第6話 開始
06
そんな風に言われたところで……そうやって脅されたところで、僕の答えが変わるわけもなかった。
可能性があるなら、僕はなんだってやってやる。
「……やろう。やってくれ」
「すぐには、できません」
やると決めたのなら、もう待ってなんていられなかった。しかし、そんな僕の内心の焦りを見透かしてか、燐は静かに首を振る。
「なんでだよ」
「言ったはずです。チャンスは一度、制限時間が一時間、と」
「それは……」
「私の力は万能なんかじゃないんです。失敗したから、もう一回やり直せばいいなんてことはできないんです。ワームホールを特定の時間の特定の場所に繋ぐことはなかなかできません。ワームホールというのは……言ってしまえば、こちらの次元と向こうの次元を繋ぐ扉です。こちらは私の力で開けられたとしても、向こうはある程度の……空間の歪みがなければ顕現できません。余裕のある時間に、すぐ近くの場所にワームホールを繋ぐことは確約できないんです」
「じゃあ」
ようやく理解し始めた僕を見て、燐はうなずく。
「繋がる先は、すごく遠いところになるかもしれません。地震発生まで五分も無いかもしれません。途中でなにかの邪魔が入るかもしれません。ですが、仮にそんな難問がいくつ重なったとしても、その状況下で和彦さんはつかささんを救わないといけないんです」
「それが、本来無いはずの“やり直し”だから……か」
燐は再度うなずく。
「だから私は、今すぐワームホールを開きません。それは和彦さんのためにならないからです」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
苛立ちと共に視線が冷たくなる僕に、燐はただ真摯な眼差しを返す。
僕はその目に息をのんだ。
「調べるんです」
「調べる?」
「はい。あの日、あの場所でなにがあったのかを調べるんです。誰がどこにいて、なにをしていたのかを、できるだけ詳しく。当時の状況がはっきりすればするほど、イレギュラーは減るはずですから」
「それはそうだけど」
「あの時、室生さんや谷口先輩がどこにいたのか、他の人たちがどこで何をしていたのか。そしてなにより重要なのは――」
「――大学で、天使の力がどんな風に使われ、地震やその他の被害がどう発生したかの推移が必要になるな」
ここまで言われれば、さすがに僕にもわかる。
高校の屋上から見えた大学での事態。
それが引き起こした地震は僕が天使として覚醒したきっかけになり、そのせいで銀と殺し合いをするハメになった。さらに言えば、その結果として銀が“炎の剣”を振り回したわけで……つまるところ、大学で起きたことの結果が高校の崩壊であり多数の死傷者であり、そして……つかさの死だ。こうして考えてみれば、大学の出来事というのは高校での事態の元凶とも言える。
ということは、だ――。
「――それは、お薦めしません」
僕の思考を読みでもしたのか、燐が先回りしてそう言う。
「いやまだなにも――」
「大学で起きていたのは、天使の力を自在に使いこなせる者たち同士の……殺し合いです。下手に手を出せば、死ぬのは和彦さんになるんですよ。私、そんなことになったら――」
息をのみ、瞳に涙を浮かべる燐。
その姿に僕は慌ててしまう。
「わ――分かったよ。分かったから。大学の事件には関わらない」
「本当……ですか?」
「うん。やることは、つかさの救出だ。それに集中するよ。それに……あっちの事件は、間接的に関わっているのはともかく、直接関係しているわけではないしね」
まくし立てる僕の言葉に、燐は僕の手を握りしめてくる。
「お願いします。和彦さんが天使の力を使いこなし、殺し合いができるというのなら……別ですが。お願いします。どうか、危険な目にだけは……」
天使の力……超能力での殺し合いなんて、僕にできるわけがない。それができるなら別とは言うが、確かに、今の僕にはほとんど不可能な手段だろう。
「分かった。約束するから」
「……はい」
ようやく納得してくれたみたいで、燐はまぶたをぬぐい、控えめに笑う。
「じゃあ……とりあえず、明日から調査開始だな」
「そうですね。色んな人に聞いて回らないといけません」
燐の言葉に僕もうなずく。
「そうだな。……他になにか気を付けておかないといけないことは?」
「それは……」
少し考えて、燐は言う。
「私の力のことは、黙っていてほしいんです。他の人たちはもちろんですけど、その……珪介兄さんや沃太郎兄さまにも」
「え?」
その言葉に虚を突かれた。
実の兄である三峯珪介さんや、燐の所属する対策室の五条沃太郎さんにも黙っていてほしいということは……意味するところは一つしかない。
「多次元時空保全委員会第四項対策室は、燐の力を把握してないのか?」
燐はぎこちなくうなずく。
「……もちろん、兄さんたちは私が天使だということは把握しています。私がワームホールを開くことのできる天使だということも。けれど、私の開くワームホールがどこに繋がっているのかということまでは……知りません」
「どうして」
どうして彼らは知らない……いや、考える必要なんてない。彼らが知らないのは、燐が隠しているからだ。自分の力の本質を、第四項対策室から。
隠さなければならなかったのか……隠す必要があったのか。
「それは……」
言いよどみ、うつむく燐。
なにか事情があるんだろう。彼女の姿に、それを問いただすことまではできなかった。
「言いたくないなら、言わなくていい」
「――すみません。でも、いつか必ず……話しますから」
どこか悲痛にさえ感じられる、決意に満ちた視線。そこにどんな理由があるかまではわからないけれど。
「分かった。じゃあ、その内ね」
「……すみません。ありがとうございます」
謝る燐に、僕は息を吐く。
今日のところは、話をするべきことは話し終えたと思う。
「それじゃ、とりあえずは……帰ろう。まだ……母さんは帰ってきてはいないだろうから、大丈夫だと思うけど」
目を合わせて、どちらからともなく立ち上がる。
「はい、和彦さん」
割れた窓の外はもう暗い。
だけど僕の内心にはようやく明かりが灯ったような感覚があった。
あの事件で失われたもの、失われた彼女を……やっと取り戻せると、そう思ったから。
それは簡単な道ではないと分かっているけれど、それでも、やらずにはいられなかった。
「やってやるさ。過去なんか……変えてやる」
「……」
無意識に、僕がポツリと漏らしたその言葉。
暗くて表情をうかがうことなんてできなかったけど、それを聞いて、燐はどう思ったのだろう。
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