第7話 調査


07

「あぁ……君か。久しぶりだな、葉巻和彦君。それに燐も」

「どうも」

「沃太郎兄さま。もう……研究を再開されているのですか?」

「まあね。時間はいくらあっても足りない。……神稜地区の復興も手伝わずにこんなことをしていて薄情に見えるかもしれないが、この研究は一刻も早く先に進めなければならないんだ」

 そう言う車椅子に座った五条沃太郎と、その向こうでなにかを調べている山崎さん――徹、だったっけ――の二人を僕は見る。

 五条さんと山崎さんの二人がいる研究室は、僕と燐が室内に入ればもう手狭になる程度の広さしかなかった。

 彼らに会うために、と僕らがやって来ているのは神稜大学なのだが、もちろんあそこの大学の建物は全てが倒壊している。昨日僕らが誰にも聞かれたくない話をするためにと使えてしまうくらいで、地震直後のボランティアによる瓦礫撤去が落ち着いた後、解体工事が始まる気配はない。

 僕らがやって来ているのは、神稜大学の千葉キャンパスだった。

 こっちにもキャンパスがあるのは知っていたけれど、来たのは初めてだった。

 広い敷地内はあっちになにかの実験棟、こっちに別の実験棟、向こう側にはまた別の実験棟、といった感じだった。大学生なんかから「あっちのキャンパスは教育のための施設じゃない」なんて冗談めかして言われているのは知っていたけれど、改めてこうやって目の当たりにすると確かに実験施設ばかりしかない。あの話は冗談でもなんでもなくて、単なる事実のようだった。

「そんなに――大事な研究なんですね」

「もちろんだ」

 ちょっとバカにしたような言い方をしてしまった僕に、五条さんは妙に真面目な返答をした。

「私たちが研究しているのは、つまるところ“天使の力の原因解明”なんだ。これを理屈立てて、理論的に説明できるのなら……あの一連の事件もまた物理現象として説明が可能になるんだよ。説明可能になるということは、実現可能な対策を打てるということにも繋がる。同様の事件を起こさない、再発を防ぐという意味では、なによりも優先すべき事項だ」

「……っ!」

 予想外の答えに、僕は言葉に詰まる。

 正直に言って、学歴のためだとか組織のためだとか、そんな自分本意な答えが来ると思っていたのだ。

 なのにそんな、本当に神稜地区局部地震に直結するような回答が来るとは思っていなかった。

「……とは言え、検出機の試作機ができるのは二年半後だ。私たちができるのは、それまでに天使の力を理論的に、体系的に説明できるものを用意することくらいだけどね」

 すぐのことかと思っていただけに、思っていたよりも時間がかかると知ってちょっと拍子抜けする。と同時に、違和感を抱く。

「はぁ。……あれ? でも、それって――順序が逆じゃ……」

「ほう」

 僕の疑問に、五条さんは少し感心した。

「その通りだよ。かの有名なアルバート・アインシュタインの一般相対性理論においても、理論を証明するための実証実験は理論発表後だ。理論がまともにできていないのに実験施設の建設予定がたっているなど本来あり得ないことだ」

「じゃあ、なんで――」

「その理由は君もわかっているのではないか? 重力を操る第四項の天使、葉巻和彦君」

「……」

 わざわざそんな呼称をされたからこそ、僕は五条さんの言いたいことを理解する。

「天使の力が存在することは知っているが、それを科学的に説明できていないから、か」

「その通りだ。理解が早いな。そのまま神稜大学に進学するつもりでいるなら、是非この研究を手伝ってくれ」

「でも、僕が大学に入る頃にはもう卒業しているでしょう?」

「そんなことはないさ。……ああいや、卒業できないから、という意味じゃあないよ。私たちは大学院に進んでいるだろうから心配はいらない、という意味だ」

 そう言って笑う五条さんに、僕は愛想笑いしかできない。

「それにきっと、その後も研究員としてまだここにいるだろう。実際のところ、物理学の分野としては最先端の研究になるわけだしね。ただ……他の指令が来ない限り、という注釈は付くがね」

「……」

 他の指令。

 燐も所属している、多次元時空保全委員会第四項対策室における指令のことだ。

 現在の指令の中には「葉巻和彦の監視」も……まだ含まれているのだろうか。

 ……含まれていないわけがないか。

「それで……わざわざここまでなにを? まさか研究内容を聞きに来たわけでもないだろう?」

「ええ。その……あの地震のときに起きたことを、大学の方でなにが起きていたのかをもっと詳しく教えてもらおうと思いまして」

 僕の言葉に、五条さんではなく、山崎さんが作業を止めて顔を上げる。それから、いぶかしげな視線をこちらに向ける。

 ……が、それも一瞬のことで、すぐに目の前の端末の画面に視線を戻した。

「ふむ……? どうしてまたそんなことを知ろうとしているんだい?」

 結局、話を続けたのは五条さんだった。

「それは、その……あの時になにがあったのか、どうしても僕は知らなきゃいけないんです」

 ちらりと隣の燐を見る。その端正な横顔にはほんの少しだけ緊張が見てとれた。

 五条さんは特に緊張した様子はなく、単なる素朴な疑問として聞いてきているだけに見える。だけど“燐の力を彼らに黙っておく”という燐との約束を守るには、実に厄介な問いだ。

「僕は……。天原つかさを亡くしました。それは高校での……轟銀の力の暴走の果ての出来事です。けれど……轟銀の暴走のきっかけは、大学の力の影響でした。僕は……つかさが死んだ原因をちゃんと知りたいんです」

「ふむ。君とは確か……あの日、地震の前にグラウンドで会ったな。『あと五分もない』と言っていた。君はシュタイナー教授と白衣の男との戦闘も予期していたな。むしろ君の方が色々と知っているのではないのか?」

「……? なんのことです?」

 意味が分からずに五条さんを怪訝そうに見返すが、当の本人もまた僕と同じような顔をしている。

 あの日……。

 五条さんの言うあの日が、神稜地区局部地震発生当日であるのは間違いない。

 だが、あの日に五条さんになんて会っていない。

「ええと、たぶん、勘違いだと思うんですが」

「知らない、のか? そんなはずは……」

 あごに手を当てて考え込む五条さん。

 なんだか知らないが、彼の話に付き合っていたらいつまで経っても話が進みそうに無い。

 この人があの日になにもかもを防げていたなら、こんな災害になどなっていないし、つかさも死ななかったはずなのだから。

「と……とにかく。僕はあの時の大学でなにが起きていたのかを――」

「――俺たちを、責めているのか?」

 こっちを見もせずに、山崎さんがポツリとつぶやく。

「山崎?」

 五条さんがとがめるような声を上げるが……僕は表に出していないはずだった内心を言い当てられ、返答に窮する。

「いえ、そういうわけでは、ただ――」

「――嘘だな。その顔、俺もよく知っている。現状にどうしても納得できなくて、なにか自分以外の原因を見つけたくて仕方がないって顔」

「僕は、その……」

「山崎。そんな言い方は――」

「――責めてるんじゃない。ただ……俺と同じ。そう言いたかっただけだ。気にするな」

 こちらに視線を向けることなく、淡々と事実を告げるだけだという口調で山崎さんがそう言う。

「だけど、結局のところ自分が一番責めるのは他の誰かなんかじゃない。自分自身だ。あの時ああしていれば、こうしていれば。そうできていたなら、こんなことにはなっていなかったはずだ。なのになんで俺は……ってな」

「……」

 図星だった。

 そして同時に、そんな風に山崎さんも自分自身を責めてきたのだとまざまざと思い知らされる。

 ……そうだ。確か、山崎さんも近しい人を失っている。恋人の斎藤さんだったか。

「……で、どうするんだ? 五条の提案を受け入れる気はあるか?」

「え?」

 山崎さんがなんのことを言っているのかわからなかった。

「俺たちの研究を手伝ってくれって話だよ、葉巻君。君も……天使、なんだろう。手伝って欲しいという五条の意見には、俺も賛成だな」

「ああ、そのことですか。……でも、急に言われても――」

「――別に、こっちの意見だけを押し付けるつもりはないし、強制するつもりもない。だが……そうだな。君の知りたいことは提供できる」

「……?」

「山崎……いいのか?」

 山崎さんがなにをしようとしているのか悟ったらしく、五条さんがそう問いかける。

 山崎さんは改めて視線をあげて、ただ肩をすくめた。

「別に、隠しだてするほどのものじゃないだろう。天使の存在が公に認められない限りは、どこに公表されたとしても“ファンタジーめいた作り話”の域を出ない」

「それはそうだが……」

「あの、なんの話をしてるんですか?」

 なんだか分からない話をしている二人に、僕は困惑するしかない。

「すまない葉巻君、確かにわかりにくかったな。私たちは君に――」

「――沃太郎兄さまたちは、当時のタイムラインを作成しているのですか?」

「え?」

 唐突な燐の言葉にポカンとする僕とは違い、彼らはちょっと驚いて……そしてうなずく。

「……ほう」

「よく、分かったな」

「いえ……。ただ、話ぶりからそういうことなのかな、と」

「……」

「それを、そのタイムラインを和彦さんに……私たちにくださる、と?」

「ああ」

「そういうことだ」

「!」

 うなずく二人に、彼らが僕の望んでいるそのものを渡そうとしているのだということに、ようやく理解が追いつく。

「でもそんな、なんで……」

「なんでもなにも、それが知りたかったのだろう。違うかい?」

「それはそうですけど」

 山崎さんは軽く息を吐く。

「まあ、疑問を抱いている君の気持ちも、わからなくはないけれどね。……理由をいろいろと挙げることはできるよ。天使という未知の力に対して、君に味方であって欲しいのさ。……少なくとも、敵対しない間柄でありたいと思っている。そして君の境遇も少しは聞いている。同情、という表現は好きではないが、そんな気持ちもなくはない。君が真実を知りたいと思うのも分かる」

「……」

「君に恩を売ろうとしている、と解釈してくれてもいい。将来的に俺たちの研究に巻き込むための、ちょっとした投資みたいなもの。それで俺たちに損失があるわけじゃないなら、やっておこうってこと。……効率で話をするのは嫌いかい?」

「いいえ。その方が……理解しやすいです」

 首を振る僕に、山崎さんは笑った。

「じゃ、君の端末のアドレスを教えてくれ。そこに俺たちの調べたタイムラインのデータを送ろう」

「ありがとうございます」

「高校のデータもある程度は入っている。君の分かっている範囲で修正ができるなら、その情報も私たちと共有して欲しい」

「わかりました、五条さん」

「それじゃ、頼むよ。これも重要なデータの一部だ。詳細が判明すればするほど、当時の事象の再現も容易となる」

「なんですって?」

 “当時の事象の再現”などという物騒な言葉に身構える僕だが、五条さんは当然とばかりにうなずく。

「そうしなければ、現象の解明は不可能だからな」

「ですがそれは……解明と同時に、悪用もできるということでしょう」

 そんなこと、受け入れられるわけがない。

「では君は、あの“人災”が原因不明の災害のままでいいと思うかい? 世界のどこかにまだいるであろう未覚醒の天使が、似たような災害を起こす可能性がどれ程あるか、それすらまだ分かっていないんだ。当時の状況をデータ上でも再現できるほどの情報が必要だ。それを未然に防止するために」

 全くの正論だ。

 だから僕には歯噛みしかできない。

「だからって――」

「――そう思うなら、このデータの取り扱いには気をつけろよ。そして、悪用されるのをどうしても避けたいなら、研究に参加するんだ。こいつみたいにな」

 山崎さんはそう言って、五条さんをあごで指す。

 その視線は鋭い。

「え?」

「内閣府多次元時空保全委員会第四項対策室。五条の所属している組織は、俺たちの研究……というよりは、正確にはセルシオ・シュタイナー客員教授の研究を監視している。当の五条本人を使ってな。どこか知らない国の知らない場所で天使の研究をされるくらいなら、自らの監視や管理が行き届くところでしてもらったほうがいい。当然だろ? 天使の力は並みの兵器よりもタチが悪い。下手に資金力のある第三国で研究をされて、それが兵器として転用されるほうがよほど危ないからな」

「それを、山崎さんやその教授は受け入れているんですか」

「見返りに、研究に対する援助を受けているんだよ。資金や……その他に関してもね。委員会も、他国に行ってしまわないように俺たちを優遇する意味があると認識している」

「そんなのは」

「詭弁に感じるか? ……まあ、まだ高校生だからな。そう思うのも無理はない。だが、世界を動かす力はそのほとんどが利害関係だよ。声高に正義だけを叫んでも、それがどれだけ正論であろうとうまく行かない」

「……」

 なにも反論できなかった。

 確かに僕は、彼らから見ればまだなにも分かっていない子どもなんだろう。

 天使なんていう超能力が実在したとき、世界にどんな影響を与えることになるのかなんてこと……言われるまで考えが及びもしなかった。

 兵器になるなんてことは想像の外だった。けれど、言われてみればその通りだ。轟銀の“炎の剣”なんかは、兵器として文句のつけようがない威力があった。

「……だから、君もこの研究室に来るといい。そして、君自身の正義でもって、ここの研究内容を監視すればいい。それが君の望みと合致するならな」

 そこまで言って、山崎さんは少しだけ柔和な表情をする。

「すぐに決める必要はない。まだ時間はあるしな。だが……自分がなにをすべきか、自分がなにをしたいのか。よく考えたほうがいい。後悔がなんの前触れもなくやってくることは、君もよく分かっているだろうしな」

「……」

 自分がなにをすべきか、自分がなにをしたいのか。

 決まってる。

 ……過去を変えることだ。

 その後悔をなかったことにするのだ。

 そうすれば、こんな風に思い悩むこともなくなるのだから。


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