第2話 白煙


02

 雨が降っている。

 数日前から降りだした秋雨はなかなか降りやまない。

 とはいえ激しく叩きつけるように降ることもなく、淡々と、しとしとと降り続けている。

 傘を傘立てに放置したまま、僕は雨の降る中を外に出る。

 着なれないスーツを雨が濡らしていく。しとしとと降るそれは大したことないだろうと思っていたら、すぐにべったりと肌に張り付いて不快な感触となる。

 が、そんな気持ち悪ささえどうでもいい。

 出てきた建物はほとんど窓がない割には大きい。壁は難燃性のタイル張りで、来る人の心情にでも配慮しているのか、穏やかな暖色系の色で統一されている。奥の方には長い煙突が空に突き出ていて、そこから白い煙が吐き出されている。晴れていれば綺麗に立ち上っていただろう白煙も、この雨と湿度のせいか、もやもやと煙突の突端にわだかまり、歯切れ悪く霧散していた。

 あの煙は、二人を燃やした煙だろうか。

 煙突から出る白煙を見上げ、そんなことを考える。

 二ヶ月前には元気だった二人が急に死んでしまい、こんな場所で燃やされ、骨となり、灰となる。

 こんなことになるなんて思ってもいなかった。

 ……正直、まだピンと来ていない。

 いったいいつになったら納得できるんだろう。自分の中で……消化することができるんだろう。

 つかさの死を。

 おじさんの死を。

「……和彦さん」

「燐」

 建物――火葬場から燐が出てくる。自身の傘を差し、そして傘立てに放置していた僕の傘も携えて。

「風邪、引いてしまいますよ」

「……」

 いっそのことひどい風邪でも引いてしまった方が、生を実感できるかもしれない。

 そんな下らないことを考えて……けれど、断るほどの意志があったわけでもなく、燐の差し出した傘を受け取る。

 傘を差し、また白煙を見上げる。

 隣に並んで、燐が僕の視線を追う。

「……」

「……」

 火葬場には、後から後から乗用車やマイクロバスがやって来ては、喪服に身を包んだ人々が吐き出され、いくつもの棺が運ばれてくる。

 後の予定が詰まっているからと、僕らは半ば強制的に火葬場から出なければならなかった。

 神稜地区局部地震での死者は三百名強。二ヶ月たった今でも、この火葬場の許容量を越えた数の死者を灰にしているのだという。

「なあ、燐」

「なんでしょう?」

 燐がこちらを向くけれど、僕は白煙から視線を逸らすことができない。

「もう一度……説明、してくれるか?」

 燐に視線を向けていなかったけれど、彼女がびくりと肩を震わせたのがわかった。

 僕は、なにを説明してほしいのか、詳細を言わなかった。けれど、彼女にはちゃんと伝わったようだった。

「わかり、ました――」

 一ヶ月と少し前、神稜地区局部地震の後に……燐は語った。

 自らの天使の力について。

 天使。

 物を浮かせたりレーザーみたいなものを放ったりする、冗談みたいな超能力者。

 自分がその天使であるという点さえなければ、本当に冗談で済んだはずだった。

 だが……神稜地区局部地震の最中、僕は轟銀から襲撃を受け、天使として覚醒した。

 蒼く染まる視界の中、本来なら知覚すらできないはずの第四の次元を見て……僕は重力を操るなんていう、漫画じみた力を行使した。

 結果、つかさは死に……僕は銀を殺した。

 そしてその事件の後、燐は自らの天使の力を僕に語った。

 重力を操るだとか、光を操ってレーザーを放つとか、それだけでも十分に常軌を逸している。

 だというのに、燐の話はそれを考慮してもさらにとんでもないものだった。

「私は天使です。でも、和彦さんのように重力を操ったり、彼のように……光子を操ることもできません。

 でも私は、代わりにワームホールを開くことができるんです。

 この世界の過去や、未来へとつながる扉となるワームホールを」

 その時、そんな風に説明されて……でも、僕の返答は「ふうん」というそっけないものだった。

 それがどういうことを指しているのか、いまいちわかっていなかったのだ。

 でも、あれから一ヶ月と少し経ち、つかさとおじさんの火葬が済んだいま、僕はとある可能性に思い当たっている。

 今回の燐への要求は、それを確認するためのものだった。

 僕の考えていることが、もしかするとできるんじゃないか、なんて思って――。

「私は……ワームホールを開けるんです。ワームホールで繋がる向こうの空間は別の次元や空間ではなくて、私たちのいるこの過去や未来なんです」

「……うん。で、そのワームホールっていうのは……物質を通過させたりできるの? それとも、向こう側の光景を見ることしかできないとか?」

「ワームホール……アインシュタイン・ローゼンブリッジとも呼ばれているものですが、これは物質の通行を可能としています。私は実際に……何度か向こう側に行ってみたことがあるので、人間の通行が可能だと認識していただいて問題ないと思います」

「行ったことがあるの?」

 内心では結構驚いていたのだが、僕の声は……なんというか、自分でも興味なさそうに聞いているように聞こえた。

「はい。宇宙は広大で……その中の地球の、さらに人が通行しやすい地表付近に展開するだけで一苦労でした。誰もいない荒野だったので、それが時間軸でどれほど過去に遡ったのか、そして地球上のどの辺りなのかも分かりませんでしたが……」

 言われてみれば、確かに宇宙の規模から考えると、人が行ける先なんてほんの少ししかないのだろう。

「そのワームホールの繋がる先っていうのは……燐がどの程度コントロールできるものなんだ?」

「ええと、すみません。それはどういうことでしょう?」

 僕はそこでようやく隣に立つ燐を見る。

「特定の時間の特定の場所に、ワームホールを繋げることが可能なのか?」

「それは――」

 燐の顔がほんの微かにこわばり、言葉に詰まる。

 僕がなにを言おうとしているのか思い当たったんなら、好都合だ。回りくどい言い方をする必要なんてなくなる。

「燐の力なら、過去を……変えられるんじゃないのか?」

「……」

「あの地震の最中の時間に戻って、つかさの死を無かったことに……できるんじゃないのか?」

「……」

「燐、どうなんだよ」

「……分かりません」

「そんなわけないだろ!」

 僕は燐の肩をつかんで、その華奢な身体をゆする。

 二ヶ月前の地震の最中に覚醒したばかりの僕と違って、燐は昔から自らの力を知っていた。なら、試していないわけがない。過去が変えられるのかどうか、検証していないはずがないのだ。

 燐は……ただ、悲しそうに目を伏せる。

「分からないんです。未だに確信がありません。私は――」

「――なに三峯さんをいじめてるんだよ」

「そーよー。女の子には優しくしなきゃ」

 声に振り向く。

 火葬場からやってきたのは、室生康介と、彼の押す車椅子に座った谷口静佳だった。

 二人とも、つかさの葬儀のあと……火葬場までついて来てくれたのだ。

「いや、その……。そーゆーのじゃなくて」

「言い訳は! いーりーまーせーん!」

 車椅子から身を乗り出しそうになるほど前のめりになって、僕を叱責する谷口先輩。

「ちょっと、静佳さん。落ちるってば」

「つかさちゃんが亡くなって……つらいのは分かるわよ。でもね、だからって他人に当たり散らしちゃダメよ。特に貴方たち二人は……誰よりも協力しなきゃいけないはずでしょ。……つかさちゃんのためにも」

 康介の制止も聞かずにそう言いきる谷口先輩に、僕はなにも言い返せなかった。

 その言葉が突き刺さったのもあるし、いつもの強気を崩さない谷口先輩の――泣くところなんて想像もできなかった人の――瞳が、今にもこぼれそうな涙をこらえて潤んでいたから。

 僕は力が抜けて、燐の肩から手を離す。

「……すみません」

「謝るのは……あたしにじゃないでしょ」

 泣き笑いみたいに苦笑する谷口先輩に、反論なんてできるわけなかった。

「ごめん、燐」

「いいんです。私が――」

「――燐ちゃん。貴女にも言っておくけれど、謝罪って簡単にできるものじゃないのよ。だからそういうこと言うの、よくないよ」

「……」

 想像以上に真剣な言葉に、燐も言葉を飲み込む。

 相変わらず、言いにくいはずのことをズバッと言いきる人だ。

「……燐ちゃんにはそんなつもりないかもしれないけれど、それって、謝ろうとしてる人のその意思を否定してるのと同じことだよ」

「そんなこと、は」

「そんなことないって思ってるのは分かるよ。あたしなんかより、葉巻君の方がさ。でも、謝ろうとしてる人に本当に優しくしてあげたいなら、謝罪を受け入れて、赦してあげなきゃ」

「――そうですね」

 微笑んで肩をすくめる谷口先輩に、燐も微笑む。

「谷口先輩には、敵いませんね。そんな怪我して……僕らよりもつらいでしょうに」

「へっへっへー。あたしにはこーすけがいるからだいじょーぶなのよー。ねっ?」

「えっ? あ。う、うん。それなら良かったです。はい」

 話を振られると思っていなかった康介が慌てて返事をする。

「ほら、こーすけ。ちゅー」

「うん。……ってバカ! できるか!」

 唇をつき出す谷口先輩に思わずうなずいたが、さすがに気づいたらしい。

 頭を抱える康介に、谷口先輩はほほを膨らませる。

「なによーケチ」

「いやケチとかそういうことじゃなくて、ほら、見せびらかすみたいなのは嫌だって言ってるじゃん」

「見せびらかそうとしてるんじゃないわよ。こーすけといまキスしたいだけ」

「周りの目を気にして!」

「仕方ないわねぇ。じゃあ隠れましょ。そこの建物の陰ならもっと過激なことできるし」

「違う! なんか悪化してる!」

「あのー。すみません」

「……」

「……?」

 見知らぬ声に、僕らは一斉に声の方を見る。

 そこにいたのはくたびれたスーツの男性で、そのすぐ後ろには携帯端末の背面カメラをこちらに向けている女性もいた。二人とも腕章をしていて、二人が何者かそれだけで察せられる。

 瞬間的に、僕は無表情になる。

「私、神稜放送の記者をしている神田と申しまして……失礼ですが、葉巻和彦君ですか? 天原つかささんの火葬を終えられた感想を――」

「あの、俺らそーゆーことなにも答えられないんで」

 僕にあったことは皆が知っている。なにも告げる気がない僕に気遣って、康介が彼の言葉に割り込んで拒否した。が、こういう人たちがそんなことで諦めるはずがない。

「いえ、私どもは貴方ではなく和彦君にお話しを――」

「――彼の言った通りですよ」

「はい?」

「僕が言えるのは、あなた方になにも話すつもりがない、ということだけです」

 その神田ともう一人に冷たい視線を投げ、僕は彼らに背を向けると火葬場へと歩き出す。

「あ、そんな。五分もかかりませんから――」

「――やめてください、と、そうお願いしているんです。これ以上、和彦さんを苦しめないでください」

「なにもそんな目くじらたてて拒絶しなくてもいいじゃないですか。私たちは視聴者の知りたいことに、彼らの代わりに質問しているだけであって」

「だからといって、いま苦しんでいる人をさらに傷つけていい理由になんてなりません」

「私たちは和彦君を傷つけようとなんてしていませんよ。ただ報道の自由の元に、国民の知る権利を守ろうとしているだけです」

 燐の言葉にも、彼らは聞く耳を持とうとしない。恐らくちゃんとしたジャーナリストと呼べるような人じゃないんだろう。動画配信なんかで閲覧数や再生回数を稼ぎたい人だ。

「その権利を守るために、和彦さんに犠牲になれと言うのですね」

「だから! そんなことは一言も――ッ!」

「――燐」

 ヒートアップするあいつらに見かねて、僕は燐に声をかける。

「相手にするな。こっちの心情なんてどうでもいいんだ。まきさんの手伝いもある。行こう」

「……わかりました」

 文句を言いたりなさそうな燐は、僕の言葉に渋々うなずく。

「あ、ちょっと――」

「取材を、インタビューを拒否する権利もあるのではないですか?」

「それは……」

「名刺を頂けます? 一般人に対するプライバシーの侵害について、弁護士と相談しますので」

「え、あ、はぁ……」

 燐の態度に気押された神田を見て、これ以上は平気だろうと僕は火葬場の建物へと向き直る。

 入口で待っていたのは、苦笑ぎみの康介と谷口先輩だ。

「大変ねぇ」

 いたわるような声音の谷口さんに、僕はなんとかして控えめな笑みを浮かべる。

「でも、谷口先輩だって、色々あったでしょう?」

「そうだけどね。でも、葉巻君ほどじゃなかったわ。怪我はしたけれど、運良く生きてるもの。君みたいに……悲劇の主人公として祭り上げられたわけじゃなかったから」

 僕に限らず、生き残った人たちは大なり小なりマスメディアに晒され、全国へ向けて悲劇を提供させられた。僕らは皆、できたばかりの大きな傷口に塩を塗り込まれたのだ。傷口の大きさはともかく、塗り込まれた塩の量は人それぞれで、確かに僕に塗り込まれた塩は大量だった。僕がそれにもがき苦しんだ様を知っているからこそ、康介や燐が助けてくれたけれど……彼らも、僕と同じようにマスメディアに傷つけられた側の人なのだ。

「……ありがとうございます」

「んーん。これくらい気にしないの。あたしや康介に手伝えることならなんでもしてあげるわよ。代わりに、あたしと康介じゃ抱えきれないものがあったときは、葉巻君と燐ちゃんに手伝ってもらうから」

「そうですね。その時は呼んでください」

「もちろん。だから、お互い様」

 そう言ってにっと笑みを見せる谷口先輩。僕も無理矢理笑みを浮かべ、返事をする。

「分かりました」

「じゃーあたしたちも行こうかしらね。ね、康介?」

「あ、うん」

「ほら、ちゅー」

「さすがに二回目でつられるほどバカじゃないから」

「そんなひっかけようとしてるみたいな言い方しないでよ。あたしはいつでもこーすけとちゅーしたいだけなのに」

「だからそこを自重してってば!」

 僕のせいでしんみりさせてしまったかと思ったら、二人はもうなんかイチャイチャしている。僕はなんでそれを見せつけられているんだ?

「それじゃあ……僕もこれで。頑張れよ、康介」

「いや頑張れじゃねえよ。お前は――」

「はいはい、いいから行くわよー」

「――ちょっと静佳さん、待ってって、まだ雨が降ってる……いやだから、行くのはそっちじゃない――」

「でも、建物の陰に隠れればちゅーしていいんでしょ?」

「いやそこまでは言ってないから! どー考えても曲解だから!」

 自分で車椅子を押して向こうに行ってしまう谷口先輩に、泡を食った康介が走り出す。

 あの地震で二人の立ち位置は少し変わったのかもしれない。が、それでも。二人の関係は変わっていないように見える。

 ……。

 ……いや。それはきっと変わらないんじゃなくて、変わらないように腐心しているのだ。

 そう気を遣っているのは、恐らくは谷口先輩の方だろう。あの人は好き勝手しまくっているけれど、さっきの発言のように、同時に周囲を気遣ってもいる。

 地震の時、瓦礫から康介を守るために谷口先輩が康介をかばったのだと聞いた。だから、康介が“自分のせいで”と気に病まないように、谷口先輩は前と同じ態度を取り続けているんだろう。じゃなきゃ、下半身不随になった直後で本心からあんな天真爛漫な態度がとれるとは思えない。

 ……いやまあ、あの人のことだ。素かもしれないけれど。

 康介達のそんな様子を尻目にふと周囲を見渡すと、また新たなマイクロバスがやって来て、新たな死者の遺族達がやってくるのが視界に映る。

 その手前では、とうとうすごすごと引き下がっていく自称神田記者たちと、追い返せたことにどこか鼻息を荒くしている燐だった。

「……大丈夫?」

「はい。錫姉さまにも話をしておきます。二度と和彦さんには近づけないようにさせますから」

「……」

 それは職権濫用じゃないか、とちょっと思ったけど、別に僕が困るわけじゃないので、特になにも言わなかった。

 ――特に貴方たち二人は……誰よりも協力しなきゃいけないはずでしょ。……つかさちゃんのためにも――。

 ついさっきの谷口先輩の言葉がよぎる。

 ……つかさのため?

 本当に、そうだろうか。

 いや……そうだ。燐と協力すれば、できるかもしれないのだ。

 過去を変え、つかさの死を無かったことに、この葬儀も、火葬も、なにもかもを無かったことにして、またつかさと笑いあえるようにするために。

 康介と谷口先輩にさえぎられたけれど、そのことを燐にちゃんと確認しないといけない。

 そんな僕の考えが読めたんだろう。燐は僕の隣まで戻ってくると、僕がなにか口にする前に小声でささやく。

「先ほどの話、ちゃんとお話します。でも……誰にも聞かれないところでさせてください」

 僕は燐の真剣な視線を見返してうなずく。

「そうだね」

 色々な邪魔が入って結局ちっとも話ができなかった。けれど、こんなひっきりなしに人がやって来るところじゃ、天使がどうとかいう話なんてできやしない。

 突飛な話しすぎて、端から聞いたとしてもゲームか何かの話をしているように聞こえるだけだろうか。……それはそれで、火葬場でする話じゃないと不謹慎がられるかもしれない。

「……」

 手にした傘を上げて、火葬場の煙突を見上げる。もう白煙は消えていた。とはいえ、またすぐ立ち上ぼり始めるだろう。

 死者と遺族の葬列は、まだまだ途切れはしないのだから。

「時間を使った。早く戻ろう。母さんとまきさんの手伝いをしないと」

「はい」

 僕の腕を取る燐の、やけに冷たい腕を振り払いそうになり、なんとかこらえる。

 燐を拒絶する行為が、自分の本心であると強く自覚してしまったけれど……それを彼女に告げる勇気など僕にはなかった。


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