第4話 学校跡


04

 正門跡を通り、「立入禁止」と記された黄色いテープをくぐる。

 地震直後は、有志のボランティア達が構内の瓦礫撤去をしたりしていたが、校舎なんかの建物は崩れ落ちたまま手付かずだった。

 そんな状況に関しては、大学側も同じだ。

 そもそも、神稜大学とその附属高校は東京都から指定地区の災害時の避難所として指定されていた。私立大学であり、私立高校であることを思うと少々不思議な話だが、近くに公共施設が存在しないことも理由の一つなのかもしれない。

 避難所となるべき場所が一番の被害にあったというのは、今回の地震の真相を知っている僕らからすると「仕方のないこと」だが、超能力者達が暴れまわった事実を知らない――もしくは情報統制で口止めされた――マスメディアなんかはこぞってやれ「強度不足」だの「耐震偽装」だの「想定不足」だのとわめきたてた。

 ただ実際に、この事実は地震後に深刻な問題を引き起こした。

 避難所となるべき学校施設が機能しなかったのだから、当然とも言える。

 地震直前に第四項対策室からの要請で封鎖されていた大学側は、事件終息時には建物のほとんどが破壊されつくし、封鎖さえも意味をなさない様相を呈していた。が、そもそもそんなことを知らない被災者達は付近の住宅から学校に詰めかけたのだ。

 だが、そんな彼らが見たのは阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた高校と、破壊し尽くされてもはや廃墟としか言いようのない大学だった。

 結果として、数多くの被災者が避難所すらない野宿生活を――別の避難所へ移動できるようになるまで、長い人は三週間も――余儀なくされた。

 復興に際して、多くのボランティアが瓦礫の撤去なんかでこの神稜地区にやって来ている。

 だがそれでも、大学と高校の構内は、グラウンドや道路上の瓦礫が脇に避けられただけで、建物は放置されたままだ。

 幹線道路近辺や、一般住宅の瓦礫撤去が優先されたこともあるし、大学と附属高校はその幹線道路から離れていて重機関係の車両が未だ通行不可能であることも要因ではある。

 しかし、そもそも違う問題も噴出しているのだそうだ。

 ちゃんと聞いた話ではなく、噂の域を出ないが、どうやら複数の訴訟問題を抱えているのだという。

 ――大学と高校の構内、施設内で多数の死傷者が出て、さらには建物に「強度不足」やら「耐震偽装」なんかの噂さえあるのだ。その噂が本当だったとしても驚くには値しないが、いくらなんでも早すぎるんじゃないだろうか。

「燐。危なくないか?」

「でもこっちなら、雨にも打たれませんし、話も聞かれませんよ」

 僕の意見も聞き流して、燐は僕の腕から離れ、割れたガラスの合間から靴箱の並ぶ建物内へと入っていく。

「……」

 燐のそんな様子に一息ついて、僕は彼女の後を追う。

 あの時以来入ることのなかった校舎の中は、想像していた以上に荒廃していた。

 銀の“炎の剣”で崩落した天井に、コンクリート塊に押し潰された靴箱や主事室前のカウンター。そこかしこに残されたままの血痕。

 生々しかった地獄の跡は、うっすらとホコリにおおわれていた。

 血痕も茶色く変色し、まるでもう「過去のことだ」とでも言いたげな様子だ。

「……っ」

 平然と奥へ進んでいく燐と違い、僕はひゅっと息を吸って立ちすくんでしまう。

 二ヶ月前の光景が、脳裏を巡る。

 あの血痕のところに倒れていた先輩の姿が、あの瓦礫に押し潰された先生の姿が、まざまざと思い出される。

 いくらこの場所で起きたことが過去のものだったとしても、あれはいまだ……僕にとっては“現在”の出来事なのだ。

「り……」

 うまく声にならなくてかすれる音で、なんとか先を行く燐を呼ぶ。

「り……ん……」

「……? 和彦さん?」

 ようやく振り返った燐は、瓦礫に乗ってなんとか二階に上がろうとしていた。

 燐は知らない。僕は燐とつかさを探してここを通り抜けた時に見たのだ。彼女が今まさに乗っている瓦礫の下には、三人の先輩がいるはずだ。

「ここは……やめよう」

「でも、ここなら誰も聞かれ――」

「燐。頼むよ」

 我ながら情けないくらいのか細い声だった。

 僕は目の前の――二ヶ月前のはずの――光景から目を逸らすことができない。

 燐が瓦礫から――先輩達の上から――飛び降りてこちらにやって来ると、僕の顔を心配そうにのぞきこんでくる。

「和彦さん?」

 ひんやりとした燐の手のひらが僕のほほに添えられる。そこでようやく、僕の顔色に気づいたようだった。

「――っ! ごめんなさい、私全然気づかなくて」

「……」

「すみません。出ましょう」

「うん……」

 燐が動けない僕の身体を無理矢理反転させ、瓦礫から――僕にとっては凄惨な光景から僕を遠ざけてくれる。

「ごめんなさい、ごめんなさい和彦さん」

「いや、いいんだ。僕が――」

「――私が、悪いんです」

 やけに強い口調で言いきる燐に、僕は反論をあきらめる。

 彼女がそう言うなら、そういうことにしておこう。

「……」

「今日は……帰りますか?」

 校舎跡から出て再度傘を開き、燐が心配そうに僕の顔をのぞきこんでくる。

 僕の顔色は悪いままだっただろうけれど……それでも、首を横に振った。

「……いや、違うところならたぶん大丈夫だから。話ができるところを探そう」

「でも」

「その話は、重要なことなんだよ」

 ――だから、過度な心配はしなくていい。

 そんな言外の主張に、燐は唇を引き結んでうなずく。

「……大学の方に……行ってみるか」

「確かに、あちらも人が来ることはないでしょうけれど……。……本当に大丈夫ですか?」

「……たぶんね」

 確証はなかった。けれど、高校と違って大学はあのときの光景は直接見た訳じゃない。こんな風に思い出すことはないような気がした。

 二人でうなずきあい、庇から出る。

 校舎をぐるっと周り、フェンスの合間から大学の方のグラウンドに出る。

 地震の時、ここは被害の中心だったけれど、それでも直後には人が押し寄せたこともあって、しばらくテントなんかが並んでいた。それから一ヶ月ほどすると、みんなは仮設住宅に移ったり親戚の家に身を寄せたり、別の場所に移動させられたりしていた。だから今はもう、グラウンド上にはほとんどなにもない。

 ほとんどというのは……人力では移動できないほどの大きさの瓦礫が残されているからだ。

 グラウンドの大学寄りの方に、円形のへこみがあり、その縁には大きな

コンクリート塊が並んでいる。まるでストーンサークルの現代アート版といった様相だ。

 神稜地区局部地震の、本当の“震源地”。

 これがそうだと知っているのは、僕の他には燐とその兄である珪介さんらの所属する多次元時空保全委員会とかいう組織の人々。あとは大学にいたドイツ人だかの教授くらいらしい。

 まあ、こんなところが地震の震源地だなんて誰も信じないだろう。

 あまつさえあの災害が、人災だっただなんて。

「……」

「……」

 僕らは黙りこんだままストーンサークルの脇を通りすぎる。

 向こう側は完全に崩壊した事務棟の一号館と、半壊した実験棟の七号館だ。そのさらに向こうには、大講堂のあった五号館跡が――もはや瓦礫の山にすぎないが――見える。

 僕らはそれらも通りすぎ、さらに奥へ。やがて見えてくるのは四号館のカフェテリアだった。

 ここの学食は美味しいと評判だった。ちょっと奮発していいもの食べたいときや、バイト代が入ったからと昼休みにわざわざ大学のカフェテリアに来るのは……大学生からしたらそうでもないのだろうが、高校生の僕らにとっては一種の贅沢だったのだ。

 外部に張り出したウッドデッキはバラバラに砕けていて、原型をとどめていない。同じように破壊されたテーブルやチェアなんかもあたりに散乱している。ウッドデッキと室内を仕切る窓ガラスもやはり残らず割れていて、中もまた荒れ果てているのが見てとれた。

「こちらもひどいですね」

 外が夕闇になっていることもあり、中の様子は暗くて分かりにくい。けれどそれでも、天井が落ちてきていて二階や三階の部屋がのぞけたり、部屋が斜めになってカフェテリアと繋がっていたりしていて、ひどい状況だというのは一目でわかる。

 ウッドデッキにはかろうじて破壊を免れた大きな庇が延びてきていて、その下で燐が傘を閉じる。

「大丈夫なのか? ここ、今にも崩れそうだぞ」

「地震後、ここの建物は委員会の指示で調査が入っています。すぐ壊れるような心配のある場所は、すでに取り壊されているはずですよ」

 燐は僕がするような心配など全くしていないらしく、彼女は臆せず中へ入っていく。

「そうかも……しれないけどさ」

 僕は諦めと共にそうつぶやいて、仕方なく燐の後を追い、割れたガラスをくぐってカフェテリアの中へと入っていった。


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