第17話 ロマ男

 辿り着いた先は四角い石膏の倉庫で、外観は緑に覆われ、庭は自由気ままな雑草が生い茂る。入り口までの道が整備されていないことから本当に掃除がされていない身の毛もよだつ汚部屋だと一目で理解した。


 茜は俺に本気で掃除をさせるつもりらしい。


 正直な話、掃除をするくらい構わないのだが、掃除にも下準備が必要だということくらい知っていてほしかった。明らかにこの建物は換気もされていないし、清掃用具すらもここにあるようには見えない。


「なあ、本当にここを掃除するのか」

「あんなに見られたら静かなところで掃除する他ないじゃないですか」


 まあそうなのだが、二人でやるには大きすぎやしないか。

 一軒家くらいの大きさで軽い掃除というより大掃除以上の仕事量のように思える。

 これは寝られそうにないな。


「とはいっても話をするのが本命で、掃除は二の次です。明日戦おうっていうのに掃除していたから勝てませんでしたじゃ笑えませんからね」

「ごもっともで」

 ふと思い出す助けを求める自分の姿にこそばゆいものを感じて目を逸らす。

「ですが、悩みどころですね」

 棚で見つけたのか、茜はホコリはたきを手にすると、ポケットから出したであろうハンカチを口に当てて言った。だから少し声がこもっていたのだが……


「以前も一緒に戦える方法を考えると言ったものの、どうやって戦いましょうか? そもそも本当に楼さんは街長さんである責人と戦えるのですか?」


 俺になど構うことなくはたきで箱から出した本をはたきだしたのだ。

 そんなことすれば、どうなるかなど考えるまでもない。

「お、おい、ゴホッ……ホコリが全部俺の方に来るんだが、ゴホッ、こういうのは窓を開けてやるんだよ」


 きょとんとした茜は本当に何も知らないのか、俺を見て首を傾げている。

 自分がおかしなことをしているなんて夢にも思っていないようだ。

「茜は掃除もしたこともないのか」

「ええ、すみません。掃除はお手伝いさんにいつも任せていたもので……」

「お手伝いさん?」

 本をがさつに棚へ押し込む茜は続けた。

「こんな世の中になる前はお手伝いさんがいましたし、戦うようになってからも私は自分の部屋など持っていませんから、掃除をする機会がなかったのです」


 なるほど、つまるところお嬢様といったところか。俺の世界ではお手伝いなんて人はいるわけないが、この世界でも稀だろう。

 余程裕福な家庭に生まれたんだろうな。茜がずっとこんな話し方をしていた合点もいく。


 そうなると何も考えず箱から出した物を棚に押し込んでいく掃除の仕方は一旦やめてもらいたいのだが……そのテキパキと働く姿は止まりそうにない。


「わ、わかった。俺がやるからそこは任せてくれ」

「なるほど、私がやるより楼さんの方が効率がいいと。わかりました。お任せします」


 すんなり譲って貰うも、他に手を付けようとする茜を見たら俺もゆっくりしている暇はない。これ以上やることを増やされたら掃除どころじゃ……


「違ああぁぁう!」

 俺の雄たけびが建物に響く。

「まったく楼さんは学びませんね。そうやって叫ぶとまた注目を集めてしまいますよ」

「そうじゃないだろ。俺たちは掃除をメインにやりにきたわけじゃない。話し合いをしに来たんだ。俺がどうするか、話し合うために来たんだ」

「あ、そうでした!」

 ポンと手を叩く茜にため息が洩れる。

「それで、戦う手段、だったか」

「ええ、楼さんじゃ責人に勝てるなんて思えないので」

「ストレートだな」

「事実ですから」


 俺の胸に何かがグサッっと刺さった気がするのだが、まぁいいだろう。

 だが俺にも能力がないわけではない。

「茜は俺のすり抜ける棒のこと、覚えているか?」

「覚えていますけど、あれで戦うのは無理があるような」

「実は茜と責人が戦っている時に俺を襲ってきた奴を斬ったんだ。もちろん本を消費したが、そいつが一瞬記憶を失ったように冷静になったんだ」

「……」


 ジト目で俺を見るが、嘘を言っているわけではない。


 いや、しかもこれは嘘を疑う顔じゃないな。呆れている顔のようにも見えるが、能力がないと思われていた棒に能力があったのだ。


「殺意が高い敵だったのに、斬ったら逃げ始めたんだぞ。これが使えない能力だって切り捨てるのは……」

「楼さんのお気持ちはわかりました。ですが、それだけの為に本を消費するのですよ?」

「それは……」


 仕方ないで片付けたくない問題だが、仕方ないことだろう。

 それでロマンが見つかるのであれば多少は我慢でもしてみせる。

 茜は気疲れしたように片付ける途中だった本を抱え、窓枠へ腰かけた。


「それよりもいい方法があります」

 これが唯一の答えだと信じてやまないその姿に嫌な予感を感じるのだが、耳を傾ける。

「お姉さんに協力してもらいましょう」

「却下」

「どうしてですか!」


 どうしても何もないだろう。あれだけ喧嘩をして帰れと言われたのに協力なんかできるわけがない。しかも、協力なんてすればチカ姉に頼らないと結局できないんだと自分でいっているようなものだ。


 それに加えて――


「それだけはできない。第一、協力すれば結末は変えられないままだろ。それを今になって協力なんてできるのかよ」

「うぅ、で、でも、できるようにします。きっと、事情を話せば楼さんのお姉さんである以上、話くらいは聞いてくれると思うんです」

 そんな甘い考えが通用するとは思えないが、俺としての問題はそこじゃない。

「だとしても、やっぱり俺はできない」

 呆れるように本を開いて読み始めた茜はため息交じりにつらつら言葉を並べ始める。


「前にも言いましたけど、楼さんはずっとロマンだって言うくせにお姉さんのことだけを気にして、そんなんじゃロマンを見つけるなんて不可能だと思うんです」

「だが、チカ姉を超すことが俺の目標で」

「だったらお姉さんを越えたら、それは全部楼さんのロマンなんでしょうか?」

 怒ったように音をたて本を閉じる。

「違うでしょう? 楼さんは本で熱く語っていたじゃないですか」

「本で?」


 茜を俺の本を読んでロマンに魅入られたなんて言っていたが、正直あまり書いた当時のことも、書いた内容のことも覚えていない。なにせ年単位で前の話だ。

 人差し指を立て言い聞かせるよう、取り出した俺の本を読み始める。


「自分だけのロマンを信じてやり抜くことに意味があるんだって……ぷ、ふふふふ」

「……なぜ笑う」

「いやだって、主人公の名前が……」

「名前?」

 あの時は主人公の名前を何にしていたか……確か――


「ロマ男」

「ふふ、あははは」

 完全にツボにはまったという笑いだ。腹を抱えて涙を浮かべる茜を見ていると、なんだか馬鹿にされているような気がしてならない。確かに少し、ほんの少しだけダサいかもしれないが、俺が一生懸命考えた名前であって……


「そんなに笑うことないだろ」

「だって、ロマ男ですよ。ロマ男。三秒で考えた名前じゃないですか」

 なんて失礼な奴なんだ。

「ロマンを求める最高にカッコいい男の名前にしようと思ってつけた名前なんだぞ」

「にしても、他の名前があったでしょう。楼さんってネーミングセンスがないんですね」

「あーもう。いいだろ。ネーミングセンスなんてどうでもいいじゃないか」


 そもそもロマ男は俺の処女作なんだ。今の俺はセンスが磨かれているに違いない。


 からかわれながらも、不満を晴らすよう強くホコリをはたいて棚の整理をする。こんなことしている場合ではないが、こうでもしていないと不満を垂れていつまで経っても話が進まないのだ。


「結論は変わらない。俺はチカ姉と協力なんてする気ないんだ」

「ですが、これしか方法は……」

「さっきも言ったが、茜だって協力できないはずだろ」

「それは……」

「チカ姉が話と聞いたところで何も変わらないって茜もわかっているだろ」

 苦虫を嚙み潰したような顔で茜は俯く。


 根本的な問題として、協力してしまえば結末を変えられなくなるんだ。元々の予定を覆すことはできないはずだ。だからこれは俺だけの問題じゃない。茜の問題でもある。


「組織と協力すれば結末は変わらないんだろ」

「……そうです。ですがよく考えてみたんです。前提としてこの世界は変わっている最中の物語だから、ワームを討伐するだけで結末は戻るかもしれない。だからっ……ワームの存在こそが結末を変えているんじゃないかって……そもそも、ワームを倒せなくては意味のない現状では、協力した方が都合いいんです。何より弱い楼さんでは心もとないでしょうしね」


 手の平を返したような答えに納得いかない。短時間の思考で覆していいような考えであるとも思えないのだ。

 何より、俺が納得なんてしてしまえばチカ姉と協力することになるのだ。俺の問題だけ見ても、それだけは避けなければいけない。


 しかし、何も案が思い浮かばない。

 茜の言っていることは間違いでもないのだ。案が浮かばなければ、協力するのはもはや必至。ワームの討伐が俺の仕事なら、チカ姉の仕事も同じくワームの討伐だから。


 でもそんなことをすれば……

「楼さん」

 呟くような呼びかけ。


「楼さん自身はお姉さんを越えるってずっと言ってますけど、別に越えなくてもいいじゃないですか」

 当たり前のごとく真面目に言う言葉に悪意も諦めもない。ただ、選択肢として提案しているだけの言葉。


「ダメだ」

「比較されるのが嫌なんですよね」

「……」

 楼の無言を是と取る茜は俺の本を胸に抱いて言う。


「最初から言ってますが、私はお姉さんなんかと比べません」

「だが、茜は――」

 最初から変わらない事実。そしていつか訪れる結末。今は納得できても後で必ず同じこと思う。あんなことしなければって。


「わかってます。私は物語の登場人物に過ぎませんから」

 茜とは必ず別れがある。

 だから茜を居場所にしてはいけない。


「だからロマンが必要なんだ。変わらない自分だけのロマンが」

 それを求めてこの世界にやってきた。

 ワームを倒すのも目的の一つだが、俺が掲げたこの世界での目的は討伐ではなく、ロマンを見つけることなのだ。ずっと追ってきた背中を今立ち止まるわけにはいかない。


 俺の気持ちを見透かした茜がキッパリと言い切る。


「いい加減お姉さんを見るのをやめましょう」

「それができたら――‼」

「お姉さんのためのロマンじゃない‼ 楼さんのためのロマンなんです。絶対にこんな使い方しちゃダメです。楼さんのロマンは、逃げる手段じゃないでしょう?」

「――」


 わかっていたことだ。気づかないふりをしていただけで、これがロマンなんかじゃないって……ただ、チカ姉と比べられるのが嫌だから自分だけの何かが欲しかっただけ。


 だから物語に逃げたんだ。

 物語なら何でも許される。何でも叶う。

 では逃げてしまった俺にロマンはもう、必要ないじゃないか。


「ロマンを捨てちゃダメです」

 そして場違いにも明るく振る舞った声で俺を称え始める。

「楼さんはロマンなんてものの為に命を懸けて私を助けに来てくれた。力がないのに助けるって言ってくれた。それがどれだけ凄いことかわかってください」

「何言ってるんだ」

「もっと自分を褒めてください」

 まったく理解ができなかった。


 自分を褒める? 散々比べられて、何もできないんだって言われていたのに自分を褒めるなんてことをすれば、立ち止まったも同然だ。


「俺は褒められるようなことなんてしていないんだ」

「していますよ。だって楼さんは誰よりも自分を信じているじゃないですか」

 胸に抱いた本に視線を落として続ける。

「この本でも、ロマンを信じてやり抜くんだって書いてあるんですもん」

 だが、そのロマンがわからないから困ってるんだ。

 ロマンがあれば信じたいさ。きっと俺にとって大きな力になるだろうから。


「何が言いたいんだよ。俺はそのロマンを見つけるためにここに来たんだろ。それが見つからないから今こんなにも……」

「きっと、それが楼さんのロマンなんですよ」

 俺の……ロマン?

「それは、どういう――」

 窓から吹き込む風が部屋のホコリを飛ばし、髪をなびかせた茜が言った。

「ロマンを信じること」

 それを瞬時に理解することはできなかった。けれども俺の中で何かが綺麗にハマった。

「ロマンを信じることが、俺のロマン……」

 楼の言葉に注意を添えるよう茜の言葉が補足する。

「これは答えじゃありません。私にだって信じるロマンの正体はわかりませんし、知っていても言わないって約束しましたから。ですが、なんとなく楼さんに必要なことは、私に必要だった、その言葉に近いものがあるんじゃないかって思ったんです」


 少し照れくさそうにそっぽを向いて優しい風を浴びる茜。

 正確な答えじゃないのかもしれない。なのに必要としていたものが胸に収まっただけで消えかかった焚火に薪がくべられた気がした。


 そして答えが出た。


「じゃあ俺はもうチカ姉を追わなくていいってことなのか」

「自分だけのロマンを持っているじゃないですか」


 このロマンは自分のものでいい――そういうことなのだろう。

 そうか、もういいのか。

 ずっと背負ってきた重荷をやっと下ろせる。

 だが、やっぱり茜の問題が気がかりで――


「茜はそれで納得できるのか?」

「じゃなきゃ言いません」

 すると目の前が開けた気がして、自ずと答えが口から零れた。

「明日にでも謝らないといけないな」


 楼は手に持つ本を棚に片つけながら息を吐く。

 そして協力するなら恥ずかしいところは見せられない。

 そうと決まれば、こんな掃除に時間を掛けるわけにもいかないだろう。


「さっさとここを片付けよう。茜はそこの本を並べてくれ」

「任されました!」


 茜が持っていた俺の本とは別の本をひょいと棚に投げ入れる。それを注意する間もなく本をテンポよく並べ続ける姿は学べば何でもこなせてしまうチカ姉と姿が重なって思わず心の声が口に出る。


「チカ姉みたいで嫌いだ」

 それを機にも留めず、からかう声を出す。


「私は好きですよ」

「俺はそういうところが嫌いなんだ」


 こんな姿を見てため息を洩らすも、いつになく軽くなった気がした。

「さあ、明日の仲直り大作戦のために頑張りますよ」

「なんだその作戦は」

「仲直り大作戦。そのままの意味です」

「人のこと言えるネーミングセンス持ってないじゃないか」

 その日、ずっと使われていなかった家では笑いとホコリが舞い続けた。

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