第5話 廃墟


05

 カフェテリアの中を通りすぎ、四号館内の崩落を免れた動かないエスカレーターを歩いて三階へ。

 薄暗い建物内は、破壊に加えしばらく人が寄り付かなかったこともあり、かなり寂れて見えた。

 外の雨音もあまり聞こえず、僕らの足音だけが響く四号館は、寂れた光景と相まってかなり不気味だった。

 そんな中、僕らは携帯端末のライトを頼りに四号館内を巡る。

「ここにしましょうか」

 やがて比較的きれいな一室を見つけて室内をのぞきこみ、燐がそう提案してきた。

 ここまでくれば誰かに聞かれることもないだろうし、僕には燐の提案を拒否する理由なんてない。僕も室内をのぞきこんでうなずき合うと、一緒に中に入る。

 十メートル四方の室内は壁面に横長のホワイトボードが据え付けてあり、小ぶりの机と椅子が散乱している。少し小さめの教室といった風情だった。

 しかし、その机と椅子は壁際に寄せられ、真ん中にはスペースができている。地震直後、誰かがここで何日か過ごしていたかのような、かすかな生活の痕跡だった。

 僕が入口近くの椅子を二脚、置き直して座る間、燐は窓際に行って窓を開けようとして――網目状の無数のひび割れはあったものの、その窓ガラスはかろうじて割れていなかった――手をかけたものの、すぐにため息をついて引き返してくる。

「あんなことあったしね。歪んでるんだよ」

「……そうみたいです。びくともしませんでした。でも、埃っぽいですよね?」

「まあ。仕方がないよ。割れてる窓もあるし、換気はなんとかなるでしょ」

「そっか。そうですね」

 相づちを打ちながら、燐も椅子に座る。

「……」

「……」

 少しの沈黙。

 けれど、僕は急かしはしなかった。彼女も、僕の聞きたい話をするためにここまで来たのだ。この沈黙が話をする覚悟を決めるための準備期間だと、お互いにわかっている。

「先に、私に分かっていることをお話しします。過去に行くこと、特定の場所の特定の時間に行くこと……つまり、地震が起きて轟銀が炎の剣の猛威を振るったあのときの神稜高校に行くことは……可能です」

「なら――」

「――ただ、私の力はとても不安定です。訓練はしているのですが、それでも一度ワームホールで繋げた場所に、もう一度繋げることができません。それに……ワームホールを繋げたままにしていられるのも、最長で一時間といったところです」

「ええと、つまり……」

「簡単に言うなら、チャンスは一度、制限時間が約一時間、ということです」

「なんでそうなる? ……いや、チャンスが一度しかないっていうのはわかった。けど、なんで燐がワームホールを繋げていられる時間がそのまま制限時間になるんだ?」

「それは、ワームホールの向こう側に取り残された場合、もとの時間に帰ってこられなくなるからです」

「だけど……」

 納得のいかない僕に、燐はあごに指先をそえて少し考える。

「そうですね……例えば、私が二ヶ月前の地震直前に繋がるワームホールを開いたとします。和彦さんがワームホールを抜けた先で……なにかのトラブルに巻き込まれて、私がワームホールを繋げていられる間に戻ってこられなかったとしましょう」

「ああ」

「和彦さんが自宅や鈴子お母様のところに戻ろうと思っても、そこには二ヶ月前の和彦さん自身がいます。戻るべき場所には戻れないんです。過去の自分や知人に知られないままでは、数日過ごすのでさえ大変でしょう。……手持ちのお金がそれなりにあればなんとかなるかもしれませんけれど」

「だけど……それはまた燐にワームホールを開いてもらえれば……」

 はたと気づく。

 どうやって、僕のいるところにワームホールを開いてもらうんだ?

 僕が気づいたことを察し、燐がうなずく。

「そうです。いつ、どこに和彦さんがいるのか把握できない以上、私は和彦さんをこちらに戻すためにどこにワームホールを開くべきか、事前に知ることができません。同じように、和彦さんも私がどこにワームホールを開くかわかりません。再びワームホールを使って戻ってくるという方法は、現実的な手段とは言えないんです」

「それは……そうか」

「そしてもうひとつ、重要なことなんですが……」

「?」

 口をつぐむ燐に、僕は視線で続きをうながす。

「……過去を変えられるかどうか、私にはまだ分かりません」

「そんなわけないだろ」

 過去へと行き来できる力。そんな力を持っていたなら、これまで何度だって試せたはずだ。過去に影響を与えることでなにがどうなるか、過去を変えられるのか変えられないのか、検証していないわけがない。

「確かめていない、というわけではありません。何度も確かめようとしました。何度も変えようとしてみました。けれどその度、確証が得られなかったんです」

「……?」

「結論だけを言えば、私は過去を変えられた試しがありません。ですが、だからといって不可能かどうか……断言できるわけではないんです」

「……悪魔の証明、ってやつか」

「そう……考えていただいて構いません」

 悪魔の証明。

 有名な逸話だ。

 悪魔という存在がいるとするなら、どうにか連れてくればそれで証明ができる。だが、悪魔が“いない”ことを証明しようとするなら……全世界で本当にいないことを実証しなければならない。言ってしまえば、地球外さえ含めた、全宇宙で本当に存在しないかどうかを証明する必要がある。……それは実際のところ、不可能と言っているようなものだ。

 つまり、燐はこれまで「過去には戻れたけれど、変えることはできなかった」ということだ。

 その上で「絶対に変えられない」と断言するほどの証拠が無い、と。

 だけど、もっとちゃんと検証することはできるんじゃないかとも思った。その手法を思い付いたわけではないけれど。

「正直に言います。私には、天原つかささんの運命を変えられると確信を持って言えはしません。変えられないんじゃないかとさえ思っています。つかささんの死を無かったことにしてしまうなんて、そんな都合のいいことできないんじゃないかって。けれど……可能性がゼロだと言いきることもできません。私に成し遂げられなかったことが、和彦さんになら成し遂げられる。それはもしかしたら……本当にあり得ることかも知れないんです」

「……」

「やるというのなら……過去を変えようというのなら、私は止めません。止めるつもりなんてそもそもありませんし、できる限りのお手伝いをします。けれどそれには、和彦さんの覚悟が必要です」

「覚悟?」

 手元の携帯端末のライトが照らす燐の顔はうつむいて唇を引き結んでいて……それでいて、悲しい顔をしていた。

「ミスを決してしないという覚悟と、ミスをしてしまった場合に、それを受け入れる覚悟です」

「受け入れ――」

「つかささんの死を変えられなかったときに、和彦さんはそれを受け入れなければならないんです」

「……そんなこと」

「私の力では、二度目のやり直しはできません。それが限界なんです。だから、もし失敗してしまったら、和彦さんは……」

 燐は顔を上げられないまま、僕の方を見ることもできなくなっていた。黒髪に顔は隠れ、どんな表情をしているかもよく分からない。けれど、すき間から見えるその眼は、なにか――過去の自らの失敗だろうか――を思い出しているように見えた。

「つかささんの死を、二度経験することになるんです」


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