第25話 契約
「この世界の終幕トリガーは“責人とのわだかまりが解消すること”だと確信している。その結果が死別だっただけで、派閥の問題も解決しているからな」
この問題がわかったとして、手っ取り早くわだかまりを解消する必要もある。俺らの場合は街長の負担になるワームの影響を考慮しなくてはいけないから余計に早さが重要だ。加えて、確信していても万が一がある。だから“前回”を利用する。
「てな訳で、死に近しい現象を起こしたいと思う」
固唾を呑む二人はこの世界へ再び来る前に知っていることだ。
しかしこうも緊張が走るのは、“死”と肩を並べることだから。
「茜の存在を世界に忘れてもらう」
「……そんなことできるの?」
「ああ、特殊改編保安局の記憶を消す薬がある」
「でも全員に飲ませるなんてこと」
「できない。普通はな」
「だったら……」
茜の顔がハッと上がる。
全世界の人に飲ませるだけの量もなければ、全世界の人に飲ませる手段も俺らにはない。普通なら、現実なら、まず不可能だが、それすら可能にするのが物語の世界だ。
あるじゃないか、この世界には――
「集団拡散機を使うのね」
「そうだ。集団拡散機ならグラティア同様世界に付与することができる。だから、茜の存在は一人残らず世界から忘れ去られるんだ……でも」
問題は方法ではない。
この方法に関してはチカ姉とバートンとも話して可能だろうと結論が出ていた。しかし、茜の存在が忘れ去られるということは、ただ一人この世界で誰も知らない人として生き続けることになることに他ならないのだ。
「茜がこれでいいのか……決めて欲しい」
どこまでいっても俺のエゴ。
いくらでもポジティブに考えられる一方で、最もネガティブな選択肢でもある。
なぜなら範囲は全員。つまり幼馴染、親友、家族すらも忘れ去ってしまう。
「いいよ。私はそれでいい」
だが、茜はあっさり了承する。
「いいって、本当にいいのか? 本当に全員に忘れられるんだぞ」
「どうして楼が焦っているの?」
「だって……」
瞼を閉じて優しく微笑む。
確かに俺が焦る理由はなかった。しかし、そうやすやすと納得できる答えではないのも事実だ。拒まれてもおかしくない手段……なぜ茜の表情には不安が浮かばないのか。
温かみのある声で言う。
「大事な人に忘れられるのは辛いよ。責人にだって忘れられるのは嫌だ。それにお父さんとお母さんが、お父さんとお母さんじゃなくなるんだもん。できればやりたくない」
「……」
「でもね。この世界だと私は敵で裏切り者なの。派閥の皆だけじゃない。責人だって、お父さんもお母さんも皆が私を裏切り者だって言うのよ」
派閥と責人が納得しないのは裏切りの影響を直に受けた人々だからだろう。けれども、茜の親までもが裏切り者だと言う理由がわからない。
「親は味方で居てくれるものじゃないのか」
「……私が元化派にいたとき、情報を売った親戚同様に家族、お父さんもお母さんも同じ仕打ちを受けていたって話は前にしたと思うのだけれど、私はそれが見ていられなかったの。だから派閥から出ていけば助かると思ったのに、お父さんとお母さんはこの派閥でも白い眼を向けられてる。裏切り者の親だから」
まさか……白い眼を向けられることを恨んで娘を罵っているというのか。
そんなこと、あっていいはずがない。親だってわかっているはずだ。茜が想ってやってくれたことだって。なのにどうして娘を責めるのか。
「……どうして」
「私が悪いの。私が家族だけを連れ出したから……」
……そういうことなのか。家族だけ……つまり……
「親戚は元化派に殺された。私の親からしたら同じ家族だった……お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、兄弟姉妹までみんな……ね」
どこまで残虐なのだろうか。
争いとはこんなことまでしなくてはいけないのだろうか。
善意が悪意に塗り替わってしまうことが合理の上で当然だとしていいのだろうか。
「だからこの世界で私は独り……ずっと独りで新保進派の代表をしてきたの。楼が来るまではね」
俺の手をそっと掴む手は冷たく、か弱く、繊細で、今にも割れてしまいそうだ。
硝子の手があればきっとそれは今の茜の手だといえる。
「俺がいる」
「ええ。楼が居てくれる。私の考えまで尊重して……ロマンで魅了して」
ほのかに笑って脱力と同時に肩をストンと落とす彼女は、もう大丈夫なのか。
背負っていたものに押しつぶされることはないのだろうか。
俺は少しでも軽くしてあげられただろうか。
「仲間の俺を頼ってくれ」
「うん。頼らせてもらう。だから心配しないで。みんなに忘れられたら新しい征條茜として楽しく生きて見せる……もちろん会えないのは辛いけどね」
俺と見つめ合う茜の頬が朱に染まるのを見て俺まで……いや、その前に背後から痛烈な矢の如く突き刺さる二つの視線をどうにかしたいと思う。
固唾を吞んで成り行きを楽し気に見つめる二人に楼は殺意と類似した視線を向けた。
「信樂君が茶化すから」
「あ、何言って、私を悪者にしないでよ」
まったく忙しない二人だ。
「チカ姉は本当にプロなのかよ……さっさと計画の詳細を話すぞ」
「そうね。あんだけ征條茜が死んだからって泣き騒いで来たのに遊んでいる暇はないわ」
「おい、それは仕返しか?」
「何のこと? 事実しか話してないわよ」
「あーあー、俺は泣いてもいなければ騒いでもいない」
「そうだったっけ? あー落ち込んで今にも死にそうな顔に――」
その話を真剣に聴く茜と視線が交わり、気恥ずかしくて堪らない。
俺の知る背中を追いかけていたチカ姉はこんなにふざける人だったのか。
なんとも恥ずべき過去なんだ。
「私が死ぬのがそんなにも……」
茜までそちらに回るのか。
「あーもぉーわかったよ。そうだよ。悲しかったよ。それでいいだろ。謝るからこれっきりにしてくれ。早く計画を進めよう」
勝ち誇った嫌味なチカ姉に、ニヤニヤ笑いが止まらない間抜けなバートン。唐突に聞かされる話しに笑顔を消せない子供な茜。
本当に大丈夫なのか、可能性が僅かにもなければ賭けるべきロマンも何もないのだが。
「さっきも話したが、茜の記憶を消すには集団拡散機を制圧しなくてはいけない。場所はバベルの最上階だから問題ないものの、制圧と記憶を消す薬を投与するための設定は俺たちじゃどうにもならないんだ」
「つまり、僕たちがやるってことだね」
この世界に来る以前から二人には話している内容ゆえ、テンポよく話を進める。
「私たちが集団拡散機の設定をするということは与野責人とワームの討伐はできないってことになるわ」
「ということは私と楼で戦うことになるわけですね……でも」
「戦力に楼君が数えられるか心配という顔だね」
この時点の茜は俺が改編能力を得たことも知らないのだから当然だ。とはいえ、改編能力を持っていることを知っていても戦力外なことには変わりないのだが。
「だから俺と茜で契約をしたいんだ」
「契約?」
「そう。チカ姉とバートンみたいに現実の人間と物語の人間が契約をすると能力の進化が起こるんだ」
「進化した能力はもうわかってるのよね?」
「いや」
「なら最悪……」
当然心配するところは不確定要素である進化後。最悪の結果も茜であれば容易に想像できるだろう。俺も茜も同じことを想像し、心配しているのだが……
「大丈夫。楼の能力は低くないって征條……いや、茜ちゃんも知っているでしょう?」
「そうでした。心配する必要はないのかもしれませんね」
「心配してくれよ」
信頼してくれているのはありがたいが、当の本人である俺が一番信じられていないのだ。
というか単に期待と責任で腹が痛い……
「僕もそこは心配していないからさっさと契約してしまおう。練習が必要であったらギリギリまでやるわけにはいかないからね。茜君はこの紙を見てやればいいよ」
「じゃあ私たちはどこか行くから明日よろしくね」
二人してからかう笑みを俺にひたすら向けているが、別におかしなことをするわけではない。契約のやり方だってバートンに教えてもらった通りなら、可笑しなことなんて一つもないはずなのだ。
しかし、二人の視線を受けた茜はというと……
「わ、私、今から、何を……ろ、楼、わたし……」
かなり、非常に、見たことない程に、動揺している。
一応、勘違いのないように述べておくと、まったくもっていかがわしくもなければ、おかしなことすらない、崇高に忠誠を誓う厳かな儀式だ。決して茜が動揺する必要などない。
「そんなに動揺されると俺までおかしな気がしてくる」
「いや、だって、その……」
目を白黒させている茜はなかなか見られるものではないのだろう。
俺としてはいくつか子供のようにはしゃぐ姿を見ているが、代表として孤高でいた茜は会議の時見せた姿が普段の姿だろう。しかし、その姿しか周りに見せないのであれば今の姿はかなりギャップがある姿に違いない。
だが、考えてみれば俺とて茜と会って数日しか経っていないのだ。すべてを知っているわけでもないが、自分にだけ見られる側面があると言うのはどこかこそばゆいものを感じる。
「茜。契約の儀式……始めていいか?」
「は、はい。お願いします」
敬語に戻るのは未だに緊張しているからなのだろうが、主役は茜だ。
俺は改編の剣を召喚して地面に突き立てる動作をする。実際には地面に突き刺さりもしないため、形だけの動作。
「清純たる主と、豊沃たる世界『グラティア』において契りを立て給う」
「汝が契り我が能を要するか」
「作りてたる魂、信樂楼がまつる。辛苦を乗り越え、我が能要して並ぶ」
「ならば汝が作りて忠誠であれ」
眼前に出される手の甲に口づけをすると透明であった剣が靄を纏い、剣先から明媚な白群で形を創り出す。燐光が結晶となり剣となる現象は神秘的で、柄へと向かうと同時に、楼の顔が茜を捉えた。
「変えましょう。たとえ世界が望まなくても」
拭き入れる風が燐光を押し上げ全美な剣を作り上げる。
「私たちが望む世界に――」
同時に舞う燐と吹き上げる風が茜を彩った。
「私たちだけのフィナーレを‼」
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