第16話 痴話喧嘩

 この基地で一番大きな道は、明日に向けて人でごった返していた。


 木と石でできた建物はビルと呼べるほどに高く、樹冠による屋根は日光による光を程よく遮るが、やや落ち始めた日のせいか薄暗くなっていた。ビルを跨ぐようランタンが多くつるされているが、それも点灯していない事を考えると自然光から人口灯に切り替わる微妙な時間だと察せられる。


「顔が暗いですよ。明日に備えて今日は何を食べましょうか」

「ああ、軽食でいいんじゃないか」

 自分の声が低いのを感じて、顔をしかめる。

 これもきっと基地が薄暗いせいだ。


「軽食だなんてダメですよ。私は楼さんと話さなければいけないことがあるんです」

 胸を張って不満を露わにする茜に楼は目を細めた。

「話なんかあるか?」

「ありますよ。私、責人が楼さんの街長だってこと聞いてないんですよ」


 責めるような茜はそれでも明るく振る舞っているように感じる。

 確かに茜に話していなかったかもしれない。だが、別に話したとて何か変わるわけでもない。変わるのは俺の認識だけ、姿形は街長だが、責人という茜の幼馴染で敵であることに変わりはない。


「別に街長だろうが俺は躊躇しないで戦える」

「そうではなくて、私は話して欲しかったんです」

 なんだか鬱陶しい。

「何を話せばよかったんだ。話したところで、何も変わらないだろ!」

 荒げた声に注目が集まる。


 こんな人であふれる大通りで話すようなことでもなかった。でも俺は悪くないよな。だって、俺は最初から話したくなんか……


「変わりますよ。話すことだってたくさんあります」

 楼の声に臆することなく、凛と立ちふさがる彼女は紛れもなく代表だった。

 そして――


「仲間ですから」

「――ッ‼」


 気を使ってくれていたのには気づいていた。

 それでも受け入れるわけにはいかなかった。だって、申し訳ないじゃないか。

 せっかく止めてくれた言葉を俺は耐えきれず言ってしまったんだ。


「……俺にそんな資格ない」

「ええ、ないでしょう。私の言ったこと全部忘れて、頼ってもくれなかったんですから。そんな楼さんにお菓子を驕るなんて言ったことすごく後悔しています」

「だったら……」

「それでも私は楼さんを選びました。そして楼さんも答えてくれた。だから私も仲間であることを選びます」


 何を言ってるんだ。

 俺にはそんな資格がないって、茜もそうだと言っているのに、そこまでする必要ないだろう。俺がこのままじゃ責人を倒すことすらできないって、そう思っているのか?


 いや、そうでなければおかしい。


「仲間だからって、どうしてそこまでできるんだ。どうして俺を信じられるんだ‼」

 周りの目など気にしない。気にする余裕なんてない。

 ただ吐き出た言葉だから。


「私を救ってくれたのが楼さんだったから。いきなりこの世界を出て訳も分からず信じていたすべてが作りものだって知って、何もかもが壊れたのに……自分だけのロマンがあれば絶対負けないって言ってくれたから」

「俺はそんなこと」


 茜が俺の胸に押し付けた本は俺の名前が刻まれた本。

「二度も救われているんです。そして仲間にもなれたんです。私の味方になってくれたなら勝手にどこかに行かないでください。苦しいなら私の手を取ってください」


 その時、点いた天井の明かりが茜を照らす。

 チカ姉に手放された価値のない俺の手……それを取ってくれる茜はある種の救いだった。


 掴んだその手は冷たく、俺よりも小さい。

 いいのか? このまま求めてしまっても。

 資格もない、力もないっていうのに。

 それなのに胸が熱くなる。

 わかっている。後は俺が決断するだけなのは。


「本当に頼っていいのか?」

「仲間ですから」


 仲間……そうか、仲間だから。

 この決断が正しいのかわからない。

 それでも――俺は求めているんだ。


「助けてくれ」

「はい! もちろん」


 微笑む茜が覚悟を決めたように見え、その顔が妙に印象的だった。

 それを指摘する寸前――

 二人を中心にできていた円に気付く。


 そして一度冷静になってしまうと胸から熱い何かがこみ上がってきてしまう。

 俺たちの顔は真っ赤に染まり、すぐさまその場を去ろうと画策した。


「あー、楼さんって掃除がお好きでしたよね」

「ああ、そうだな。汚いのが大嫌いなんだ」

「それなら部屋の掃除を手伝ってくれませんか?」

「も、もちろんだ。早く行こう」


 早口芝居は意味を成したのか知る由もないが、注目を集めつつも脱出に成功したはずだ。

 しかし当然、俺たちの羞恥を消えるわけでもなく……


「楼さんがあんなところで叫ぶからですよ」

「茜だって構わずそこで話し続けたじゃないか」

「あんな姿見てほっとけません」

「ていうか掃除ってなんだよ。もっとマシな言い訳あっただろ」

「それなら楼さんが何か言ってくれたら良かったじゃないですか」

「あーもう悪かったって」

「だったら献身的な掃除でも見せてください」

「ああ良いとも、完璧な掃除を見せてやる」


 これまた二人の会話を聞いた街の住民が代表の痴話喧嘩などという不名誉な話を魚に酒を飲んだというのだからあまりに濃い思い出のページとなってしまった。

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