第24話 仲間

「痛ッ」

「だい――う――か!」


 肉体との繋がりが切れ耳鳴りと真っ白で朦朧とした世界は、火で焼くような熱を持った頭痛で俺を歓迎する。


 ぼやけた世界の焦点が定まるのに伴って聴力も回復し始め、地面に膝を突いて俺を正面から見つめるアイボリーの髪と翠を持つ彫刻のような少女がいた。そう、彼女こそが本当のバカタレなのだ。


「楼さん! 楼‼ 大丈夫ですか‼」


 どうして涙を流しているのだろうか。

 泣きたいのは俺の方だって言うのに――


「ああ、俺は大丈夫だ」

「でも……髪が」


 視線に従って前髪を目元まで伸ばすと、色が抜けた真っ白な髪があった。

 なるほど、頭痛に加えて感覚がおかしかったことだけが物語改編の弊害かと思っていたが、物語に染まるとはこういうことなのか。むしろこれでは、自分の色が抜け落ちるといった方が言葉として正しいのだろう。そして俺はこれを見たことがある。


 きっとチカ姉も似たようなことをしたのだろうな。

 そうじゃないと真面目なチカ姉の髪が一部だけ白いなんてことにならないだろう。

 一部の白髪化は絶対変えたいと思ったことがあるという証明でしかない。


「この髪は決意の証明だからいいんだ」


 だから気にすることではない。

 今気にすべきなのは、茜の未来だけだ。


「茜……お前死のうとしてるだろ」

「え?」


 戸惑うのは当然………だって、この物語の最後を知らなかった俺は茜が主人公ではなく敵であることも、死ぬなんてことも、本来は知らなかったんだから。

 だから俺は右手に握られたネックレスを見せた。


「どうして……」

「俺は助けられた。茜のおかげでチカ姉とも仲直りできたんだ。俺のロマンが何なのかも見つかった。全部茜のおかげなのに……どうして“助けて”って言ってくれなかったんだ」


 今の茜に言っても意味の成さない言葉だってことはわかっている。それでもこれからやってくる未来なのだ。その未来でこんなにも助けてくれたのに――絶対死なせない。


「誰も犠牲にさせないって言ったじゃないか。どうして自己犠牲は許容できちまうんだよ」

「仕方ないじゃないですか‼ 私は皆を幸せにする義務があるのに……それしか方法が思いつかないんですよ」


 その皆に俺が含まれている……だが、それでは派閥の関係そのものではないか。


「でも、俺たちは上下があるわけじゃない。対等な仲間じゃないのか?」

「だとしても……楼さんでは……」


 俺が戦えないのが悪いんだ。間違いなくそれが原因なのに、自分の無力を嘆く茜はどれだけ人の重荷を背負おうとしているだろう。


「茜は最初、俺のロマンに魅入ったから助けを求めたって言ってたな」


 そう、もし茜が今でもそう思っているなら、俺が掲げるべきロマンに今でも魅入っているのであれば、やっぱり俺は許容できない。


「自己犠牲なんかにロマンは一ミリたりともないんだぞ」

「……ロマンが、ない」

「ああ、そうだ。茜が魅入った俺のロマンは自己犠牲なんかにはないんだ」


 全てを否定したいわけじゃない。

 茜が自己犠牲の果てに救おうとしたのが俺だったんだから否定できるわけがない。俺とて投げ打って助けてくれたことに感謝がある。それだけ大事に想ってくれていて嬉しい気持ちすらあった。


 だが、やるせないだろ。

 助けた末に茜のすべてがなくなってたら――


「助けてくれたこと……いや、助けようと思ってくれたこと、感謝こそすれど責めることはできない」

 だから立ち上がり、膝をつく茜に手を伸ばす。


「でも今の俺は立ちあがった」

 そして、冷たくて細い手を掴んで引っ張る。

「今度は俺が助ける番だ――仲間だからな」

「……」

 何も口にしない茜。

「できません……私だって色々考えたんです。でもどう考えたって不可能なんですよ」

「なんだそんなことか」


 てっきり重大な見落としがあるのかと思ってしまった。だが、ただ“不可能”っていうだけならそれは“可能”だ。チカ姉みたいに色んな心配をして、賭けるに値する可能性がないのだと突っぱねるなら既に通った道だ。


「俺が無力だからそう言っているのか、茜が物語の敵だからなのか、自分では変えることができないからそう言っているのか、俺にはわからない。心配するなとは言えない。不可能だなんて当然のことなんだから。でも可能性がないわけじゃない」


 だって、不可能じゃなかったら見つからなかったじゃないか――


「……どういうことですか」

「絶対不可能なんてことはないんだ。僅かでも希望があるなら俺はやってみせる。その希望を信じ通すことが俺のロマンだからだ」


 震える瞳は何を見透かそうとしているのだろうか。見透かすも何も、隠していることなど何一つないって言うのに。


「本当にできるんですか?」

「ああ、俺を頼れ。味方でいるって言ったろ?」


 この世界が茜の敵でも俺だけは味方で居よう。たかが本の世界だ。あんなちっぽけな存在に負けてたまるか。

 なによりも――


「仲間に助けてって言ってもらえない味方なのが嫌だ」


 俺は茜をまっすぐ見つめる。

 笑顔でいようとする強さは褒めよう。

 だが、震える口こそ茜の心意なんじゃないのか。

 まっすぐ手を伸ばし、繊細なガラス細工のごとく脆い声で言った。


「助けてください……楼、私を助けてっ」

「任せろ」


 絶対折れない硝子はやっぱり硝子だ。

 だからそっと手を握って頷く。それだけで十分なのだ。

 これで俺たちはやっと対等になれるのだから。


「なにか作戦があるの……よね?」

「ああ、あることにはあるんだが……クク」


 敬語を意図して外そうとする茜がおかしくて思わず笑みがこぼれる。

 誰に対しても敬語を使うのだから余計だ。

 だが、茜自身は不満なようで……


「どうして、笑うの……よ」

「慣れないことはするもんじゃないなってな……クク」

「もう、仕方ないじゃない……笑ってないで作戦はあるのなら教えてよ」


 茜だって真面目にやろうとしてくれているのに悪い気がして自分の顔を両手で叩いて切り替える。


「作戦はあるが、俺ら二人じゃ無理だ」

「え? できるんじゃ……」

「二人なら無理だが、俺らにはもう二人仲間がいるだろう?」

「それって……」

「ああ、そうだ」


 さっきから見え隠れする鼠色の短髪と、胡桃色の一つ結び。

 たまに見える視線すらも見逃しやしない。気づかないわけがないだろう。


「いるんだろ」

「ほらーあんたがいけないのよ」

「どうして僕なんだ! いい雰囲気だからここで待とうって言ったのは信樂君だろう?」

「そ、それは言わないでって……楼? 元気?」


 何やら痴話喧嘩を始める二人を窓から顔を出して微笑みかける。

 俺たちを気遣ってくれたんだもんな。


「ああ、元気だとも。ピンピンしてるさ。拳の準備はもうできてるぞ」

「バートン、あなたの仕事よ」

「僕の仕事じゃ……うッ」


 華麗なパンチは加減を覚えバートンも倒れないで済んだ。

 手伝ってくれるのだから倒れられると困るからな。


「よし、じゃあ、話し合いと行こうか」

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