第14話 再会

「チカ姉……」


 いつも優しい大きな竜胆の瞳。胡桃色の髪を後頭部で結んだ髪型は昔から変わっていない。だが、一本の白いラインが入った髪は五年前まではなかった。お洒落でやっているのだろうが、俺には違和感でしかなかった。


「楼……なの?」


 驚き見開く瞳。信じられないと開いた口は開いたまま。まるで、生き別れた家族にでも遭遇したようなリアクションを見せる。まさしく驚嘆といえよう。


「ああ、そうだよ」


 だが、なぜそんな反応をチカ姉がするんだ。

 その反応は会いたくても会えなかった人間がする反応だろ。

 我を取り戻した智佳は楼に駆け寄り、抱き寄せる。


「どうして、どうしてここにいるの」

 どうして? いや、何を言っているんだ。

「どうしては俺のセリフだろ」

「何言ってるの。ここがどこだかわかってるの? 物語の世界よ?」

「そんなこと知ってる。俺が来たくて来たんだから知ってる」

「だったら、どうして……この腕どうしたの!」

 包帯を勝手に触れられることが嫌で智佳を押すようにして無理やり離れる。


 その姿を見る茜ともう一人の男からの視線は気にならなかった。ただ、自分でも想像できなかった暗い感情だけが胸で渦を巻き暴れている。


「腕の怪我なんかどうでもいいんだよ。そんなことより、もっと何かあるだろ」

「どうでも良くなんかないわよ。唯一の家族がこんな世界に巻き込まれて、怪我までしてるっていうのに無視できるはずないじゃない」


 ああ、そうだろうよ。でも、そうじゃないだろ。


「どうしてこんな世界に巻き込まれて……まさか征條茜に巻き込まれたのね」

 瞳が茜を捉え、今にも飛びかかりそうに近づく智佳の腕を楼は掴む。

「茜は関係ないだろ」

「あるわよ。だって……」

「俺たち家族の再会に茜は関係ないだろ!」

 叫ぶ楼の声が癪に障ったのか、声音を変える智佳。

 俯く楼は智佳の顔すら見ない。


「家族の再会を喜んでる場合? こんな世界なのよ? 身体が大きくなったからって、楼はまだ子供で――」

「喜んじゃ悪いのかよ。場所なんか関係ないだろ。何年会ってないと思ってんだ。何年俺が待ち続けたと思ってんだ」

「……」

「五年だよ。五年もずっと帰ってこなくて、心配で……」

 黙り込んだ智佳の目を見たとき、自分の身体が熱くなっているのを感じた。

「なんでわかってくれないんだ。俺はずっとチカ姉の背中を追ってきたっているのに、どうしてわかってくれないんだ」

「そうね……悪かったわ。でも私も仕事だったの」

 仕事……元はと言えば、そのために街を出ていったのだ。

「特殊改編保安局」

「彼女から聞いたのね。そう、私はそこで物語が不正に改編されないよう監視と阻止を仕事にしていて、そこの彼がパートナーの……」

「バートンだ。よろしく」

 柔らかい言葉づかいの彼は日本人ではないのは確かだろう。濃い鼠の髪色と短髪である姿は落ち着きを本来は映す。


「具体的に何をしているかを話すことは、できないけど国にとって、世界にとって凄く大事な仕事なの。だからどうしても帰れなくて」

「仕事だから帰れない? そりゃそうだよな。なんたって国に必要とされるくらい栄誉ある仕事なんだもんな」


 ああ違う。こんなことが言いたいんじゃないのに。


「さぞかし仕事が楽しかったんだろうな」


 俺はただ心配だっただけで、ただ会いたかっただけで――

「こんなんなら、会いたくなんか――」


 俺の口に手を当てていたのは茜。


「言いたくないことは言わなくていいんです」


 言いたくなんかなかったさ。それでも言わなきゃ気が済まないんだ。

 爪が食い込むほど硬く作った拳から、血が垂れる。


「ここにいる皆、お姉さんだってわかってます。楼さんがどんな気持ちなのか、そんな顔を見れば誰だってわかります」


 楼の目からは無意識に涙が零れていた。それが積もりに積もった智佳へ気持ちゆえだとわかってしまったから皆は聞き入るしかなかった。

 それでも、痛々しく、溢れ出る感情は楼にとって後に悔いる感情だ。だから茜は止めた。

 呼吸を忘れるほど張り詰めた空気はゆっくり温まり、そして深い呼吸をさせる。


「……ありがとう、茜」

「これくらい仲間として当然です」


 仲間と呼ばれたことが無性に嬉しくて、深く沈んでいた感情が光を求めだす。


「チカ姉。俺はずっと待ってたよ。死んでるかもしれないって思いながら、ずっと独りであのトレーラーハウスで待ってた。どんな仕事をしているのか知らない。それが世界の為、国の為なのかもしれない。でも待ってたんだ」


 智佳は忘れていたものを目の当たりにしたとでもいうように驚く。

 戸惑いも、後悔も、ただ立ち尽くす姿から楼には伝わった。

 だが同時に覚悟を決めた姿にも見える。


「ごめんね。でも私帰れない」

 楼の胸に刺さる言葉は冷たかった。

「そんなに仕事が大事なのか」

「うん。私が頑張らないと世界がおかしくなっちゃうから」


 当然の選択だ。俺に会いたくなかったから帰ってこなかったわけじゃない。俺なんかを選ぶより世界を救う選択をしただけだ。仕方ないことなんだ。会いたくなかったわけじゃないだけマシというものだろう。


 それでも、世界なんかもう既におかしかった。そんなもののために……


「この世界を見ただろ。俺たちの世界はもうぶっ壊れてるじゃないか。食糧問題も、人口の問題も抱えてこれ以上おかしくなんかなりようがないだろ」

「なるのよ。本当はこの世界みたいな高いビルが立ち並ぶ世界だったの。でも、本が改編されただけで世界は荒廃した。もうこれ以上おかしくできない。だから私たちがいるの」


 ああ、そうか。本当にチカ姉は世界を救ってるんだ。

 俺みたいに生半可な気持ちで助けようとしてるわけじゃない。

 楼は血で滲む自分の手を見て理解してしまった。自分のできること、自分の語ること、それらすべてが智佳にとって邪魔でしかないということを。


「だから楼は帰って欲しい。この世界は外部の存在を世界色に染めてしまうの。だから楼は今すぐ帰って」

 だからといって言うことを聞くわけにはいかない。

「帰れねぇよ。この世界には街長がいたんだ」

「街長? 菊輪さんが? だとしても問題ないわ。この世界と現実がリンクしているだけで菊輪さんに何かあるわけじゃない」


 俺は無力だったんだ。現実ではずっと。

 俺だけの力が欲しくて、俺がチカ姉に匹敵するものが欲しくて、ロマンを求めた。


 だからここで引き下がるわけにはいかない。


「街長は最近不審な傷が体にできたって言うんだ。それができた奴はおかしくなって事件を起こすとも言ってた。その問題の解決は俺が頼まれたんだよ」

 楼の言う言葉を真剣に受け取り、顎に手を当てた智佳が相棒のバートンに声を掛ける。


「ねえ、これって……」

「かもしれない。彼がワームに取り付かれたと考えるべきだ」

 何が起こっているのかついていけずあたふたした茜を尻目に考える。

 どうやら二人だけで相談して、二人で解決しようとしているがそうはいかない。もし、街長がワームに取り付かれているって言うのであれば、俺のやる仕事は決まっている。


 そして茜の望む結末の為にも、選択肢などない。

 これはチカ姉を超えるチャンスなのだ。


「俺がやる」

 視線を一身に集めたうえで続ける。


「街長はこの世界で言う責人ってやつを演じてるんだ。それがワームだと言うなら元の予定通り俺と茜で倒すから俺に任せてくれ」

 俺の言ったことが理解できないのか何も発しないチカ姉。

 立ち止まり動かない智佳の後ろで腕時計の操作をしていたバートンが呟く。


「信樂君の街というと池袋……彼からはそのような連絡が来たという記録がないけれど、その症状はいつからとか聞いているかい?」

「いつから出たのかはわからない。だが、一週間で街を出ていくとも言っていた。だから時間はあるはずだ」

「まずいな。早く物語を進行させなくては街長の精神まで染まってしまう。シナリオ進行を遅延させることはできなさそうだな……」


 勝手に話が進んでいるが、バートンは何を考えているんだ。

「まずいってなんだよ。俺が任されたんだ。俺に解決させてくれ」

 掘りの深い顔は醸し出していた穏やかな空気を消して、バートンは楼の肩を掴んだ。


「この際だから仕方なく話すけど、ワームという我々の世界から来た敵は君の街長、つまり与野責人に身体と精神を奪うつもりで取り付いたんだよ」

「だから何が問題なんだよ」

「この世界と現実はリンクしている。だからワームに奪われてしまえば取り返しのつかないことになるんだ。傷が出た時点から直後に楼君へ話したとしても、あと三日しか時間はないってことだよ」


 あと三日って、一週間も持たないじゃないか。

 街長の身体、精神が奪われたらおそらく池袋はもう……

 俺の生活どころではなかったのだ。もし俺に構わず国に、特殊改編保安局に報告をしていたら解決していたかもしれないのに。

 しかし、まだ解決する方法はある。


「このまま俺が解決すれば――」

「ダメ。それだけはダメよ」


 だんまり立っていた智佳が言った大きな声ですべてが停止した。

 まだ言うのか。


 ずっと帰ってこないで再会したら、再会を喜ぶ暇すらない。そればかりか、危険だから帰れとまで言う。俺がどうしてもやらなくちゃいけないっていうのに、そんなこと見向きもせずただ拒否をし続ける。


「私たちプロがいるのに素人が関わっていい案件じゃない。一歩間違えれば取り返しがつかないうえに、物語に染められるリスクもある。そんなこと私は許容できない」


 至って冷静に、さも自分が間違いなど言っていないかのように言い放つ。

 素人だから関わるな?

 だが、俺にはやるべきことがある。


「俺はやる。やめさせたいなら無理やりにでもしてくれ。俺は這ってでもやってやる。ここで逃げたら絶対に越えられなくなる。俺はいつまでもチカ姉になんか頼らない」


 危ないことなんて初めから知っていた。それを知ったうえでやっているんだ。

 越えなくちゃいけない。越えなければ俺は一生トレーラーハウスの男になる。

 見つけなくちゃいけない。この世界で。

 俺のロマンを。

 そのためには街長だろうと、責人だろうと死を覚悟して戦ってやる。


「だいたいチカ姉は過保護なんだ」

 越えるべき壁に守られていてはいけない。

「過保護って、こんな危険なところに来て心配するのは当たり前でしょ!」

「俺は自分のロマンを見つけに来たって言うのに、危険だからって逃げたら何も変われないままだ」

「変われなくても、変わらなくてもいいじゃない」


 変わらないでいいなんてチカ姉には一番言って欲しくなかった。

 廃墟内に吹き込む突風が、窓を軋ませ鋭く割れる。

 それが耳障りで気が立っていたのかもしれない。だが、言う必要はあったんだ。


 やっぱりこんな再開をするのであれば――


「会わなければよかった」


 その言葉だけ呟いて楼はその場を去る。遅れてついてくる音は一つだけ。

 チカ姉は付いてこなかった。

 俺の手は冷え切っていた。

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