第21話 真実
小さな部屋。
今までいた世界に比べるとあまりにも小さく、今まで自分が住んでいた家。
本棚は壊れ、木くずを地面に散らすも山のような本は部屋になかった。
同時に掴んだと思った勝利もなかった。
「戻った、のか」
俺はすべてを失って、大事な仲間を救えずに、戻ってきてしまったのか。
ダメだ。そんなの納得できない。あれは嘘だ。きっと何かの夢だ。
しかし、楼の右手には銀色のネックレスが握られていた。
「夢じゃ、ない……そんなの、わかってる」
何かを変えなきゃいけない。この部屋に本がなくても、あれだけはあるはず。あの本だけは消えずに残っているはず――
「あった」
一冊床に落ちていた本は『グラティア』
楼はすぐさまそれを手に取り、結末を見る。
変わってしまっては嫌だ。
あんな結末に物語が変わってしまっては――
「あれ?」
そんなはずはない。
だって俺が今まで一緒にいたのは茜で……
どうしてこの物語の視点は茜じゃないんだ。
――責人の掴んだ勝利は多くの犠牲と、多くの平和をもたらした。
「待ってくれよ。だってこの物語は」
渦巻く思考に答えは出ている。だが認めるわけにはいかない。
そんなことあってはいけない。茜が嘘をつくはずがないんだ。
「茜は主人公なんだろっ‼ どうして敵になってるんだよ」
これはきっと何かの間違えで……
「ワームを倒していないから……いや、俺が改編してしまったから……この物語の主人公が変わってしまって……」
「違うわ」
歪んだ扉が不快な音をたてて開く。
「グラティアは最初から与野責人が主人公よ」
智佳は現実を叩きつけた。
思い返してみれば合点がいくこともある。最後の戦いに向けての会議がシナリオにならなかったこと。そしてシナリオが始まるのは、責人と対面するときだけだったことも、敵だから焦点が違ったという事なのだろう。
俺にだって気づけたはずだが、そんなこと信じたくない。
「茜は主人公で……あんな結末本当は」
「征條茜は死ぬことが決まってたの。だから改編されないよう私たちは追ってた」
「ッ‼ じゃあどうして俺を」
「物語を変えられるのは外部の存在だけだから……最初からワームを倒す気なんてあの子にはなかったはずよ。きっと楼が変えてくれればって思ってたんじゃない?」
「ふざけんなよ」
あんな顔して言ってた言葉全部嘘だって言うのかよ。
俺は茜の仲間だと真剣に思って……
「やはり楼君は知らなかったのか」
「……知らなくてよかったのよ。知っていたら物語が変わってしまったかもしれないわ」
「そうしたら僕たちと敵対することになっていたかもしれないからね」
ずかずかと狭いトレーラーハウスに入り込んできた二人。仕事を終えて伸びでもしたいと言いたげな声。だが、俺が悲壮を見せるからそうもいかないのだろう。
「物語は何一つ変わっていないのか?」
「……そうね。ワームの改編も起こらず何も変わらなかったわ」
「原本通り、征條茜が死んで派閥のわだかまりがなくなったから両派閥とも幸せになっているはずじゃないかな?」
言っていたじゃないか。茜もこの結末を……自分が死ぬことだけを隠して。
俺を利用して変えようとしていたんじゃないのかよ。
「だったらもっと俺を利用して――」
「できなかったんだよ」
バートンの眼差しが俺をまっすぐ捕らえる。
できないって、なぜだ。
俺を使って変えれば良かったのに――何言ってんだ。
俺は何も変えられなかっただろ。
そうだ――
「無力だったからか――」
「それも違う」
食い気味に答え、ゆっくり続ける。
「僕らが最初会った時、征條茜は明らかに誰かを利用するつもりだった。それが楼君だったわけだけど、最後には彼女、自分で改編しないって約束したんだ」
死ぬ運命に抗おうとしていたというのに、それじゃ諦めたみたいじゃないか。
だったら最後まで俺を利用した方が――あぁ、できなかったんだ。
「最初にあった彼女、そして楼君と一緒の彼女、僕には別に見えていたよ」
それじゃあまるで俺が……そうか。
「俺が、仲間だから」
「そうだと思う。僕たちに出会う前に何があったのか知らない。でも、楼君は征條茜にとって、もう道具じゃなかった、そう見えたよ」
「この物語で彼女はいつも一人だったの。でも楼がいた。だからきっと居場所になっていたのよ」
俺が……居場所に……
俺は確かに茜に言った。味方でいるって。
でも、本当にそれだけで?
「味方なのに、俺は何もできなかったっていうのに」
「違うわ。本来の物語なら幼馴染の与野責人に殺される悲惨な終わりだったのよ。それを違う形にして、居場所にもなって死を悲しんでいる。楼が何もできなかったなんてことない。征條茜の死を幸せな最期に変える、十分過ぎる働きをしたのよ」
幸せ? 死ぬことになったというのに。
物語はハッピーエンドじゃないんだ。こんなフィナーレは幸せだなんて言えない。
「あと少し、あと少しで手を掴めたっていうのに……どうして救えなかったんだ!」
「……物語の進行は絶対。あの時、楼が改編をしたのは一部だけだった。だから物語の修正力で塔から落ちることになったの」
「なら、俺が全部改編していたら!」
「できないね。楼君が能力を使った後、本だった紙が落ちていただろう。つまり、改編をする能力の代償は言っていた通り本の消費だったわけだ」
「でも、俺はまだ戦えて……」
バートンは壊れた本棚もとい、木板を蹴って言う。
「君の本はこの部屋にもうないだろう? だから簡潔に言おう。楼君の能力は限界だったんだよ」
限界……やっと得た能力なのに、あの改編で全部使っていたってことかよ。
俺は茜を絶対救うことができなかったんだ。
最初からダメだったんだ。俺はやっぱり無力だから……
「助けたかったんだ……でも俺は戦えなくて……やっぱり改編する力だけじゃ……でも、何か方法が……あああクソ‼ じゃあどうしたら俺は――」
楼の言葉には一種の狂気じみたものがあり、それは部屋の空気を闇に染める。
だからチカ姉の手は救いの光に見えた。
「もし楼が辛いならこれを使って」
智佳が渡した小瓶には薄い赤色の液体が入っている。
「……これは?」
「記憶を消す薬よ」
俺にあの物語すべてを忘れることを勧めているということか。もちろん悪意がないのはわかっている。あの世界の記憶がどれだけ素晴らしいものだったとはいえ、今の俺はその記憶が胸を引き裂くほど苦しい記憶になっているのは事実だ。
そして二人にもわかるほど酷い顔もしているのだろうから。
「薬の効果と安全性は特殊改編保安局が保証するよ。この仕事をしていると潰れてしまう人が多いから頻繁に使われている薬で心配はない。後のことも僕たちがやっておく」
「楼は元の生活に戻るだけで何一つ変わらないわ」
この薬を今すぐ使いたい。今すぐ使って楽になってしまいたい。
だが、できない。
俺は元の生活に戻ればまた惨めな思いをするだけなんだ。
また比較して、訳もわからぬロマンだけを求め続ける生活だなんて戻れない。
この街でだって、追い出されるのがオチだ。
「使えない」
茜を忘れてしまったら誰も味方がいなくなってしまうじゃないか。
仲間のことを忘れるなんてそんなカッコ悪いことするわけない。
使ってしまっても茜を忘れることなんてできないだろうから。
それには元はと言えば……
「俺が諦めさせたんだ」
今でも思い出せる。
助けてくれと言った時、見せたあの顔。
あの時見せた覚悟はこういう事だったのだ。
「俺を助けるために、自分の可能性を諦めさせたんだ」
「――後悔しているのよね?」
「? ああ、当たり前だろ。だって――」
「ならどうして、今、笑ったの?」
「笑った?」
そういえば俺は今どんな顔をしているのだろうか。俺は笑っているのか?
こんな状況なのに……
「ええ、笑ったわ。おかしいじゃない。だって今の楼は悲しんでいるのでしょう?」
そうだ。俺は悲しんでいる。
じゃあどうして笑ったんだ。本来悲しんでいるのなら――
「壊れてる。楼は壊れてるのよ!」
自分の手のひらで顔を触れて濡れていることにようやく気付く。
「泣きながら笑っているなんて壊れてる‼」
なんで笑ったのだろうか。
いや、そうか……わかっていたから笑ったのか。
確かにこんな壊れてるようにしか見えないだろう。
だが、きっとそうじゃない。
俺は最初から諦めるつもりなんてなかったんだ。
涙を拭って顔を叩く。その気なんてないのに絶望なんかしていた馬鹿な自分への躾。
「チカ姉、悪い。確かに今の俺はおかしかった」
「今のって……まだ――」
「いいや、大丈夫だ。大丈夫、答えは出たから」
微笑み、答える。涙は拭った。もう壊れたようになど見えないだろう。
こんな時に壊れてなどいられない。やることは決まったんだから。
「茜は俺の仲間なんだよ。そんなあいつは物語では敵だったのかもしれない。でもな……茜の正義は本物だったんだ。誰も犠牲にしないって不可能なことを本気で信じてるんだ」
「何が言いたいの」
「誰も犠牲にしないって言ってたくせに、自分を犠牲にしてどうすんだって思わないか?」
敵なら敵らしくすればいいってのに、俺を救うために自分の正義すらも犠牲にしてしまうなんてふざけてる。
俺が助けてなんか言ったばっかりに――
「今度は俺が助けるんだ」
「そ、そんなこと認められるわけないじゃない」
焦慮に駆られる智佳と笑みを浮かべるバートン。
「認められなくても俺は行く」
「私が行かせない。征條茜を救うということは改編するってことなのよ!」
「だとしても行くんだ」
俺は自分の右手に握られるネックレスを見せる。
「俺はこれを渡されたんだ。助けてってことだろう?」
たまたま掴めただけかもしれない。だが俺がつかめたのはある種、助ける運命があったんだろうな。そうじゃなきゃ何も掴めなかっただろうから。
「不可能よ‼ もう物語は終わったの。そもそもそれじゃ……」
チカ姉が一瞬視線を逸らしたのを見逃さない。
これで確信した。おそらく俺の推測は当たっている。
「行けるんだろ?」
「行けないわ。改編阻止は一回しかできないって言ったでしょう?」
「ああ、言ってたな。それと『完璧な準備をして取り組むくらい失敗は許されない』とも言ってたな」
自分の言ったことを思い出したのか黙り込む。
「それで失敗が許されない理由は『物語に存在を染められないといけなくなる』からだったか?」
「行かせない。物語に染まるってことがどういうことかわかってるの⁉」
「わかるわけがない」
俺は特殊改編保安局みたいなプロでもなければ、巻き込まれただけの一般人。物語の改編を阻止するなんて大層なこと掲げてもいなければ、それに伴う危険すら知らない。それにも関わらず物語の結末が納得いかないから改編しに行こうなんて子供が駄々をこねているようにしかチカ姉には見えないだろうな。
「でも行かなくちゃいけないんだ」
「いいわ。教えてあげる。物語の世界にもう一度行くってことは同じ結末は迎えられないのよ。物語が終わるトリガーを見つけなくちゃいけないの。だからそれができなければ永遠に物語世界に閉じ込められたままなのよ」
今回のトリガーは茜の死だった。
そして茜が言っていた物語の結末は、茜と責人のわだかまりの解消だ。
解消を無理やりさせたのが死ぬことなら、方法はある。
成功するかわからないが――
「当てがある」
「できないわよ。不可能なの‼ 次に入れば時間が経つごとに物語に染まってしまう時間制限付きで……」
「ワームがいるんだろ?」
もちろん俺だけで行けると思ってない。だから二人には巻き込まれて貰う。
仕事はきちんとやり遂げてもらわないといけない。
「ワームの討伐をしてくれ」
「ッ‼」
「それは……僕たちもってことだよね。でも僕たちとしては物語が終わった以上、ワームが悪さをすることはできないから放置でも構わないんだよ? むしろ止める側で――」
「だが、俺がまた入っちまったら物語は終わってないだろ? 俺を捕まえなきゃな?」
ニヤリと笑うバートンはその答えを待っていたと言わんばかりに大げさなリアクションを取って敗北を演じる。
「あぁそしたら僕たちも行かなくちゃいけないのかぁ。せっかくこれから休暇だと思ったのになぁ?」
「何言ってるの。行かせなきゃいいんじゃない」
まったくチカ姉は譲る気がないってことか。
「不可能なの。もう諦めて」
「不可能なんて……」
あれ? そうだ。不可能なんてどうだっていい話だよな。だって俺のロマンがそれを否定してしまったら……
ああ、そういうことだったのか……俺は信じてたんだ。
最初から自分のことを。
越えられないチカ姉という存在を。
不可能を。
そして不可能を越える物語を……信じてたんだ――
「ふふ、ふははははは」
「そんなに面白いことでもあったのかな? そんじゃ僕も、ふははははは……うッ」
「あんたまで笑うんじゃないわよ。頭おかしくなるわ」
やっと見つけた俺のロマン。
俺の信じるそのロマン。
「俺は信じてるんだ。物語みたいに不可能も可能になるって、自分も叶うんだって、馬鹿みたいにそんな幻想を真剣に信じてたんだ。信じることが俺のロマンなんだ」
自分の鼓動が強く感じる。
俺の背中を押すように、力を滾らせるその血流が体を熱くした。
「だから行くよ。それが俺のロマンだから」
「そうか、そうか。楼君のロマンなら仕方ない。まだ物語は定着してないから、もう一度今から行くなら間に合うからね」
「ちょっと! 勝手に進めないで‼」
「しかし、戻るとなると一つ問題があるんだ」
未だ反対するチカ姉を置いとくにしても、バートンの言う通り問題がある。
俺があちらの世界に行くという事は、結末を変える必要があるということ。それに必要な終幕のトリガーに当てがあったとしても、必ずぶつかる問題が俺の能力使用の問題だ。つまり、俺の能力の対価として消費する本がもうないという事。
「どうやって本を集めるか」
「見たところによるとこの部屋に本はなさそうだ。となると、楼君の能力が使えないのだが、それでは困るんだよね」
「ああ、俺の改編で物語自体を変えないと再び茜が死ぬ運命を辿ることになるから」
物語の修正力は侮れるものではない。
修正によって殺された茜は名も知らぬ人によって殺されたのだ。つまり責人ではなくても結末が同じならば、誰にやらせても良かったと認識できる。
だがそれも俺の改編なら阻止できるはずだ。
「わかっているならいいんだ。でも楼君に今から本を集めるなんてことできるのかな?」
バートンは俺の味方をしてくれているのかチカ姉の味方をしてくれているのか、一体どっちなのかはっきりして欲しいが、言っていることは正しい。
この世界で嗜好品である本が貴重である以上、入手する手段は限られるうえに難しい。
それでも方法がないわけではない。
「やってみせる」
「だったら僕たちは待っているよ」
「ちょっと待ちなさいよ。私はまだ認めたわけじゃ」
「頼む。チカ姉。俺に協力して欲しい」
バートンは気まぐれで俺を助けるようなことを言っているが、二人が特殊改編保安局の人間であるという事は俺を助けることが任務放棄であることは明白。物語世界に行くための道具だって私的利用をしたことと変わらない。
「俺の心配だけじゃない。チカ姉だってバートンだって本当はやってはいけないことだって理解しているんだ。でも、俺は行かなくちゃいけない。あの結末に納得できないんだ」
「やめなさい」
「いいや、やめない。仕事が俺を助けるのを邪魔するって言うなら、俺が勝手に行ったのを止めるためにしたことだって言ってくれてもいい。だからどうか、俺を助けてくれ」
頭を下げた。茜が皆にしていたように。
あの世界でもし結末を変えようとするなら俺の力だけでは足りない。
改編能力を得たとしても結局戦闘能力で劣っていることには変わらいないのだから。
だから二人の協力は必須。
ここで折れることは諦めることと同義なのだ。
「楼……もう戻れなくなるかもしれないのよ」
「ああ」
腹の底を冷やすような冷たい声。
「ワームが動いて街長がこの街を壊すかもしれないのよ」
「ああ」
大きすぎるリスクなのは承知。
「変えられないのかもしれないのよ」
最高の結末を求めた結果、最善が最悪になる可能性だってある。いいや、その可能性が濃厚なのだ。だとしても、僅かな希望があるなら――
「変えて見せる」
俺は信じたいんだ。
「はぁ……しょうがないわね」
「ありがとう」
その優しい声が、ずっと追ってきた背中をとても近く感じさせる。
「まったく、見ないうちに成長したんだから……」
智佳の呟きを楼は聞き取れなかった。
やってやるんだ。理想への狼煙を掲げ、今度こそ救って見せる。
そのためにまず、俺は本を得るため、説得しなければいけない。
それが物語でもラスボスなのは単なる偶然か。
しかし視界は開けた。後は突き進むだけ。
「俺のすべてをロマンにベットする」
今すぐ行けば変えられる。
早速準備に取り掛かる二人を尻目に、決意を胸に家を飛び出した。
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