じゃないからだ、なんて言っても信じてくれるわけがなかった。
それに、普通の地震というのも、僕は経験したことがない。
「それで……そのあと、二人はどうしたんだ?」
康介が肩をすくめる。
「どうしたって……お前も知ってる通りだよ」
「……?」
「地震が収まる前にお前に急かされて高校から逃げようとしたんだ。けど、そこで瓦礫が降ってきて……。それが静佳さんに当たったんだ。お前も目の前で見てたじゃねーか」
「なにを……」
あの日は、昼休みになってから、僕は燐に連れられて屋上に行ったきり他にどこにも行っていない。康介や谷口先輩に会ってなどいない。
僕が彼らの目の前にいたわけがない。
「……」
「だいたい、お前が逃げろとか言うから静佳さんは――」
「こーすけ。やめなさい」
「でも」
反論しようとする康介に、谷口先輩は決然とした態度で首を横に振る。
「あれは、あたしの選択よ。それに、あたしの選択に葉巻君の影響があったとしても、誰が瓦礫が降ってくるなんて想像できるのよ」
「それは……そうだけど、でも――」
「でも、はもうやめましょ? こーすけが生きてる。あたしも生きてる。それだけでも十分過ぎるでしょ」
「……うん。そうだね」
谷口先輩の言葉に、康介はうつむいてそれ以上なにも言えなくなってしまう。
「つかさちゃんに福住君。轟君に武ちゃん先生。あたしのクラスの人たちも、他にもたくさんの人たちが亡くなったわ。生きてるってだけで、あたしたちは幸運だった方なのよ」
「……」
言葉を継げない康介に谷口先輩は手を伸ばし、慰めるようにほほをなでる。その二人の光景をうらやましいと思った自分に嫌悪感を抱き、僕はうつむいて視線をそらす。
結局、僕は二人とはそれ以上の話ができなかった。
僕がいたという二人の話を追及すべきだったのかもしれない。けれど、二人の雰囲気に割り込んでその話をするほどの図々しさが、僕にはなかった。
燐も同じ気持ちだったようで、二人と別れ、病院を後にした帰り道に「静佳先輩と室生さん、本当によかったですよね」とポツリとこぼした。
つかさのことを思っていた僕は、「そうだな」と言うことさえできなかった。
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