第22話 ありったけの本

 閑散とした街並みは相変わらずだが、静けさはいつにも増していた。仕事をする彼らの声や音が聞こえないことは異様な雰囲気を醸し出し、周囲の鋭い視線を感じて体をこわばらせる。


「何もしないで……」


 ボソッと聞こえた言葉は俺に投げ掛けられた言葉なのだろう。

 しかし、それはある意味事実であり、構っている暇がないのもまた事実だ。

 俺は街長のところへ、清衣のとこへ行かなくてはいけない。


 現金な話だが今は頼るしかないんだ。街長にどんな貸しを作ってでも金を借りて、清衣からたくさんの本を仕入れる。それしか俺に手段はない。


「おい。無能で無職のお前がどうしてほっつき歩いてんだ」


 ずらっと道を塞ぎ、退路までも囲む彼らはこの街の住民。

 異様な雰囲気は彼らが働く音が聞こえなかったからであるが……なるほど、俺を懲らしめに来たっていうのか。


「どいてくれ。俺は街長のとこに行く」

 無理やり通ろうにも彼らは俺を押し倒し行かせない。

「行かせるわけないだろ」

「行かなくちゃいけないんだ。お前らに止められる筋合いはない」


 その言葉がいけなかったのだと、口にして理解した。

 気づけば頬は痛み、鼻からは赤いものが垂れている。


「筋合いがない? 碌に働かず、この街に居座りやがって何が筋合いだ。俺らが働いてるからお前が居すわれるんだろ。筋合いだってあるだろ」

「何言ってんだ。俺だって国からの情報を街長に届けてたり、作家の仕事だって――」

「そんなもんが仕事って言えるか‼」


 正面から振り上げられた足は横っ腹にぶつかる。

 躱さなければみぞおちに入っていたのを考えると、こいつらは本気だ。


「俺らが汗水たらして食料も、生活品も、動かせる機械の維持にも努めているってのにお前だけがずっと籠って訳の分からないことをしてるんだ」


 彼らから見ればそれが真実なのだろう。

 確かに俺がしている仕事は彼らほど肉体を酷使させないし、動かなくてもできてしまう事ではある。だが、その分の対価としての金銭は僅かで周囲の散策で金になりそうなものを見つけに行かなくちゃいけないんだ。


 だが、そんな俺の姿など彼らは見ていない。

 見ていないから俺は何もしていないようにしか見えないんだ。


 ともあれ、何もしていないように見えて、最低限報告の仕事はしていたから街に迷惑は掛けていないはず。だから彼らの俺への批判的な感情で、これからやろうとしていることを邪魔されるわけにはいかない。


「迷惑は掛けていないんだ。街長に用事がある。どいてくれ」

「ふざけたこと抜かしてんじゃねぇ。お前がここ数日どっか行っている間に国からの報告は街長が全部請け負って倒れちまったんだ。迷惑なんてレベルの話してねぇんだよ」

「俺が何処かに行ってた? それに街長が倒れたって?」


 どこかにっていうのは『グラティア』の世界に行ってたことを言っているのだろう。あそこの世界にいた二日が現実でも経っていておかしくない。その間、報告ができなかったというのは俺に非があるのは間違いない。


 だがしかし、どうして街長が倒れるんだ。

 俺の報告とて一日一回、最低限の連絡が来るくらいで、多くても数件だ。俺の仕事を街長にさせたことは申し訳なくとも、過労で倒れるほどの内容ではない。


 だとすると、倒れた原因は何か。

 思い当たるのは責人のことだが、物語は終わったんじゃないのか。

 バートンだってあと三日は大丈夫じゃないかって言っていた。


「何があったんだ」

「何考えてんだよ。ふざけんな。お前がほっつき歩いてたから街長は⁉」


 楼を囲む彼らは思い思いの罵倒とともに、楼を蹴り、踏みつけ、胸に渦巻く黒いものをぶちまけているようであった。必死に頭を抱えて丸まる楼に痛々しい傷を作っていき、右腕に当たった脚が鈍痛を与える。


 クソッ……こんな時に限って……

 俺が悪いんだ。そんなの知ってる。批判されるの覚悟でロマンを求めてきたんだ。


 だからここで潰れるわけにはいかない。

 やっと見つけた、思い出したロマンは信じなくちゃいけない。

 ロマンを信じる俺は、不可能が可能になるって信じてるんだ。


「悪かった。俺が悪かったから、街長のところに行かせてくれ」


 何でもいい。

 今はここでくたばることだけ避けられれば。

 楼は頭を地面にこすりつけ、彼らに願った。


「お金が必要なんだ。助けたい人がいるんだ。どうかお願いします。俺を街長のところに行かせてください」


 一瞬の沈黙の後……彼らは笑った。声を高らかに笑った。

 楼の姿が面白おかしくてたまらないと、罵り笑った。


「金だってよ。散々迷惑かけて金まで欲しいってよ」

「助けたい人がいるなんて冗談も大概にしてくれ」

 正面の男は楼の髪を掴んで冷えた声を出す。

「助けて欲しいのは俺たちだよ」

 楼の頭を強く地面に打ちつけ、手で押さえる。

「街長はな。お前がのんきに家にいる時でも、人手が足りなかったら忙しい中助けてくれるんだよ」


 知っている。この街の住民が街長を信頼していることを。

「お前の親も姉ちゃんも、この街で生きてく俺らのために頭使って、体張って、食糧難で辛い毎日を支えてくれたんだよ」


 だから俺は越えられない。

 父さんも、母さんも、チカ姉も――

 自分が父さん母さん、チカ姉より下だって言われるのが嫌だったから。

 俺だけのロマンを持てば耳を塞げると逃げたから。

 結局全部、俺の為なのに……


「金だなんて言ってるんじゃねぇ‼」


 自分のことしか考えていなかったって全部わかっているから。

 俺は越えられない。


「お前は誰も助けられない。夢なんか見てんじゃねぇ‼」


 そう――ロマンだって……


 刹那、血で滲むかつて白かった右腕の布がほどけて落ちた。


 ……茜はきっと言うんだろうな。


「ロマンを捨てるなって」


「なに言って……」

 布を拾って自分で腕に縛る。


「汚ねぇ布また巻いてどうするってんだ」

 この布は包帯なんかじゃない。茜の味方だっていう証だ。

 賭けるって俺は言っただろう。

 茜を救うっていうロマンに俺のすべてを賭けるって言ったんだ。


「本当に申し訳なかった……です。これから俺を幾らでもこき使ってくれて構いませんから、どうか働かせてください。この街の為にすべてを尽くさせてください……だから、お金を貸してください。あの人だけは、茜だけは助けさせてください」


 すべてを投げ打ってでも助けたい。

 大事なロマンを思い出させてくれたから。


「どうかにお金を貸してくだ――」

「貸すかよ。俺たちは自分の生活で目一杯だっていうのに貸せるかよ」

 吐き捨てるような言葉。


「今からお前が働いてその金を使えば――」

「それじゃ遅いんだ。もう変えられなくなるんだよ。だから、お願いだって……」


 異常なまでの執着に見えたのだろう。彼らが一歩後退するのが見えた。

 俺自身も切羽詰まっているのがわかる。

 だが、バートンが言っていた物語の定着を避けるには俺が稼いだんじゃ間に合わない。


「だ、誰ができるか。この街はそもそも裕福じゃない。金が余っているやつなんか――」


「私が出そう」

 白髪のやつれた男。二冊の本を手に、アヤメの髪色をしたツインテールの女の子に支えられて歩いてくる。

「街長に……清衣?」

「はぁい。清衣ですよぉ。お困りだと思って連れてきちゃいましたぁ」


 街の住民である彼らが言うように街長の顔はやつれ、心なしか体の傷も増えているように見える。おそらく、バベルでの戦いで負った傷が反映されたのだろう。


 なぜ二冊の本を持っているのかはわからないが、生気のない眼からは立っているのも辛いのだと察せられた。

 二人の登場に動揺する住民を他所に尋ねる。


「街長……その体は傷が悪化したからですか」

「あぁ、だが今朝方から痛みが和らいでな」


 物語が終幕したから……そう考えるのが妥当だろう。

 それならば俺のやろうとしていることは街長に負担を与えることになるのだ。

 だが、俺は――


「街長――申し訳ありません。どうかお金を貸してください」

 茜を救いたい。


「君は、今後この街に貢献してくれるのだろう?」

「はい。必ず稼いでお返しします」

「信樂の子をこき使えるなら安い買いも、ゴホ、ゴホ」

「街長さん、無理はぁ、しないでくださいね?」

「何を、君が連れだしたのだろう」

「あ、そうでしたぁ、えへへ」

 二人が来たことで空気が変わった。


 それは街長の見せた僅かな笑顔と回復の兆しかもしれない。

 あるいは清衣のマイペースな会話が場をなごましたのかもしれない。

 だから気が立っていた俺を責め続ける男は気に食わなかったのだろう。


「街長、でもそいつは働きもせず、仕事だって街長が引き受けたから倒れて……」

「君たちがそう思うのもわかる。信樂君が簡単な仕事をしているのに不満があるのは私だけでなく、彼だって知っているはずだ」

 この街で食料の購入をするときでさえ冷ややかな目を浴びるのだから知らずに生きることは、余程の馬鹿じゃないと無理な話だ。


「だったらなぜ金を貸すのですか!」

 俺も正直疑問だった。


 貢献するから金を貸すというのは一見真っ当な理由に見えるが、いくら信樂の子といえど今まで碌な働きを見せていないのだから大きな投資であることは間違いない。


「それは……私が信樂君のファンだからだよ」

「……あ、清衣の言ってた待ってくれてるお客様って」

「はぁい、街長さんですぅ」

 確かに本が好きだと言っていた記憶があるが、まさか自分の本を好きでいてくれるとは。


 白髪の頭を掻いて照れ臭そうにして二冊持っていた本のうち一つを見せる。

 その本は茜が持っていた本であり、俺が初めて書いた本。

 いわゆる主人公が――


「ロマ男という主人公の物語でね」

 場が一度静まり返る。

「え、街長、今なんと?」

「ロマ男という男が主人公で」

「ぷ、ぷぷぷ」


 清衣の笑いにつられるようにまた一人、また一人と笑いだす。

 まるでその名前がダサいとでも言いたいかのような、抑えたいけど抑えきれない溢れ出る笑いが場を満たした。


「ど、どうして笑うんだ。俺は真面目に考えて!」

「お前はネーミングセンスがないんだな、ククク」


 先ほどまであんなに怒っていたというのに笑いだす彼は一体何なのか。

 それらを纏めるように大きな声を街長が出す。


「名前は、確かに少しだけダサいが、ロマ男のロマン……ふふ……ロマンは目を見張るものがあるのだ」

 今笑ったよな?

「だから今後の期待を込めて、金は貸す」


 言葉に迷いも、偽りもなく。ただ切実に俺へ投資しようとする街長の姿はどこかの代表に似ていた。自分の信じるものを信じた挙句に死んでしまった彼女。

 だから俺も嘘は付けなかった。


「街長、俺はまたあなたの傷を悪化させてしまうかもしれません。ですが、そこでどうしても救いたい人がいるんです。だから約束します。きっとその傷を完治させて見せる」


 ひるむことなく、強く頷いた。


「当然だ。“きっと”じゃない。絶対に完治させてみなさい。それが君に任せた仕事なんだ。そして帰ってきたら働きながら本を書いて私を楽しませるんだ。信じてるぞ、信樂楼」


 紐でまとまった何十枚もの紙は、俺が見たこともない程の大金。

 それが俺への期待だと受け取り、清衣を見た。


「俺にありったけの本をくれ」

 場の視線を一気に集めたのは言うまでもない。

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